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講孟余話 / 盡心下 第三十三章

此章動容周旋中礼ヨリ、言語必信ナルニ至ル迄、凡ソ四事、皆聖人ノ行事、勉强作爲ヲ假ラズシテ自然ル出ルヲ云、即上二十五章ニ所謂大而化之之謂聖ト云者ナリ、朱子曰、不思不勉、從容中道、而非人力之所能爲矣、張子曰、大可爲也、化不可爲也、在熟之而已矣、並二十五章註唯此四事ヲ目的トシテ勉強スヘシ、作爲スルモ亦妨ナシ、張子熟之ノ二字尤モ妙トス

新字:此章動容周旋中礼ヨリ、言語必信ナルニ至ル迄、凡ソ四事、皆聖人ノ行事、勉強作為ヲ仮ラズシテ自然ル出ルヲ云、即上二十五章ニ所謂大而化之之謂聖ト云者ナリ、朱子曰、不思不勉、従容中道、而非人力之所能為矣、張子曰、大可為也、化不可為也、在熟之而已矣、並二十五章註唯此四事ヲ目的トシテ勉強スヘシ、作為スルモ亦妨ナシ、張子熟之ノ二字尤モ妙トス

書き下し

此の章、「動容周旋礼に中る」より、「言語必ず信なり」に至る迄、凡そ四事、皆聖人の行事、勉強作為を仮らずして自然に出づるを云ふ。即ち上の二十五章に所謂「大にして之れを化する、之れを聖と謂ふ」と云ふ者なり。朱子曰く、「思はず勉めず、従容として道に中るは、人力の能く為す所に非ず」と。張子曰く、「大は為すべきなり、化は為すべからざるなり、之れを熟するに在るのみ」と(並びに二十五章の註)。唯だ此の四事を目的として勉強すべし、作為するも亦妨げなし。張子の「熟之」の二字尤も妙とす。

現代語訳

この章の「立ち居振る舞いがすべて礼にかなう」から「言葉が必ず誠実である」までの四つのことは、どれも聖人の行いで、努力や作為によらず自然に出てくることを言っている。すなわち前の二十五章でいう「大きくなって自然に人を感化するのを聖という」ものである。朱子は「考えず努めずとも、ゆったりと道にかなうのは、人の力でできることではない」と言い、張載は「大きくなることはできる。感化することは努めてできるものではない。熟するかどうかにかかっているだけだ」と言う(いずれも二十五章の注)。ただこの四つを目標として努力すればよい。作為があってもかまわない。張載の「熟する」の二字がもっとも見事である。

解説

孟子は、立ち居振る舞いが自然に礼にかない、言葉が必ず誠実であるといった聖人の徳は、何かを得るためにするのではないと説きました。朱子は、それは人の力でできることではないと注しています。松陰はそれを認めたうえで、凡人はこの四つを目標にして努力すればよい、作為があってもかまわないと言い切ります。張載の「熟する」の二字を妙とするのは、努力を重ねるうちにやがて自然になる、という道筋が見えるからでしょう。最初はぎこちない型も、続ければ身につく。習慣づくりに悩む人を励ます一節です。

この章句が説くこと

習熟努力聖人礼習慣

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