金剛経 / 『金剛経』来るも去るもない
「須菩提!若有人言:如來若來若去、若坐若臥、是人不解我所說義。何以故?如來者、無所從來、亦無所去、故名如來。」
新字:「須菩提!若有人言:如来若来若去、若坐若臥、是人不解我所説義。何以故?如来者、無所従来、亦無所去、故名如来。」
書き下し
「須菩提よ、若し人有りて言わく、如来は若しは来、若しは去、若しは坐、若しは臥す、と。是の人は我が所説の義を解せず。何を以ての故に。如来とは、従り来る所無く、亦た去る所無し、故に如来と名づく。」
現代語訳
「須菩提よ、もし人が、如来は来たり、去ったり、坐ったり、臥したりする、と言うなら、その人は私の説いた意味を理解していない。なぜなら、如来とは、どこかから来るのでもなく、どこかへ去るのでもない。だから如来と名づけるのである。」
解説
如来という語が、来るという字を含むのに、来ることも去ることもない存在として説明される、印象的な分です。如来は、真如から来た者、あるいはありのままに来た者と解される語として知られますが、ここでは、来去を超えたものと述べます。第一分で仏が托鉢に出て帰り、坐ったと描かれたことと、あえて対照させて読むこともできます。仕事に引きつけると、出社や退社、着任や異動といった動きの外にも、変わらない本質があると考えることができます。肩書や場所が変わっても揺らがない軸を持つ大切さが浮かびます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
如来無所従来無所去来去坐臥本質
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