金剛経 / 『金剛経』得るものは少しも無い
須菩提白佛言:「世尊!佛得阿耨多羅三藐三菩提。為無所得耶?」 佛言:「如是、如是。須菩提!我於阿耨多羅三藐三菩提乃至無有少法可得、是名阿耨多羅三藐三菩提。」
新字:須菩提白仏言:「世尊!仏得阿耨多羅三藐三菩提。為無所得耶?」 仏言:「如是、如是。須菩提!我於阿耨多羅三藐三菩提乃至無有少法可得、是名阿耨多羅三藐三菩提。」
書き下し
須菩提、仏に白して言さく、「世尊よ、仏の阿耨多羅三藐三菩提を得たまえるは、為れ所得無しとせんや。」 仏の言わく、「是の如し、是の如し。須菩提よ、我れ阿耨多羅三藐三菩提に於いて、乃至少法の得べき有ること無し、是れを阿耨多羅三藐三菩提と名づく。」
現代語訳
須菩提は仏に申し上げました。「世尊よ、仏がこの上ない悟りを得られたことは、何も得るものがなかった、ということなのでしょうか。」 仏は言われました。「そのとおり、そのとおりである。須菩提よ、私はこの上ない悟りについて、わずかな法さえ得られるものはない。それをこの上ない悟りと名づけているのである。」
解説
この上ない悟りを得た当人が、得るものは少しもなかったと明言する、非常に短い問答です。ここまで繰り返された、悟りは所有できる物ではないという主張を、一言に凝縮しています。得たことがない状態を悟りと呼ぶのであって、何も得ていない空虚さを言うのではない、と読めます。成果主義の世界では、何を得たか、何を積んだかが評価の中心になります。しかし、学びが深まるほど、得たものより、不要な思い込みを手放した実感が増えるという経験もあります。積み上げと手放しの両方を意識させる句です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
無法可得少法阿耨多羅三藐三菩提無所得手放し
関連する章句
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金剛経・『金剛経』決まった教えは無い「須菩提よ、意に於いて云何。如来は阿耨多羅三藐三菩提を得たるや。如来に説く所の法有りや。」 須菩提の言さく、「我が仏の説きたもう所の義を解するが如くんば、定まれる法の阿耨多羅三藐三菩提と名づくる有ること無く、亦た定まれる法の如来の説くべき有ること無し。何を以ての故に。如来の説きたもう所の法は、皆な取るべからず、説くべからず。法に非ず、非法に非ず。所以は何ん。一切の賢聖は、皆な無為の法を以て差別有ればなり。」
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金剛経・『金剛経』平等の法で善を行う「復た次に、須菩提よ、是の法は平等にして、高下有ること無し、是れを阿耨多羅三藐三菩提と名づく。我無く、人無く、衆生無く、寿者無きを以て、一切の善法を修せば、則ち阿耨多羅三藐三菩提を得。須菩提よ、言う所の善法とは、如来は説きて即ち善法に非ずとす、是れを善法と名づく。」
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金剛経・『金剛経』断滅でも常住でもない「須菩提よ、汝若し是の念を作さく、如来は具足相を以ての故に阿耨多羅三藐三菩提を得ず、と。須菩提よ、是の念を作すこと莫かれ、如来は具足相を以ての故に阿耨多羅三藐三菩提を得ず、と。」 「須菩提よ、汝若し是の念を作さく、阿耨多羅三藐三菩提の心を発す者は、諸法の断滅を説く、と。是の念を作すこと莫かれ。何を以ての故に。阿耨多羅三藐三菩提の心を発す者は、法に於いて断滅の相を説かざればなり。」
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金剛経・『金剛経』救ったと思わない菩薩爾の時、須菩提、仏に白して言さく、「世尊よ、善男子、善女人、阿耨多羅三藐三菩提の心を発さば、云何が応に住すべき。云何が其の心を降伏すべき。」 仏、須菩提に告げたもう、「善男子、善女人、阿耨多羅三藐三菩提の心を発す者は、当に是の如き心を生ずべし。我れ応に一切衆生を滅度すべし。一切衆生を滅度し已りて、而も一衆生として実に滅度せらるる者有ること無し。何を以ての故に。須菩提よ、若し菩薩に我相、人相、衆生相、寿者相有らば、則ち菩薩に非ず。