講孟余話 / 盡心下 第三十六章
然ルニ一老先生ノ說ノ如ク、道ハ天地ノ間一理ニシテ、其原ハ天ヨリ出ツ、我ト人トノ差ナク、我国ト他ノ国トノ別ナシト云テ、皇国ノ君臣ヲ漢土ノ君臣ト同一ニ論スルハ、余カ萬々服セサル所也、况ヤ孟子已ニ其此理アルコトヲ論スルコト明々ナルヲヤ、大氏五大洲公共ノ道アリ、各一洲公共ノ道アリ、皇国漢土諸屬国南鮮安南琉球臺灣ノ類公共ノ道アリ、六十六国公共ノ道アリ、皆所謂同ナリ、其獨ニ至テハ一家ノ道、隣家ニ異ナリ、一村一郡ノ道、隣村隣郡ニ異ナリ、一国ノ道、隣国ニ異ナル者アリ、故ニ一家ニテハ庭訓ヲ守リ、一村一郡ニテハ村郡ノ古風ヲ存シ、一国ニ於テハ国法ヲ奉シ、皇国ニ居テハ皇国ノ体ヲ仰ク、然ル後漢土聖人ノ道ヲモ学フヘシ、天竺釈氏ノ教ヲモ問フヘシ、訓ト云ヒ、風ト云ヒ、法ト云ヒ、体ト云フ、合セテ是ヲ云ヘハ道ナリ、皇国ノ事ハ云迄モナキコト也、水府ノ論ノ如ク、漢土ハ実ニ日本ト風氣相近ケレハ、道モ大ニ同シ、但歐羅巴米利堅利未亞諸洲ニ於テハ、土地隔遠ニテ風氣通セサル故ニヤ、人倫ノ大道サヘモ其義ヲ失フコトアリ、况ヤ其他ノ小道ニ於テヲヤ、然トモ彼ニ在テハ亦自ラ視テ以テ正道トス、彼ノ道ヲ改メテ我道ニ從ハセ難キハ、猶吾ノ萬々彼ノ道ニ從フヘカラサルカ如シ、然ルニ强テ天地間一理ト云トモ、実事ニ於テ不通ト云フヘシ、獨同ノ義ヲ以テ是ヲ推究スヘシ、六月仲三夜第三十七章
新字:然ルニ一老先生ノ説ノ如ク、道ハ天地ノ間一理ニシテ、其原ハ天ヨリ出ツ、我ト人トノ差ナク、我国ト他ノ国トノ別ナシト云テ、皇国ノ君臣ヲ漢土ノ君臣ト同一ニ論スルハ、余カ万々服セサル所也、況ヤ孟子已ニ其此理アルコトヲ論スルコト明々ナルヲヤ、大氏五大洲公共ノ道アリ、各一洲公共ノ道アリ、皇国漢土諸属国南鮮安南琉球台湾ノ類公共ノ道アリ、六十六国公共ノ道アリ、皆所謂同ナリ、其独ニ至テハ一家ノ道、隣家ニ異ナリ、一村一郡ノ道、隣村隣郡ニ異ナリ、一国ノ道、隣国ニ異ナル者アリ、故ニ一家ニテハ庭訓ヲ守リ、一村一郡ニテハ村郡ノ古風ヲ存シ、一国ニ於テハ国法ヲ奉シ、皇国ニ居テハ皇国ノ体ヲ仰ク、然ル後漢土聖人ノ道ヲモ学フヘシ、天竺釈氏ノ教ヲモ問フヘシ、訓ト云ヒ、風ト云ヒ、法ト云ヒ、体ト云フ、合セテ是ヲ云ヘハ道ナリ、皇国ノ事ハ云迄モナキコト也、水府ノ論ノ如ク、漢土ハ実ニ日本ト風気相近ケレハ、道モ大ニ同シ、但欧羅巴米利堅利未亜諸洲ニ於テハ、土地隔遠ニテ風気通セサル故ニヤ、人倫ノ大道サヘモ其義ヲ失フコトアリ、況ヤ其他ノ小道ニ於テヲヤ、然トモ彼ニ在テハ亦自ラ視テ以テ正道トス、彼ノ道ヲ改メテ我道ニ従ハセ難キハ、猶吾ノ万々彼ノ道ニ従フヘカラサルカ如シ、然ルニ強テ天地間一理ト云トモ、実事ニ於テ不通ト云フヘシ、独同ノ義ヲ以テ是ヲ推究スヘシ、六月仲三夜第三十七章
書き下し
然るに一老先生の説の如く、道は天地の間一理にして、其の原は天より出づ、我と人との差なく、我が国と他の国との別なしと云ひて、皇国の君臣を漢土の君臣と同一に論ずるは、余が万々服せざる所なり。況んや孟子已に其の此の理あることを論ずること明々なるをや。大氐五大洲公共の道あり、各々一洲公共の道あり、皇国・漢土・諸属国(南鮮・安南・琉球・台湾の類)公共の道あり、六十六国公共の道あり、皆所謂同なり。其の独に至りては、一家の道、隣家に異なり、一村一郡の道、隣村隣郡に異なり、一国の道、隣国に異なる者あり。故に一家にては庭訓を守り、一村一郡にては村郡の古風を存し、一国に於ては国法を奉じ、皇国に居りては皇国の体を仰ぐ。然る後漢土聖人の道をも学ぶべし、天竺釈氏の教へをも問ふべし。訓と云ひ、風と云ひ、法と云ひ、体と云ふ、合はせて是れを云へば道なり。