講孟余話 / 盡心下 第三十八章
抑吾長門ノ国タル、西海ノ陬ニアリ、海ヲ隔テ、西鄒魯ト對持ス、鄒魯ノ聖賢ヲ喚起スコト固ヨリ長門人任也、余又常ニ謂フ、兵家ノ貴フ所ハ戰陣ノ魁殿ニアリ、魁ハ先馳也、殿ハ後駈也、今日ニ在テ此道ヲ起隆セン者ハ、道ノ先駈也、異日ニ至テ此道ヲ保守セン者ハ此道ノ後殿也、先駈ハ狂者ノ事也、後殿ハ猥者ノ事也、人生七十古來稀、今吾輩已ニ其二三十ヲ失フ、餘ル者日ニ減ス、已ニ先駈ヲ憚リ、又後殿ヲ讓戸上ノ耻辱、勃海ヲ傾テ是ヲ濯フ共、五百歲千歳ヲ経テ減スルコトナシ、如何々々、
新字:抑吾長門ノ国タル、西海ノ陬ニアリ、海ヲ隔テ、西鄒魯ト対持ス、鄒魯ノ聖賢ヲ喚起スコト固ヨリ長門人任也、余又常ニ謂フ、兵家ノ貴フ所ハ戦陣ノ魁殿ニアリ、魁ハ先馳也、殿ハ後駈也、今日ニ在テ此道ヲ起隆セン者ハ、道ノ先駈也、異日ニ至テ此道ヲ保守セン者ハ此道ノ後殿也、先駈ハ狂者ノ事也、後殿ハ猥者ノ事也、人生七十古来稀、今吾輩已ニ其二三十ヲ失フ、余ル者日ニ減ス、已ニ先駈ヲ憚リ、又後殿ヲ譲戸上ノ耻辱、勃海ヲ傾テ是ヲ濯フ共、五百歳千歳ヲ経テ減スルコトナシ、如何々々、
書き下し
抑々吾が長門の国たる、西海の陬にあり、海を隔てて西のかた鄒魯と対持す。鄒魯の聖賢を喚起すこと、固より長門人の任なり。余又常に謂ふ、兵家の貴ぶ所は戦陣の魁殿にあり。魁は先馳なり、殿は後駆なり。今日に在りて此の道を起隆せん者は道の先駆なり、異日に至りて此の道を保守せん者は此の道の後殿なり。先駆は狂者の事なり、後殿は獧者の事なり。人生七十古来稀なり、今吾が輩已に其の二三十を失ふ、余る者日に減ず。已に先駆を憚り、又後殿を譲らば、其の恥辱、渤海を傾けて是れを濯ふとも、五百歳千歳を経て減ずることなし。如何如何。
現代語訳
そもそもわが長門の国は西海の隅にあり、海を隔てて西に鄒・魯(孟子・孔子の故郷)と向かい合っている。鄒・魯の聖賢を呼び覚ますのは、もとより長門の人の任務である。私はまたいつも言う、兵家が重んじるのは戦陣の先陣と殿である。先陣は先に馳せる者、殿は後から押さえる者である。今日この道を起こし盛んにする者は道の先陣であり、後日この道を守り保つ者はこの道の殿である。先陣は狂者の役目、殿は狷者の役目である。人生七十は古来まれという。今われわれはすでにその二、三十年を失い、残りは日ごとに減っていく。先陣をはばかり、さらに殿まで人に譲るなら、その恥辱は、渤海の水を傾けて洗っても、五百年、千年たっても消えることはない。どうするのか、どうするのか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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葉隠・聞書第一何某(なにがし)申し候は、「しおがれ浪人などと云うは、難儀千万(なんぎせんばん)この上なき様に皆人思うて、その期(ご)には殊(こと)の外(ほか)しおがれ草臥(くたび)るる事なり。浪人して後(のち)は左程(さほど)にはなきものなり。今一度(いまいちど)浪人仕(つかまつ)りたし。」と云う。もっともの事なり。死の道も、平生(へいぜい)に死習(しになら)うては、心安(こころやす)く死ぬべき事なり。奉公人の打留(うちどめ)は浪人切腹(せっぷく)に極(きわ)まりたると、兼ねて覚悟すべきなり。災難は前方(ぜんぽう)了簡(りょうけん)したる程には無きものなるを、先を量(はか)つて苦しむは愚かなる事なり。
