金剛経 / 『金剛経』見かけの姿に如来を見ない
「須菩提。於意云何?可以身相見如來不?」 「不也、世尊、不可以身相得見如來。何以故?如來所說身相、即非身相。」 佛告須菩提:「凡所有相、皆是虛妄。若見諸相非相、即見如來。」
新字:「須菩提。於意云何?可以身相見如来不?」 「不也、世尊、不可以身相得見如来。何以故?如来所説身相、即非身相。」 仏告須菩提:「凡所有相、皆是虚妄。若見諸相非相、即見如来。」
書き下し
「須菩提よ、意に於いて云何。身相を以て如来を見るべきや不や。」 「不なり、世尊よ。身相を以て如来を見ること得べからず。何を以ての故に。如来の説きたもう所の身相は、即ち身相に非ざればなり。」 仏、須菩提に告げたもう、「凡そ有らゆる相は、皆な是れ虚妄なり。若し諸相の相に非ざるを見ば、即ち如来を見る。」
現代語訳
「須菩提よ、どう思うか。身体の姿によって如来を見ることができるだろうか。」 「できません、世尊よ。身体の姿によって如来を見ることはできません。なぜなら、如来が説かれる身体の姿とは、そのまま身体の姿ではないからです。」 仏は須菩提に告げられました。「おおよそ形あるものは、すべてかりそめで実体がない。もしあらゆる姿が姿ではないと見抜くなら、そのとき如来を見るのである。」
解説
「凡所有相、皆是虚妄」は、この経でもっとも知られた句の一つです。姿や形は仮のものであり、それを実体と取り違えないよう求めています。ここでは、立派な身体の相を備えていれば如来と分かるわけではない、という問答から導かれます。経は後の第二十六分でも同じ主題に戻ります。仕事に引き寄せると、肩書、見た目、実績の数字だけで人や組織を判断する癖への警告として読めます。形は大切な手がかりですが、形の向こうにあるものを見ようとする姿勢が、評価の精度を高めてくれます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
凡所有相皆是虚妄身相非相如来虚妄見る
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