金剛経 / 『金剛経』言葉を信じる人とは誰か
須菩提白佛言:「世尊!頗有眾生、得聞如是言說章句、生實信不?」 佛告須菩提:「莫作是說。如來滅後、後五百歲、有持戒修福者、於此章句能生信心、以此為實、當知是人不於一佛、二佛、三四五佛而種善根、已於無量千萬佛所種諸善根、聞是章句、乃至一念生淨信者、須菩提!如來悉知悉見、是諸眾生得如是無量福德。何以故?是諸眾生無復我相、人相、眾生相、壽者相。」 「無法相、亦無非法相。何以故?是諸眾生若心取相、則為著我、人、眾生、壽者。」 「若取法相、即著我、人、眾生、壽者。何以故?若取非法相、即著我、人、眾生、壽者。是故不應取法、不應取非法。以是義故、如來常說:汝等比丘、知我說法、如筏喻者、法尚應捨、何況非法。」
新字:須菩提白仏言:「世尊!頗有衆生、得聞如是言説章句、生実信不?」 仏告須菩提:「莫作是説。如来滅後、後五百歳、有持戒修福者、於此章句能生信心、以此為実、当知是人不於一仏、二仏、三四五仏而種善根、已於無量千万仏所種諸善根、聞是章句、乃至一念生浄信者、須菩提!如来悉知悉見、是諸衆生得如是無量福徳。何以故?是諸衆生無復我相、人相、衆生相、寿者相。」 「無法相、亦無非法相。何以故?是諸衆生若心取相、則為著我、人、衆生、寿者。」 「若取法相、即著我、人、衆生、寿者。何以故?若取非法相、即著我、人、衆生、寿者。是故不応取法、不応取非法。以是義故、如来常説:汝等比丘、知我説法、如筏喩者、法尚応捨、何況非法。」
書き下し
須菩提、仏に白して言さく、「世尊よ、頗る衆生有りて、是の如き言説章句を聞くことを得て、実信を生ずるや不や。」 仏、須菩提に告げたもう、「是の説を作すこと莫かれ。如来の滅後、後の五百歳にも、持戒修福の者有りて、此の章句に於いて能く信心を生じ、此れを以て実と為さん。当に知るべし、是の人は一仏、二仏、三四五仏に於いてのみ善根を種えたるに非ず、已に無量千万の仏の所に於いて諸の善根を種えたり。是の章句を聞きて、乃至一念にも浄信を生ずる者は、須菩提よ、如来は悉く知り悉く見たもう。是の諸の衆生は、是の如き無量の福徳を得ん。何を以ての故に。是の諸の衆生は、復た我相、人相、衆生相、寿者相無ければなり。」 「法相無く、亦た非法相も無し。何を以ての故に。是の諸の衆生、若し心に相を取らば、則ち我、人、衆生、寿者に著すと為す。」 「若し法相を取らば、即ち我、人、衆生、寿者に著す。何を以ての故に。若し非法相を取るも、即ち我、人、衆生、寿者に著すればなり。是の故に、応に法を取るべからず、応に非法を取るべからず。是の義を以ての故に、如来は常に説く、汝等比丘よ、我が説法を筏の喩えの如しと知れ、と。法すら尚お応に捨つべし、何に況んや非法をや。」
現代語訳
須菩提は仏に申し上げました。「世尊よ、このような言葉や章句を聞いて、まことの信を起こす人は、はたしているでしょうか。」 仏は須菩提に告げられました。「そのようなことを言ってはならない。如来が亡くなったあと、後の五百年の世にも、戒めを守り福を修める人がいて、この章句に信心を起こし、これを真実と受け取るだろう。よく知りなさい。この人は一人の仏、二人の仏、三、四、五人の仏のもとで善い種をまいただけではなく、すでに数えきれないほどの仏のもとで、さまざまな善根を育ててきた人である。この章句を聞いて、わずか一瞬でも清らかな信を起こす人を、須菩提よ、如来はすべて知り、すべて見ている。これらの人々は、このような限りない福徳を得るだろう。なぜなら、この人々には、我、人、衆生、寿者という四つの相がもはやないからである。」 