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葉隠・聞書第一打返しの仕様(しよう)は、踏懸けて切り殺さるるまでなり。これにて恥(はじ)にならぬなり。仕果(しは)たすべしと思ふゆゑ、間(ま)に合はず。向(むこう)は大勢(おおぜい)などと云ひて時を移し、しまり止(どめ)になる相談に極(きわ)まるなり。相手何千人もあれ、片端(かたはし)より撫切(なでぎ)りと思ひ定めて、立ち向ふまでにて成就(じょうじゅ)なり。多分(たぶん)仕(し)済ますものなり。又(また)浅野殿(あさのどの)浪人(ろうにん)夜討(ようち)も、泉岳寺(せんがくじ)にて腹切らぬが落度(おちど)なり。又主(しゅ)を討たせて、敵(かたき)を討つ事延び延びなり。若(も)し、その内に吉良殿(きらどの)病死の時は残念千万なり。上方衆(かみがたしゅう)は智慧(ちえ)かしこきゆゑ、褒めらるる仕様は上手(じょうず)なれども、長崎喧嘩(ながさきけんか)の様に無分別(むふんべつ)にする事はならぬなり。又曾我殿(そがどの)夜討も殊(こと)の外(ほか)の延引(えんいん)。幕(まく)の紋(もん)見物(けんぶつ)の時、祐成(すけなり)図(ず)をはづしたり。不運の事なり。五郎(ごろう)申し様(よう)見事なり。総(そう)じてかやうの批判(ひはん)はせぬものなれども、これも武道(ぶどう)の吟味(ぎんみ)なれば申すなり。前方(ぜんぽう)に吟味して置かねば、行(ゆ)き当りて分別(ふんべつ)出来(でき)合はぬゆゑ、おおかた恥になり候。話を聞き覚え、物の本を見るも、かねての覚悟のためなり。就中(なかんずく)、武道は今日の事も知らずと思ひて、日々夜々(ひびよよ)に箇条(かじょう)を立てて吟味すべき事なり。時の行掛(ゆきがか)りにて勝負はあるべし。恥をかかぬ仕様は別(べつ)なり。死ぬまでなり。これには智慧も業(わざ)も入らぬなり。死ぬまでといふは勝負を考へず、無二無三(むにむざん)に死狂(しにぐる)ひするばかりなり。これにて夢(ゆめ)覚むるなり。
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論語・憲問篇子曰く、『士にして居を懐(おも)えば、以て士と為すに足らず。』
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葉隠・聞書第一途中にて俄雨(にわかあめ)にあいて、濡れじとて道を急ぎ走り、軒下(のきした)などを通りても、濡るる濡るる事は替わらざるなり。初めより思いはまりて濡るる濡るる時、心に苦しみなく濡るる濡るる事は同じ。これ万(よろ)づにわたる心得なり。
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史記 刺客列伝是に於て太子豫め天下の利き匕首を求め、趙人徐夫人の匕首を得、之を百金に取り、工をして薬を以て之を焠かしめ、以て人に試むるに、血縷を濡らし、人立ちどころに死せざる者無し。乃ち装して荊卿を遣らんと為す。燕国に勇士秦舞陽有り。年十三にして人を殺す。人敢て忤視せず。乃ち秦舞陽をして副と為さしむ。荊軻待つ所有り、与に倶にせんと欲す。其の人遠きに居りて未だ来たらず。而して為に行を治む。頃之、未だ発せず。太子之を遅しとし、其の改悔せんことを疑ひ、乃ち復た請ひて曰く、「日已に尽きたり。荊卿豈に意有らんや。丹請ふ、先づ秦舞陽を遣るを得ん」と。荊軻怒り、太子を叱して曰く、「何ぞ太子の遣るや。往きて返らざる者は、豎子なり。且つ一匕首を提げて不測の彊秦に入る。僕の留まる所以の者は、吾が客を待ちて与に倶にせんとすればなり。今太子之を遅しとす。請ふ辞して決せん」と。遂に発す。太子及び賓客の其の事を知る者、皆白衣冠して以て之を送る。易水の上に至り、既に祖して、道を取る。高漸離筑を撃ち、荊軻和して歌ひ、変徴の声を為す。士皆涙を垂れて涕泣す。又前みて歌を為りて曰く、「風蕭蕭として易水寒し、壮士一たび去りて復た還らず」と。復た羽声を為して慷慨す。士皆目を瞋らし、髪尽く上りて冠を指す。是に於て荊軻車に就きて去り、終に已に顧みず。遂に秦に至り、
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葉隠・聞書第一古人(こじん)の覚悟は深き事なり。十三以上六十以下出陣と云う事あり。それ故に、古老(ころう)は年をかくすといえり。
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