講孟余話 / 盡心下 第二十七章
有布縷之征、粟米之征、力役之征、君子用其一、緩其二、用其二而民有殍、用其三、而父子離、余從來未タ周礼ヲ読マス、故ニ此章ニ於テ考証ヲ得ス、又漢書食貨志ニ於テモ考フル所ナシ、然トモ註ニ拠レハ一民ヨリ三征ヲ三時ニ取ルニ似タリ、余窃カニ之ヲ疑フ、公孫丑上篇第五章ニ云ク、廛無夫里之布、則天下之民皆悅而願爲之氓矣、註ニ云ク、周礼宅不毛者、有里布、民無職事者、出夫家之征、鄭氏謂、宅不種桑麻者、罰之、使出一里二十五家之布、民無常業者、罰之、使出一夫百畝之稅、一家力役之征也、今戰國時、一切取之、市宅之民、已賦其廛、又令出此夫里之布、非先王之法也、ト、按スルニ所謂里布ハ即チ布縷ノ征、夫征ハ即チ粟米ノ征、家征ハ即チ力役ノ征ニ似タリ、而シテ朱注前ニハ非先王之法也ト云ヒ、斯ニハ當各以其時ト云ハ、前後矛盾セリ、然トモ周礼鄭說最モ疑フヘシ、職事ナキノ民ヲシテ、夫家ノ征ヲ出サシムト云コト、遊民ヲ苦シムル爲メトハ云ヘトモ、断々乎トシテ行ハレサルコト也、里布ト云モ詳ナラズ、或ハ二十五家用ユル所ノ鈔ヲ作ル布ト云ト雖モ、吾敢テ信セス、故ニ直ニ其布縷ノ征タルヲ疑フ也、
新字:有布縷之征、粟米之征、力役之征、君子用其一、緩其二、用其二而民有殍、用其三、而父子離、余従来未タ周礼ヲ読マス、故ニ此章ニ於テ考証ヲ得ス、又漢書食貨志ニ於テモ考フル所ナシ、然トモ註ニ拠レハ一民ヨリ三征ヲ三時ニ取ルニ似タリ、余窃カニ之ヲ疑フ、公孫丑上篇第五章ニ云ク、廛無夫里之布、則天下之民皆悦而願為之氓矣、註ニ云ク、周礼宅不毛者、有里布、民無職事者、出夫家之征、鄭氏謂、宅不種桑麻者、罰之、使出一里二十五家之布、民無常業者、罰之、使出一夫百畝之税、一家力役之征也、今戦国時、一切取之、市宅之民、已賦其廛、又令出此夫里之布、非先王之法也、ト、按スルニ所謂里布ハ即チ布縷ノ征、夫征ハ即チ粟米ノ征、家征ハ即チ力役ノ征ニ似タリ、而シテ朱注前ニハ非先王之法也ト云ヒ、斯ニハ当各以其時ト云ハ、前後矛盾セリ、然トモ周礼鄭説最モ疑フヘシ、職事ナキノ民ヲシテ、夫家ノ征ヲ出サシムト云コト、遊民ヲ苦シムル為メトハ云ヘトモ、断々乎トシテ行ハレサルコト也、里布ト云モ詳ナラズ、或ハ二十五家用ユル所ノ鈔ヲ作ル布ト云ト雖モ、吾敢テ信セス、故ニ直ニ其布縷ノ征タルヲ疑フ也、
書き下し
「布縷の征、粟米の征、力役の征有り。君子は其の一を用ひて、其の二を緩くす。其の二を用ふれば民に殍有り、其の三を用ふれば父子離る」。余従来未だ周礼を読まず、故に此の章に於て考証を得ず。又漢書食貨志に於ても考ふる所なし。然れども註に拠れば一民より三征を三時に取るに似たり。余窃かに之れを疑ふ。公孫丑上篇第五章に云く、「廛に夫里の布無ければ、則ち天下の民皆悦びて之れが氓と為らんことを願ふ」。註に云く、「周礼に宅の不毛なる者には里布有り、民の職事無き者には夫家の征を出さしむ。鄭氏謂ふ、宅に桑麻を種ゑざる者は之れを罰し、一里二十五家の布を出さしむ。民の常業無き者は之れを罰し、一夫百畝の税、一家力役の征を出さしむと。今戦国の時、一切之れを取り、市宅の民、已に其の廛に賦し、又此の夫里の布を出さしむるは、先王の法に非ざるなり」と。按ずるに所謂里布は即ち布縷の征、夫征は即ち粟米の征、家征は即ち力役の征に似たり。而して朱注、前には「先王の法に非ざるなり」と云ひ、斯には「当に各々其の時を以てすべし」と云ふは、前後矛盾せり。然れども周礼鄭説最も疑ふべし。職事なきの民をして夫家の征を出さしむと云ふこと、遊民を苦しむる為めとは云へども、断々乎として行はれざることなり。里布と云ふも詳らかならず。或は二十五家用ゆる所の鈔を作る布と云ふと雖も、吾敢へて信ぜず。故に直ちに其の布縷の征たるを疑ふなり。
現代語訳
「布の税、穀物の税、労役の税がある。君子はそのうち一つを用い、ほかの二つは緩める。二つを用いれば民に餓死者が出、三つを用いれば親子が離散する」。私はこれまで『周礼』を読んでいないので、この章について考証ができない。『漢書』食貨志でも考えられることがない。しかし注によれば、一人の民から三つの税を三つの季節に取るように見える。私はひそかにこれを疑う。公孫丑上篇第五章に「市の住まいに夫里の布を課さなければ、天下の民はみな喜んでその国の民になりたいと願う」とある。その注に「『周礼』では、宅地に桑や麻を植えない者には里布があり、職のない民には夫家の征を出させた。鄭玄は、宅地に桑麻を植えない者は罰として一里二十五家分の布を出させ、定職のない民は罰として一夫百畝分の税と一家の労役を出させた、と言う。今の戦国の世では、これらをすべて取り立て、市の住民にはすでに住まいの税をかけたうえ、さらに夫里の布まで出させている。これは先王の法ではない」とある。考えるに、いわゆる里布は布の税、夫征は穀物の税、家征は労役の税にあたるようだ。ところが朱子の注は、前のところでは「先王の法ではない」と言い、ここでは「それぞれの季節に取るべきだ」と言っていて、前後が矛盾している。しかも『周礼』の鄭玄の説はいちばん疑わしい。職のない民に夫家の征を出させるというのは、遊民を苦しめて働かせるためとは言っても、とうてい行われるはずのないことだ。里布というのも詳しくわからない。二十五家で使う紙幣を作る布だという説もあるが、私はとても信じない。だから、これをそのまま布の税とする説を疑うのである。
解説
この章句が説くこと
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