所以は何ん。須菩提よ、実に法として阿耨多羅三藐三菩提の心を発す者有ること無ければなり。」 「須菩提よ、意に於いて云何。如来は燃灯仏の所に於いて、法の阿耨多羅三藐三菩提を得ること有りや不や。」 「不なり、世尊よ。我が仏の説きたもう所の義を解するが如くんば、仏は燃灯仏の所に於いて、法の阿耨多羅三藐三菩提を得ること有ること無し。」 仏の言わく、「是の如し、是の如し。須菩提よ、実に法として如来が阿耨多羅三藐三菩提を得ること有ること無し。須菩提よ、若し法有りて如来が阿耨多羅三藐三菩提を得ば、燃灯仏は則ち我に授記せじ。汝は来世に於いて、当に作仏することを得て、釈迦牟尼と号すべし、と。実に法として阿耨多羅三藐三菩提を得ること有ること無きを以て、是の故に燃灯仏は我に授記して、是の言を作したまえり。汝は来世に於いて、当に作仏することを得て、釈迦牟尼と号すべし、と。何を以ての故に。如来とは、即ち諸法如の義なり。」 「若し人有りて言わく、如来は阿耨多羅三藐三菩提を得たり、と。須菩提よ、実に法として仏が阿耨多羅三藐三菩提を得ること有ること無し。須菩提よ、如来の得たる所の阿耨多羅三藐三菩提は、是の中に実も無く虚も無し。是の故に如来は説く、一切の法は皆な是れ仏法なり、と。須菩提よ、言う所の一切の法とは、即ち一切の法に非ず、是の故に一切の法と名づく。」 「須菩提よ、譬えば人身の長大なるが如し。」 須菩提の言さく、「世尊よ、如来は説きたもう、人身の長大なるは、則ち為れ大身に非ず、是れを大身と名づく、と。」 「須菩提よ、菩薩も亦た是の如し。若し是の言を作さく、我れ当に無量の衆生を滅度すべし、と。則ち菩薩と名づけず。何を以ての故に。須菩提よ、実に法として名づけて菩薩と為すもの有ること無ければなり。是の故に仏は説く、一切の法は、我無く、人無く、衆生無く、寿者無し、と。」 「須菩提よ、若し菩薩、是の言を作さく、我れ当に仏土を荘厳すべし、と。是れは菩薩と名づけず。何を以ての故に。如来は説く、仏土を荘厳すとは、即ち荘厳に非ず、是れを荘厳と名づく、と。」 「須菩提よ、若し菩薩、無我の法に通達せば、如来は説きて真に是れ菩薩なりと名づく。」
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金剛経・『金剛経』福徳を受けず、貪らない「須菩提よ、若し菩薩、恒河沙に等しき世界に満つる七宝を以て持ちて布施に用い、若し復た人有りて、一切の法は無我なりと知りて、忍を成ずることを得ば、此の菩薩は前の菩薩の得る所の功徳に勝れたり。何を以ての故に。須菩提よ、諸の菩薩は福徳を受けざるを以ての故なり。」 須菩提、仏に白して言さく、「世尊よ、云何が菩薩は福徳を受けざる。」 「須菩提よ、菩薩の作す所の福徳は、応に貪著すべからず。是の故に福徳を受けずと説く。」
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金剛経・『金剛経』名は名にすぎない爾の時、須菩提、仏に白して言さく、「世尊よ、当に何をか此の経を名づくべき。我等は云何が奉持すべき。」 仏、須菩提に告げたもう、「是の経を名づけて金剛般若波羅蜜と為す。是の名字を以て、汝当に奉持すべし。所以は何ん。須菩提よ、仏の説きたもう般若波羅蜜は、即ち般若波羅蜜に非ず。是れを般若波羅蜜と名づく。須菩提よ、意に於いて云何。如来に説く所の法有りや不や。」 須菩提、仏に白して言さく、「世尊よ、如来には説く所無し。」 「須菩提よ、意に於いて云何。三千大千世界に所有る微塵は、是れ多しと為すや不や。」 須菩提の言さく、「甚だ多し、世尊よ。」 「須菩提よ、諸の微塵は、如来は微塵に非ずと説く、是れを微塵と名づく。如来は世界を、世界に非ずと説く、是れを世界と名づく。須菩提よ、意に於いて云何。三十二相を以て如来を見るべきや不や。」 「不なり、世尊よ。三十二相を以て如来を見ること得べからず。何を以ての故に。如来の説きたもう三十二相は、即ち是れ相に非ず、是れを三十二相と名づく。」 「須菩提よ、若し善男子、善女人有りて、恒河沙に等しき身命を以て布施せんに、若し復た人有りて、此の経の中に於いて、乃至四句偈等をも受持して、他人の為に説かば、其の福は甚だ多し。」