金剛経 / 『金剛経』無いからこそ多いという逆説
「須菩提!於意云何?若有人滿三千大千世界七寶、以用布施、是人以是因緣、得福多不?」 「如是、世尊!此人以是因緣、得福甚多。」 「須菩提!若福德有實、如來不說得福德多;以福德無故、如來說得福德多。」
新字:「須菩提!於意云何?若有人満三千大千世界七宝、以用布施、是人以是因縁、得福多不?」 「如是、世尊!此人以是因縁、得福甚多。」 「須菩提!若福徳有実、如来不説得福徳多;以福徳無故、如来説得福徳多。」
書き下し
「須菩提よ、意に於いて云何。若し人有りて三千大千世界に満つる七宝を以て布施に用いば、是の人は是の因縁を以て、福を得ること多きや不や。」 「是の如し、世尊よ。此の人は是の因縁を以て、福を得ること甚だ多し。」 「須菩提よ、若し福徳に実有らば、如来は福徳を得ること多しと説かじ。福徳無きを以ての故に、如来は福徳を得ること多しと説く。」
現代語訳
「須菩提よ、どう思うか。もし人が、三千大千世界いっぱいの七つの宝を布施に用いたなら、その人はこの因縁によって、得る福は多いだろうか。」 「そのとおりです、世尊よ。この人はこの因縁によって、得る福はたいへん多いです。」 「須菩提よ、もし福徳に実体があるなら、如来は福徳を得ることが多いとは説かないだろう。福徳に実体がないからこそ、如来は福徳を得ることが多いと説くのである。」
解説
福徳に実体があれば多いとは言えず、実体がないから多いと言える、という逆説的な一句です。固定した量として数えられるものは、いつか尽きる性質を持ちますが、実体のない福徳は、数に縛られず広がる、という趣旨に読めます。第八分にも似た問答があり、ここでは因縁という語を添えて、与えた行為の連なりを見ています。仕事で言えば、貢献や信頼は、帳簿の数字のようには貯まりません。固定した資産と捉えると、守る気持ちが先に立ち、使えなくなります。関係の中で流れ続けることが、信頼の豊かさだと読めます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
福徳無因縁七宝布施実体逆説福徳多
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金剛経・『金剛経』福徳より教えの源「須菩提よ、意に於いて云何。若し人、三千大千世界に満つる七宝を以て布施に用いば、是の人の所得の福徳は、寧ろ多しと為すや不や。」 須菩提の言さく、「甚だ多し、世尊よ。何を以ての故に。是の福徳は、即ち福徳の性に非ず。是の故に如来は福徳多しと説きたもう。」 「若し復た人有りて、此の経の中に於いて受持し、乃至四句の偈等をも、他人の為に説かば、其の福は彼に勝れたり。何を以ての故に。須菩提よ、一切の諸仏、及び諸仏の阿耨多羅三藐三菩提の法は、皆な此の経より出ずればなり。須菩提よ、所謂仏法とは、即ち仏法に非ず、是れを仏法と名づく。」
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金剛経・『金剛経』福徳を受けず、貪らない「須菩提よ、若し菩薩、恒河沙に等しき世界に満つる七宝を以て持ちて布施に用い、若し復た人有りて、一切の法は無我なりと知りて、忍を成ずることを得ば、此の菩薩は前の菩薩の得る所の功徳に勝れたり。何を以ての故に。須菩提よ、諸の菩薩は福徳を受けざるを以ての故なり。」 須菩提、仏に白して言さく、「世尊よ、云何が菩薩は福徳を受けざる。」 「須菩提よ、菩薩の作す所の福徳は、応に貪著すべからず。是の故に福徳を受けずと説く。」
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