「法という相もなく、法でないという相もない。なぜなら、これらの人々がもし心に何か相を取れば、それは我や人や衆生や寿者にとらわれることになるからである。」 「もし法という相を取れば、我、人、衆生、寿者にとらわれる。なぜなら、もし法でないという相を取っても、やはり我、人、衆生、寿者にとらわれるからである。だから、法を取ってはならず、法でないものを取ってもならない。この意味で、如来はいつも説いている。比丘たちよ、私の説く教えは筏のたとえのようなものだと知りなさい、と。教えでさえ捨てるべきものである。まして教えでないものはなおさらである。」
解説

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関連する章句
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金剛経・『金剛経』相を離れ、怒りを離れる爾の時、須菩提、是の経を説くを聞き、深く義趣を解して、涕涙悲泣して、仏に白して言さく、「希有なり、世尊よ。仏は是の如き甚深の経典を説きたもう。我は昔より来、得る所の慧眼をもって、未だ曾て是の如きの経を聞くことを得ず。世尊よ、若し復た人有りて、是の経を聞くことを得て、信心清浄ならば、則ち実相を生ず。当に知るべし、是の人は第一希有の功徳を成就せん。世尊よ、是の実相とは、則ち是れ非相なり。是の故に如来は実相と名づくと説きたもう。世尊よ、我今是の如き経典を聞くことを得て、信解し受持すること、難しと為すに足らず。若し当来の世、後の五百歳に、其れ衆生有りて、是の経を聞くことを得て、信解し受持せば、是の人は則ち第一希有と為す。何を以ての故に。此の人には我相無く、人相無く、衆生相無く、寿者相無し。所以は何ん。我相は即ち是れ非相なり。人相、衆生相、寿者相も即ち是れ非相なり。何を以ての故に。一切の諸相を離るるを、則ち諸仏と名づく。」 仏、須菩提に告げたもう、「是の如し、是の如し。若し復た人有りて、是の経を聞くことを得て、驚かず、怖れず、畏れざれば、当に知るべし、是の人は甚だ為れ希有なり。何を以ての故に。須菩提よ、如来の説きたもう第一波羅蜜は、即ち第一波羅蜜に非ず、是れを第一波羅蜜と名づく。須菩提よ、忍辱波羅蜜は、如来は忍辱波羅蜜に非ずと説く。是れを忍辱波羅蜜と名づく。何を以ての故に。須菩提よ、我が昔、歌利王のために身体を割截せられし如き、我は爾の時において、我相無く、人相無く、衆生相無く、寿者相無かりき。何を以ての故に。我は往昔、節節に支解せられし時に、若し我相、人相、衆生相、寿者相有らましかば、応に瞋恨を生ずべかりき。須菩提よ、又た過去の五百世に、忍辱仙人と作りしを念うに、爾所の世において、我相無く、人相無く、衆生相無く、寿者相無かりき。是の故に、須菩提よ、菩薩は応に一切の相を離れて、阿耨多羅三藐三菩提の心を発すべし。応に色に住して心を生ずべからず、応に声、香、味、触、法に住して心を生ずべからず、応に住する所無き心を生ずべし。若し心に住する有らば、則ち為れ住に非ず。」 「是の故に仏は説く、菩薩は心に応に色に住して布施すべからず、と。須菩提よ、菩薩は一切衆生を利益せんが為の故に、応に是の如く布施すべし。如来は説く、一切の諸相は、即ち是れ非相なり、と。又た説く、一切の衆生は、即ち衆生に非ず、と。須菩提よ、如来は是れ真語者、実語者、如語者、不誑語者、不異語者なり。」 「須菩提よ、如来の得たる所の法は、此の法には実も無く虚も無し。須菩提よ、若し菩薩、心に法に住して布施を行ぜば、人の闇に入りて、則ち見る所無きが如し。若し菩薩、心に法に住せずして布施を行ぜば、人の目有りて、日光明らかに照らし、種種の色を見るが如し。」 「須菩提よ、当来の世に、若し善男子、善女人有りて、能く此の経に於いて受持読誦せば、則ち為れ如来、仏の智慧を以て、悉く是の人を知り、悉く是の人を見たもう。皆な無量無辺の功徳を成就することを得ん。」
