甲陽軍鑑 / 品第十一
扨其出頭人親類共の仕形は、親や兄や舅や伯父や從弟などの出頭を笠にきて、いかにも慮外を面へたて、おごり上の御用に立も、御爲思ふも我々斗りと分別がほをして、親類出頭のかげにより、我も出頭する体に仕りなし、人に被用〓我を用ゆる者をば惡き人をも能く申す、我を用ゐざる人をば、よき人をも惡しういひ、縱覺のばを引たる手抦の人をも口に任せて惡口せしめ、己は卅に餘り四十に及び、或は四十に余るといへ共、終に一ども手抦もなし、然れ共虚言をいひ手抦だてを申て廻る、
新字:扨其出頭人親類共の仕形は、親や兄や舅や伯父や従弟などの出頭を笠にきて、いかにも慮外を面へたて、おごり上の御用に立も、御為思ふも我々斗りと分別がほをして、親類出頭のかげにより、我も出頭する体に仕りなし、人に被用〓我を用ゆる者をば悪き人をも能く申す、我を用ゐざる人をば、よき人をも悪しういひ、縦覚のばを引たる手抦の人をも口に任せて悪口せしめ、己は卅に余り四十に及び、或は四十に余るといへ共、終に一ども手抦もなし、然れ共虚言をいひ手抦だてを申て廻る、
書き下し
扨其出頭人親類共の仕形は、親や兄や舅や伯父や従弟などの出頭を笠にきて、いかにも慮外を面へたて、おごり上の御用に立も、御為思ふも我々斗りと分別がほをして、親類出頭のかげにより、我も出頭する体に仕りなし、人に被用〓我を用ゆる者をば悪き人をも能く申す、我を用ゐざる人をば、よき人をも悪しういひ、縦覚のばを引たる手抦の人をも口に任せて悪口せしめ、己は卅に余り四十に及び、或は四十に余るといへ共、終に一ども手抦もなし、然れ共虚言をいひ手抦だてを申て廻る、
現代語訳
さてその出頭人の親類どもの仕方は、親や兄や舅や伯父や従弟などの出頭を笠に着て、いかにも慮外を表に立てて驕り、上の御用に立つのも、御為を思うのも我々ばかりと分別顔をして、親類の出頭の蔭によって自分も出頭する体に仕なし、自分を用いてくれる者は悪い人でもよく申し、自分を用いない人は良い人でも悪しざまに言い、たとえ覚えの場を引いた手柄の人でも口に任せて悪口させる。己は三十に余り四十に及び、あるいは四十を越えても、ついに一度も手柄がない。それでも虚言を言って手柄だてを申して廻る。
解説
この章句が説くこと
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