講孟余話 / 附尾 讀保建大記一條
其後壽永ノ時ニ至リ、安德天皇西ニ奔ルト雖トモ、其正統タルコト固ヨリ論ナシ、後鳥羽天皇位ニ即キ給ヘトモ、事フヘキニ非ズ、况ヤ神器西ニアリ、安ソ神器ナキノ天子ニ事フヘケンヤ、若シ安德僅カニ二歲ニシテ、平氏ニ倚テ立ツヲ以テ、体ヲ失フトセハ、宜シク其即位ノ初ニ當テ、切諫極論シテ是ニ継クニ死ヲ以テスル、亦忠臣ノ事ナリ、若然ラスシテ、登祚ノ後ニ是ヲ正ニ非ストスルハ大ニ非ナリ、又元弘ノ時後醍醐天皇ノ隱岐ニ遷幸シ給ヒシモ、璽ノ箱ヲ御身ニ付ラケレハ、亦安德ノ西ニ幸セラレシト同事也、而シテ光嚴帝ノ北條ガ爲メニ立ラレタルハ、亦後鳥羽ノ即位ト同事ナリ、是ヲ以テ之ヲ觀レハ、神器ノ在ル所ハ必ス正統ニシテ、正統ノ在ル所ハ必ス神器アルナリ、神器ト正統ト、別ニ見ルヘカラズ、三宅ハ恐クハ神器ト正統トヲ別ニ見タルナルベシ、
新字:其後寿永ノ時ニ至リ、安徳天皇西ニ奔ルト雖トモ、其正統タルコト固ヨリ論ナシ、後鳥羽天皇位ニ即キ給ヘトモ、事フヘキニ非ズ、況ヤ神器西ニアリ、安ソ神器ナキノ天子ニ事フヘケンヤ、若シ安徳僅カニ二歳ニシテ、平氏ニ倚テ立ツヲ以テ、体ヲ失フトセハ、宜シク其即位ノ初ニ当テ、切諫極論シテ是ニ継クニ死ヲ以テスル、亦忠臣ノ事ナリ、若然ラスシテ、登祚ノ後ニ是ヲ正ニ非ストスルハ大ニ非ナリ、又元弘ノ時後醍醐天皇ノ隠岐ニ遷幸シ給ヒシモ、璽ノ箱ヲ御身ニ付ラケレハ、亦安徳ノ西ニ幸セラレシト同事也、而シテ光厳帝ノ北条ガ為メニ立ラレタルハ、亦後鳥羽ノ即位ト同事ナリ、是ヲ以テ之ヲ観レハ、神器ノ在ル所ハ必ス正統ニシテ、正統ノ在ル所ハ必ス神器アルナリ、神器ト正統ト、別ニ見ルヘカラズ、三宅ハ恐クハ神器ト正統トヲ別ニ見タルナルベシ、
書き下し
其の後寿永の時に至り、安徳天皇西に奔ると雖も、其の正統たること固より論なし。後鳥羽天皇位に即き給へども、事ふべきに非ず。況んや神器西にあり、安んぞ神器なきの天子に事ふべけんや。若し安徳僅かに二歳にして、平氏に倚りて立つを以て、体を失ふとせば、宜しく其の即位の初めに当りて、切諫極論して是れに継ぐに死を以てする、亦忠臣の事なり。若し然らずして、登祚の後に是れを正に非ずとするは大いに非なり。又元弘の時後醍醐天皇の隠岐に遷幸し給ひしも、璽の箱を御身に付けられければ、亦安徳の西に幸せられしと同事なり。而して光厳帝の北条が為めに立てられたるは、亦後鳥羽の即位と同事なり。是れを以て之れを観れば、神器の在る所は必ず正統にして、正統の在る所は必ず神器あるなり。神器と正統と、別に見るべからず。三宅は恐らくは神器と正統とを別に見たるなるべし。
現代語訳
その後、寿永のころになって、安徳天皇は西国へ逃れたが、その正統であることはもとより論じるまでもない。後鳥羽天皇が即位されたが、お仕えすべきではない。まして神器は西にあったのだから、どうして神器のない天子にお仕えできようか。もし、安徳天皇がわずか二歳で平氏に頼って即位したことをもって体裁を失ったとするなら、その即位の初めに強く諫め論じ尽くし、聞かれなければ死をもって続けるのも、忠臣のなすべきことである。そうせずに、即位の後になってこれを正統でないとするのは大きな誤りである。また元弘のとき、後醍醐天皇が隠岐へお移りになったときも、神璽の箱を御身につけておられたのだから、安徳天皇が西へ行かれたのと同じことである。そして光厳天皇が北条氏によって立てられたのは、後鳥羽天皇の即位と同じことである。これによって見れば、神器のあるところは必ず正統であり、正統のあるところには必ず神器がある。神器と正統とを別々に見てはならない。三宅はおそらく、神器と正統とを別々に見たのであろう。
解説
この章句が説くこと
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