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金剛経・『金剛経』見解にも、とらわれない「須菩提よ、若し人言わく、仏は我見、人見、衆生見、寿者見を説く、と。須菩提よ、意に於いて云何。是の人は我が所説の義を解するや不や。」 「不なり、世尊よ。是の人は如来の所説の義を解せず。何を以ての故に。世尊の説きたもう我見、人見、衆生見、寿者見は、即ち我見、人見、衆生見、寿者見に非ず、是れを我見、人見、衆生見、寿者見と名づく。」 「須菩提よ、阿耨多羅三藐三菩提の心を発す者は、一切の法に於いて、応に是の如く知り、是の如く見、是の如く信解して、法相を生ぜざるべし。須菩提よ、言う所の法相とは、如来は説きて即ち法相に非ずとす、是れを法相と名づく。」
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金剛経・『金剛経』説いて、説いたことがない「須菩提よ、汝は如来是の念を作さく、我れ当に説く所の法有るべし、と謂うこと勿れ。是の念を作すこと莫かれ。何を以ての故に。若し人、如来に説く所の法有りと言わば、即ち為れ仏を謗るなり。我が所説を解すること能わざるが故なり。須菩提よ、説法とは、法の説くべき無きを、是れを説法と名づく。」 爾の時、慧命須菩提、仏に白して言さく、「世尊よ、頗る衆生有りて、未来世に於いて、是の法を説くを聞きて、信心を生ずるや不や。」 仏の言わく、「須菩提よ、彼は衆生に非ず、衆生に非ざるにも非ず。何を以ての故に。須菩提よ、衆生衆生とは、如来は衆生に非ずと説く、是れを衆生と名づく。」
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金剛経・『金剛経』救って、なお救った者はいない仏、須菩提に告げたもう、「諸の菩薩摩訶薩は、応に是の如く其の心を降伏すべし。所有一切の衆生の類、若しくは卵生、若しくは胎生、若しくは湿生、若しくは化生、若しくは色有り、若しくは色無く、若しくは想有り、若しくは想無く、若しくは有想に非ず無想に非ざるもの、我皆な無余涅槃に入れて之を滅度せしむ。是の如く無量無数無辺の衆生を滅度すれども、実には衆生の滅度を得る者無し。何を以ての故に。須菩提よ、若し菩薩に我相、人相、衆生相、寿者相有らば、即ち菩薩に非ず。」
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金剛経・『金剛経』救ったと思わない菩薩爾の時、須菩提、仏に白して言さく、「世尊よ、善男子、善女人、阿耨多羅三藐三菩提の心を発さば、云何が応に住すべき。云何が其の心を降伏すべき。」 仏、須菩提に告げたもう、「善男子、善女人、阿耨多羅三藐三菩提の心を発す者は、当に是の如き心を生ずべし。我れ応に一切衆生を滅度すべし。一切衆生を滅度し已りて、而も一衆生として実に滅度せらるる者有ること無し。何を以ての故に。須菩提よ、若し菩薩に我相、人相、衆生相、寿者相有らば、則ち菩薩に非ず。所以は何ん。