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講孟余話 / 盡心下 第三十八章

古之人古之人ト云者ハ、狂者ノ常言也、余常ニ謂フ、古人今人異ナルコトナシ、古人モ郷原ハ郷原也、庸俗ハ庸俗也、今人モ豪傑ハ豪傑也、狂猥ハ狂猥也、但時汙隆アリ、時汙ナレハ郷原庸俗位ヲ得權ヲ專ニス、是ヲ小人道長スルノ時ト云、時隆ナレハ豪傑狂猥志ヲ得道ヲ行フ、是ヲ小人道消スルノ時ト云、小人時ニ消長アリト云ヘトモ、天地ノ正氣人心ノ道義ニ至テハ、往古來今暫クモ消長スルコトナシ、豈今人ヲ以テ遽カニ古人ヲ惧レンヤ、所謂古之人ト云ハ徒ニ年歲ノ久遠ヲ云フニ非ズ、堯舜湯文孔孟ノ如キ、是ヲ古之人ト云、堯舜湯文孔孟ノ如キハ、古昔ニモ稀ナル人ニテ、五百年乃チ一人アルノミ、唯其然リ、是ヲ以テ千万世ニ傳ヘテ泯滅スルコトナシ、乃是古人タル所以也、苟モ人々自ラ激昂セハ、今豈古ニ讓ランヤ、冀クハ今ヨリ諸君ト共ニ激昂シ、上往聖ヲ継キ、下萬世ヲ開クニ足ラハ、吾党ト雖トモ亦古之人ニ非ルハナシ、俗人ノ癖トシテ、古人ト云ヘハ神カ鬼カ天人カニテ、今人トハ天壤ノ隔絕ヲナセル如キ者ト思フ、是自暴自棄ノ極ニテ下ニ所謂不可與入堯舜之道トハ此人ナリ、

新字:古之人古之人ト云者ハ、狂者ノ常言也、余常ニ謂フ、古人今人異ナルコトナシ、古人モ郷原ハ郷原也、庸俗ハ庸俗也、今人モ豪傑ハ豪傑也、狂猥ハ狂猥也、但時汚隆アリ、時汚ナレハ郷原庸俗位ヲ得権ヲ専ニス、是ヲ小人道長スルノ時ト云、時隆ナレハ豪傑狂猥志ヲ得道ヲ行フ、是ヲ小人道消スルノ時ト云、小人時ニ消長アリト云ヘトモ、天地ノ正気人心ノ道義ニ至テハ、往古来今暫クモ消長スルコトナシ、豈今人ヲ以テ遽カニ古人ヲ惧レンヤ、所謂古之人ト云ハ徒ニ年歳ノ久遠ヲ云フニ非ズ、堯舜湯文孔孟ノ如キ、是ヲ古之人ト云、堯舜湯文孔孟ノ如キハ、古昔ニモ稀ナル人ニテ、五百年乃チ一人アルノミ、唯其然リ、是ヲ以テ千万世ニ伝ヘテ泯滅スルコトナシ、乃是古人タル所以也、苟モ人々自ラ激昂セハ、今豈古ニ譲ランヤ、冀クハ今ヨリ諸君ト共ニ激昂シ、上往聖ヲ継キ、下万世ヲ開クニ足ラハ、吾党ト雖トモ亦古之人ニ非ルハナシ、俗人ノ癖トシテ、古人ト云ヘハ神カ鬼カ天人カニテ、今人トハ天壤ノ隔絶ヲナセル如キ者ト思フ、是自暴自棄ノ極ニテ下ニ所謂不可与入堯舜之道トハ此人ナリ、

書き下し

「古の人、古の人」と云ふ者は、狂者の常言なり。余常に謂ふ、古人今人異なることなし。古人も郷原は郷原なり、庸俗は庸俗なり。今人も豪傑は豪傑なり、狂獧は狂獧なり。但だ時に汙隆あり。時汙なれば郷原庸俗位を得権を専らにす、是れを小人の道長ずるの時と云ふ。時隆なれば豪傑狂獧志を得道を行ふ、是れを小人の道消ずるの時と云ふ。小人時に消長ありと云へども、天地の正気、人心の道義に至りては、往古来今暫くも消長することなし。豈に今人を以て遽かに古人を惧れんや。所謂古の人と云ふは、徒に年歳の久遠を云ふに非ず。堯・舜・湯・文・孔・孟の如き、是れを古の人と云ふ。堯・舜・湯・文・孔・孟の如きは、古昔にも稀なる人にて、五百年に乃ち一人あるのみ。唯だ其れ然り、是れを以て千万世に伝へて泯滅することなし、乃ち是れ古人たる所以なり。苟も人々自ら激昂せば、今豈に古に譲らんや。冀はくは今より諸君と共に激昂し、上往聖を継ぎ、下万世を開くに足らば、吾が党と雖も亦古の人に非ざるはなし。俗人の癖として、古人と云へば神か鬼か天人かにて、今人とは天壌の隔絶をなせる如き者と思ふ。是れ自暴自棄の極にて、下に所謂「与に堯舜の道に入るべからず」とは此の人なり。

現代語訳

「古の人は、古の人は」と言うのは狂者の口癖である。私はいつも言う、昔の人と今の人に違いはない。昔の人にも郷原は郷原、凡俗は凡俗としていた。今の人にも豪傑は豪傑、狂者・狷者は狂者・狷者としている。ただ時代に盛衰がある。時代が衰えれば、郷原や凡俗が地位を得て権力をほしいままにする。これを小人の道が伸びる時という。時代が盛んになれば、豪傑や狂者・狷者が志を得て道を行う。これを小人の道が消える時という。小人には時によって伸び縮みがあるが、天地の正しい気や人の心の道義は、昔から今まで少しも伸び縮みすることはない。どうして今の人だからといって、にわかに昔の人を恐れることがあろうか。いわゆる古の人とは、ただ年月が古いということではない。堯・舜・湯王・文王・孔子・孟子のような人を古の人という。こうした人は昔でもまれで、五百年にやっと一人いるだけである。まさにそうであるからこそ、千万世に伝わって消えることがない。それが古人の古人たるゆえんである。いやしくも人々が自ら奮い立つなら、今の人がどうして昔に譲ろうか。願わくは、今から諸君とともに奮い立ち、上は過去の聖人を継ぎ、下は万世を開くに足るなら、われわれもまた古の人でないことはない。俗人の癖として、古人といえば神か鬼か天人のように思い、今の人とは天と地ほどかけ離れたものと考える。これは自暴自棄の極みで、後の文にいう「ともに堯舜の道に入ることはできない」とはこういう人のことである。

解説

狂者は口癖のように「古の人は」と言います。松陰はそれを受けて、昔の人と今の人に違いはないと言い切ります。いつの時代にも郷原もいれば豪傑もいて、違うのは時代の盛衰だけだ、と。古人とは単に昔の人ではなく、五百年に一人というほどの志を貫いた人のことであり、今の者も奮い立てばそうなれる。偉人を神棚に上げて自分とは無縁だと思うことこそ自暴自棄だ、という言葉は、獄中の仲間と若い門下生への最大の励ましでした。憧れの人を遠ざけず、自分も同じ道を歩けると考える勇気を与えてくれる一節です。

この章句が説くこと

志古人自暴自棄奮起偉人

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