金剛経 / 『金剛経』福徳を受けず、貪らない
「須菩提!若菩薩以滿恆河沙等世界七寶持用布施;若復有人、知一切法無我、得成於忍、此菩薩勝前菩薩所得功德。何以故?須菩提!以諸菩薩不受福德故。」 須菩提白佛言:「世尊!云何菩薩不受福德?」 「須菩提!菩薩所作福德、不應貪著。是故說不受福德。」
新字:「須菩提!若菩薩以満恒河沙等世界七宝持用布施;若復有人、知一切法無我、得成於忍、此菩薩勝前菩薩所得功徳。何以故?須菩提!以諸菩薩不受福徳故。」 須菩提白仏言:「世尊!云何菩薩不受福徳?」 「須菩提!菩薩所作福徳、不応貪著。是故説不受福徳。」
書き下し
「須菩提よ、若し菩薩、恒河沙に等しき世界に満つる七宝を以て持ちて布施に用い、若し復た人有りて、一切の法は無我なりと知りて、忍を成ずることを得ば、此の菩薩は前の菩薩の得る所の功徳に勝れたり。何を以ての故に。須菩提よ、諸の菩薩は福徳を受けざるを以ての故なり。」 須菩提、仏に白して言さく、「世尊よ、云何が菩薩は福徳を受けざる。」 「須菩提よ、菩薩の作す所の福徳は、応に貪著すべからず。是の故に福徳を受けずと説く。」
現代語訳
「須菩提よ、もし菩薩が、ガンジス川の砂の数ほどの世界いっぱいの七つの宝を持って布施に用い、もう一人が、あらゆる法には我がないと知って、耐え忍ぶ境地を成し遂げたとしたら、この後の菩薩は、前の菩薩が得た功徳にまさる。なぜなら、須菩提よ、もろもろの菩薩は福徳を受けないからである。」 須菩提は仏に申し上げました。「世尊よ、どうして菩薩は福徳を受けないのですか。」 「須菩提よ、菩薩がなす福徳には、貪りとらわれてはならない。だから、福徳を受けない、と説くのである。」
解説
宝の布施よりも、一切の法に我がないと知り、忍を成し遂げた菩薩が勝る、という比較です。そして、菩薩は福徳を受けないという表現が、貪り著してはならない、という意味だと説明されます。福徳を全く得ないのではなく、得た福徳に執着しないことを言っていると読めます。第十四分の忍辱の主題が、無我の理解と結びついています。仕事では、成果や報酬を受け取ること自体は当然です。ただ、それにしがみつくと、次の挑戦ができなくなります。得たものを抱え込まず、次の仕事や人に回していく循環の姿勢が、長く続く力になります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
不受福徳貪著無我成忍七宝布施手放す
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