皇国の事は云ふ迄もなきことなり。水府の論の如く、漢土は実に日本と風気相近ければ、道も大いに同じ。但だ欧羅巴・米利堅・利未亜諸洲に於ては、土地隔遠にて風気通ぜざる故にや、人倫の大道さへも其の義を失ふことあり、況んや其の他の小道に於てをや。然れども彼に在りては亦自ら視て以て正道とす。彼の道を改めて我が道に従はせ難きは、猶吾の万々彼の道に従ふべからざるが如し。然るに強ひて天地間一理と云ふとも、実事に於て不通と云ふべし。独同の義を以て是れを推究すべし。六月仲三夜。第三十七章。
現代語訳
ところが、ある老先生の説のように、道は天地の間にただ一つの理で、その源は天から出ており、自分と他人の差もなく、わが国と他国の別もないと言って、わが国の君臣を中国の君臣と同じに論じるのは、私の決して承服できないところである。まして孟子がすでに、その区別の理があることをはっきり論じているのだからなおさらだ。おおよそ、五大陸に共通の道があり、それぞれの大陸に共通の道があり、わが国・中国・周辺の国々(南鮮・安南・琉球・台湾の類)に共通の道があり、日本の六十六か国に共通の道がある。これらはみな、いわゆる「同」である。「独」となると、一つの家の道は隣の家と異なり、一つの村や郡の道は隣の村や郡と異なり、一つの国の道は隣の国と異なるものがある。だから家にあっては家訓を守り、村や郡にあってはその古い風習を保ち、一国においてはその国の法を奉じ、わが国にあってはわが国の体を仰ぐ。そのうえで中国の聖人の道も学ぶべきであり、インドの釈迦の教えも尋ねるべきである。訓といい、風といい、法といい、体という。合わせて言えば道である。わが国のことは言うまでもない。水戸の論のように、中国はまことに日本と風土気候が近いので、道も大いに同じである。ただヨーロッパ・アメリカ・アフリカの諸大陸は、土地が遠く隔たって風土気候が通じないせいか、人倫の大道でさえその義を失うことがある。まして他の小さな道においてはなおさらだ。しかし彼らは彼らで、自分たちの道を正しい道と見ている。彼らの道を改めてわれわれの道に従わせるのが難しいのは、ちょうどわれわれが決して彼らの道に従うべきでないのと同じである。それなのに無理に天地の間にはただ一つの理しかないと言っても、実際の事柄においては通用しないと言うべきだ。「独」と「同」の区別によって、これを推し究めるべきである。六月十三日の夜。第三十七章。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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言志四録・言志録 第百三十一条 此の道は只だ是れ一貫茫茫たる宇宙、此の道は只だ是れ一貫なり。人より之を視れば、中国有り、夷狄有り。天より之を視れば、中国無く、夷狄無し。中国に秉彝の性有り、夷狄にも亦秉彝の性有り。中国に惻隠羞悪辞譲是非の情有り、夷狄にも亦惻隠羞悪辞譲是非の情有り。中国に父子君臣夫婦長幼朋友の倫有り、夷狄にも亦父子君臣夫婦長幼朋友の倫有り。天寧ぞ厚薄愛憎を其の間に有らんや。此の道の只だ是れ一貫なる所以なり。但だ漢土の古聖人の此の道を発揮する者独り先んじ、又独り精し。故に其の言語文字は以て人心を興起するに足る。而して其の実は則ち道は人心に在りて、言語文字の能く尽す所に非ず。若し道独り漢土の文字に在りと謂はば、則ち試みに之を思へ。六合の内、同文の域凡そ幾か有る。而して猶ほ治乱有り。其の余の横文の俗も、亦能く其の性を性とし、足らざる所無く、其の倫を倫とし、具はらざる所無く、以て其の生を養ひ、以て其の死を送る。然らば則ち道は豈独り漢土の文字に在るのみならんや。天果して厚薄愛憎の殊有りと云はんや。
