講孟余話 / 盡心下 第二十七章
余別ニ臆度ヲリ、凡ソ民征ハ粟米ヲ出ス其常ナリ、然トモ地ニ因テハ布縷ヲモ出サスヘシ、吾藩山代德地諸宰判ノ紙ノ如キ、又力役ヲ用ユル時ハ、布縷穀米ノ常征ヲ免スルコトモアルヘシ、是力征ヲ以テ征トスル也、凡ソ征ニ此三等アリ、各其便ニ從テ一等ヲ出サシムルノミ、其二ヲ用レハ民餓殍アリ、其三ヲ用レハ父子離散スルトナリ、豈ニ一民ヨリ三征ヲ三時ニ取ルニ似得ンヤ、力征ノ事、漢ノ董仲舒云ク、古者役民歲不過三日ト、然トモ土功軍旅非常ノ興作アラン時ハ、恐クハ三日ニテハ澄マシキ也、故ニ三日ハ當リ前ノ力征ニテ、三日ヲ過ル時ハ日数ヲ筭ヘ、五日ナレハ常征ノ何分ヲ減シ、十日ナレハ何分ヲ減スルト定メ、迭ニ減スルノ法アルヘシ、是即チ力役ノ制也、然トモ是皆制度上ノ事、古ヲ執テ今ヲ論シ難ケレハ皆空論ナリ、唯用其一而緩其二ノ一句ヲ味フヘシ、仁斎ノ說ニハ用者謂用之於己、緩者存其餘而不取盈之謂トアリ、朱註民ニ取ルノ意トスル者ト同シカラズ、余未タ其當否ヲ決スルコト能ハサレトモ、民政ノ要務ハ節儉ト仁斎用ノ說是ニ當ル儲蓄トニ仁斎緩ノ說是ニ當ルアルコトナレハ、仁斎ノ說、文モ理モ共ニ眞切ナルヲ覚フル也
新字:余別ニ臆度ヲリ、凡ソ民征ハ粟米ヲ出ス其常ナリ、然トモ地ニ因テハ布縷ヲモ出サスヘシ、吾藩山代徳地諸宰判ノ紙ノ如キ、又力役ヲ用ユル時ハ、布縷穀米ノ常征ヲ免スルコトモアルヘシ、是力征ヲ以テ征トスル也、凡ソ征ニ此三等アリ、各其便ニ従テ一等ヲ出サシムルノミ、其二ヲ用レハ民餓殍アリ、其三ヲ用レハ父子離散スルトナリ、豈ニ一民ヨリ三征ヲ三時ニ取ルニ似得ンヤ、力征ノ事、漢ノ董仲舒云ク、古者役民歳不過三日ト、然トモ土功軍旅非常ノ興作アラン時ハ、恐クハ三日ニテハ澄マシキ也、故ニ三日ハ当リ前ノ力征ニテ、三日ヲ過ル時ハ日数ヲ筭ヘ、五日ナレハ常征ノ何分ヲ減シ、十日ナレハ何分ヲ減スルト定メ、迭ニ減スルノ法アルヘシ、是即チ力役ノ制也、然トモ是皆制度上ノ事、古ヲ執テ今ヲ論シ難ケレハ皆空論ナリ、唯用其一而緩其二ノ一句ヲ味フヘシ、仁斎ノ説ニハ用者謂用之於己、緩者存其余而不取盈之謂トアリ、朱註民ニ取ルノ意トスル者ト同シカラズ、余未タ其当否ヲ決スルコト能ハサレトモ、民政ノ要務ハ節倹ト仁斎用ノ説是ニ当ル儲蓄トニ仁斎緩ノ説是ニ当ルアルコトナレハ、仁斎ノ説、文モ理モ共ニ真切ナルヲ覚フル也
書き下し
余別に臆度あり。凡そ民の征は粟米を出す、其の常なり。然れども地に因りては布縷をも出さすべし、吾が藩の山代・徳地諸宰判の紙の如き。又力役を用ゆる時は、布縷穀米の常征を免ずることもあるべし。是れ力征を以て征とするなり。凡そ征に此の三等あり、各々其の便に従ひて一等を出さしむるのみ。其の二を用ふれば民に餓殍あり、其の三を用ふれば父子離散すとなり。豈に一民より三征を三時に取るに似んや。力征の事、漢の董仲舒云く、「古者民を役すること歳に三日に過ぎず」と。然れども土功・軍旅・非常の興作あらん時は、恐らくは三日にては済まじきなり。故に三日は当り前の力征にて、三日を過ぐる時は日数を算へ、五日なれば常征の何分を減じ、十日なれば何分を減ずると定め、迭ひに減ずるの法あるべし。是れ即ち力役の制なり。然れども是れ皆制度上の事、古を執りて今を論じ難ければ皆空論なり。唯「其の一を用ひて其の二を緩くす」の一句を味ふべし。仁斎の説には「用ふとは之れを己に用ふるを謂ひ、緩くすとは其の余を存して盈つるを取らざるの謂なり」とあり、朱註の民に取るの意とする者と同じからず。余未だ其の当否を決すること能はざれども、民政の要務は節倹と(仁斎の用の説是れに当る)儲蓄と(仁斎の緩の説是れに当る)にあることなれば、仁斎の説、文も理も共に真切なるを覚ゆるなり。
現代語訳