須菩提よ、実に法として阿耨多羅三藐三菩提の心を発す者有ること無ければなり。」 「須菩提よ、意に於いて云何。如来は燃灯仏の所に於いて、法の阿耨多羅三藐三菩提を得ること有りや不や。」 「不なり、世尊よ。我が仏の説きたもう所の義を解するが如くんば、仏は燃灯仏の所に於いて、法の阿耨多羅三藐三菩提を得ること有ること無し。」 仏の言わく、「是の如し、是の如し。須菩提よ、実に法として如来が阿耨多羅三藐三菩提を得ること有ること無し。須菩提よ、若し法有りて如来が阿耨多羅三藐三菩提を得ば、燃灯仏は則ち我に授記せじ。汝は来世に於いて、当に作仏することを得て、釈迦牟尼と号すべし、と。実に法として阿耨多羅三藐三菩提を得ること有ること無きを以て、是の故に燃灯仏は我に授記して、是の言を作したまえり。汝は来世に於いて、当に作仏することを得て、釈迦牟尼と号すべし、と。何を以ての故に。如来とは、即ち諸法如の義なり。」 「若し人有りて言わく、如来は阿耨多羅三藐三菩提を得たり、と。須菩提よ、実に法として仏が阿耨多羅三藐三菩提を得ること有ること無し。須菩提よ、如来の得たる所の阿耨多羅三藐三菩提は、是の中に実も無く虚も無し。是の故に如来は説く、一切の法は皆な是れ仏法なり、と。須菩提よ、言う所の一切の法とは、即ち一切の法に非ず、是の故に一切の法と名づく。」 「須菩提よ、譬えば人身の長大なるが如し。」 須菩提の言さく、「世尊よ、如来は説きたもう、人身の長大なるは、則ち為れ大身に非ず、是れを大身と名づく、と。」 「須菩提よ、菩薩も亦た是の如し。若し是の言を作さく、我れ当に無量の衆生を滅度すべし、と。則ち菩薩と名づけず。何を以ての故に。須菩提よ、実に法として名づけて菩薩と為すもの有ること無ければなり。是の故に仏は説く、一切の法は、我無く、人無く、衆生無く、寿者無し、と。」 「須菩提よ、若し菩薩、是の言を作さく、我れ当に仏土を荘厳すべし、と。是れは菩薩と名づけず。何を以ての故に。如来は説く、仏土を荘厳すとは、即ち荘厳に非ず、是れを荘厳と名づく、と。」 「須菩提よ、若し菩薩、無我の法に通達せば、如来は説きて真に是れ菩薩なりと名づく。」
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金剛経・『金剛経』受け継ぐ者の姿勢「須菩提よ、若し善男子、善女人有りて、初日分に恒河沙に等しき身を以て布施し、中日分に復た恒河沙に等しき身を以て布施し、後日分にも亦た恒河沙に等しき身を以て布施し、是の如く無量百千万億劫、身を以て布施せんに、若し復た人有りて、此の経典を聞きて、信心逆らわざれば、其の福は彼に勝れたり。何に況んや書写し、受持し、読誦し、人の為に解説せんをや。」 「須菩提よ、要を以て之を言わば、是の経には不可思議、不可称量、無辺の功徳有り。如来は大乗を発する者の為に説き、最上乗を発する者の為に説く。若し人有りて、能く受持読誦し、広く人の為に説かば、如来は悉く是の人を知り、悉く是の人を見たもう。皆な不可量、不可称、無有辺、不可思議の功徳を成就することを得ん。」 「是の如き人等は、則ち為れ如来の阿耨多羅三藐三菩提を荷担するなり。何を以ての故に。須菩提よ、若し小法を楽う者は、我見、人見、衆生見、寿者見に著し、則ち此の経に於いて聴受し、読誦し、人の為に解説すること能わず。」 「須菩提よ、在在処処に、若し此の経有らば、一切世間の天、人、阿修羅の応に供養すべき所なり。当に知るべし、此の処は則ち為れ是れ塔にして、皆な応に恭敬し、作礼し、囲繞して、諸の華香を以て其の処に散ずべし。」