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『十善法語』巻第二・不偸盜戒世間ノ中ニ。此真正法有テ常ニ世間ヲ利益スル。仰テ仰テ日月ヲ視カ如ク。目アル者ハ悉ク視ル。仏出世ニモアレ。仏不出世ニモアレ。此世界アリ此人間アレハ。此十善有テ常ニ随逐スルシヤ。雷霆ノ声ヲ発スル如ク。耳アル者ハ悉ク聞ク。仏出世ニモアレ。仏不出世ニモアレ。此世界アリ此人間アレハ。此十善有テ常ニ随逐スルシヤ。但業障深重ノ者カ世途ニ奔走シテ自ラ此道有コトヲ知ラス。世智弁聰ノ者カ非理ニ巣窟ヲ構ヘテ自ラ其中ニ入シヤ。一類ノ者カ云。戒法ハ唯是僧徒忍辱ノ行ナリ。此ヲ世間権門ニ用ユヘキナラス。若此戒法ヲ持テハ。慈愛ニ過テ。怯弱者ニナルト。此類悉ク謬タコトシヤ。
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『十善法語』巻第二・不偸盜戒若通シテ云ハ。此天地有テ此国土アルシヤ。日月星辰天ノ条理トナル。山沢河海地ノ条理トナル。此国土有テ此人物アルシヤ。君臣尊卑国ノ条理トナル。父子夫婦昆弟家ノ条理トナル。国土ナラヌ天地無ク。人物止住セヌ国土ナシ。此人物有テ此道アルシヤ。人物有テ道ナキ国家アラス。其国ヨリ云ハ何ノ国カ上国ナラサルヘク。其道ヨリ云ハ何レノ道カ真正ナラサルヘキ。然レトモ道ニ大小邪正アリ。国ニ勝国劣国ノ別アリ。人ニ賢愚有テ。此国ノ教ハ彼国ニ通セス。彼人ヲ導ク教ハ此人ニ通セス。智人ヲ導ク教ハ愚者ニ施スヘカラス。愚者ヲ誘フ教ハ智人ニ通スヘカラス。男子ノ教ハ女人ニ用フヘカラス。女人ノ教ハ男子ニ用フヘカラス。貴人ノ道ト賤者ノ作法モ互ニ通スヘカラス。匈奴ヨリ漢国ノ礼儀ヲ非スル。漢国ヨリ夷狄ヲ賤ル。助テイハハ可ナリ。唯此十善ノミ万国ニ推通シ。古今ニ推通シ。智愚賢不肖貴賤男女ニ推通シテ。道トスヘキ道シヤ。
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『講孟余話』盡心下 第三十六章「膾炙は同じき所なり、羊棗は独りする所なり。名を諱みて姓を諱まず、姓は同じき所なり、名は独りする所なり」。羊棗と膾炙、姓と名、一は同じく、一は独りなり。同じきを食して独りを食せず、同じきを諱まずして独りを諱む、孟子の道を論ずる精密と云ふべし。請ふ其の詳を敷衍せん。道は天下公共の道にして所謂同なり。国体は一国の体にして所謂独なり。君臣・父子・夫婦・長幼・朋友、五者は天下の同なり。皇朝君臣の義万国に卓越する如きは、一国の独なり。匈奴の壮者は肥美を食ひ、老者は其の余を飲食し、壮健を貴び、老弱を賤しみ、父死すれば其の後母を妻とし、兄弟死すれば皆其の妻を取りて是れを妻とする如きは、亦其の一国の独なり。名を諱みて羊棗を食はざるの義を以て是れを推すに、国体の最も重きこと知るべし。然れども道は総名なり、故に大小精粗皆是れを道と云ふ。然れば国体も亦道なり。国俗と国体とは自ら別なり。大氐国に自然の俗あり、聖人起りて其の善を采り、其の悪を濯ひ、一箇の体格を成す時は、是れを国体と云ふ。匈奴の事の如きは、国俗の陋悪なるものなり。今皇国君臣の体に比して云ふは、頗る不倫に似たり。然れども是れ特に独同の別を顕すのみ。況んや体俗自ら別なりと云へども、其の原亦一致なるを以てなり。
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