私には別に推測がある。民の税は穀物を出すのが通常だが、土地によっては布を出させることもあるだろう。わが藩の山代・徳地などの宰判で紙を納めるようなものである。また労役を課すときは、布や穀物の通常の税を免除することもあるだろう。これが労役をもって税とするということだ。税にはこの三種があり、それぞれ都合に合わせて一種を出させるだけである。そのうち二つを課せば民に餓死者が出、三つ課せば親子が離散する、というのである。どうして一人の民から三つの税を三つの季節に取ることになろうか。労役については、漢の董仲舒が「昔は民を使役するのは年に三日を超えなかった」と言っている。しかし土木工事や戦、非常の工事があるときは、おそらく三日では済まない。だから三日は通常の労役とし、三日を超えるときは日数を数え、五日なら通常の税を何割減じ、十日なら何割減じると定めて、互いに差し引く法があったはずだ。これが労役の制度である。だが、これらはみな制度の話で、昔の例をとって今を論じるのは難しいから、みな空論である。ただ「その一つを用いて二つを緩める」の一句を味わうべきだ。伊藤仁斎の説では「用いるとは自分のために使うことであり、緩めるとは余りを残して満ちるまで取らないことだ」とあり、朱子の注が民から取ることと解するのとは違う。私はまだどちらが正しいか決められないが、民政の要は倹約すること(仁斎の「用いる」の説がこれにあたる)と蓄えること(仁斎の「緩める」の説がこれにあたる)にあるのだから、仁斎の説は文も理もともに切実であると思う。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『講孟余話』盡心下 第二十七章「布縷の征、粟米の征、力役の征有り。君子は其の一を用ひて、其の二を緩くす。其の二を用ふれば民に殍有り、其の三を用ふれば父子離る」。余従来未だ周礼を読まず、故に此の章に於て考証を得ず。又漢書食貨志に於ても考ふる所なし。然れども註に拠れば一民より三征を三時に取るに似たり。余窃かに之れを疑ふ。公孫丑上篇第五章に云く、「廛に夫里の布無ければ、則ち天下の民皆悦びて之れが氓と為らんことを願ふ」。註に云く、「周礼に宅の不毛なる者には里布有り、民の職事無き者には夫家の征を出さしむ。鄭氏謂ふ、宅に桑麻を種ゑざる者は之れを罰し、一里二十五家の布を出さしむ。民の常業無き者は之れを罰し、一夫百畝の税、一家力役の征を出さしむと。今戦国の時、一切之れを取り、市宅の民、已に其の廛に賦し、又此の夫里の布を出さしむるは、先王の法に非ざるなり」と。按ずるに所謂里布は即ち布縷の征、夫征は即ち粟米の征、家征は即ち力役の征に似たり。而して朱注、前には「先王の法に非ざるなり」と云ひ、斯には「当に各々其の時を以てすべし」と云ふは、前後矛盾せり。然れども周礼鄭説最も疑ふべし。職事なきの民をして夫家の征を出さしむと云ふこと、遊民を苦しむる為めとは云へども、断々乎として行はれざることなり。里布と云ふも詳らかならず。或は二十五家用ゆる所の鈔を作る布と云ふと雖も、吾敢へて信ぜず。故に直ちに其の布縷の征たるを疑ふなり。
-
『講孟余話』盡心上 第二十三章是れ上章養老の説を承けて、民政を論ずるなり。「其の田疇を易む」とは、民に農業を出精させ、田畠を荒させぬことなり。「其の税斂を薄くす」とは、取箇を軽くすることなり。民出精するとも、取箇重くては民の成り立つべき様なし。取箇軽ければ、民も自ら励みて出精する者なり。余老農の言を聞く、「精農は田畠の端々を善く易む。端々は僅か一二尺宛にても甚だ広し。惰農は中計り耕して端々を荒らす。是れを以て同じく百畝の田も、農の精惰に因りて夥しく饒歉あることなり」と。余謂へらく、是れ「其の田疇を易む」の解とすべし。「之を食ふに時を以てす」は、民に飲食の侈りをさせぬことなり。「之を用ふるに礼を以てす」とは、民に万事過分なることをさせぬことなり。田疇能く易まり、税斂又軽くとも、民間奢侈にして過分の事多ければ、貧弱となる基なり。其の極は田疇も荒れ、軽き税斂も重く覚ゆるなり。此の四つの者は民政の始めにして、此の四つ已に行はるれば、「倉廩実ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」の理にて、民不仁なる者なきにも至るべし。是れを行はずして、書面の下知を以て民を有難がらせ、聖経仏典を借りて民を服させんとするは、末なるかな、末なるかな。
-
『講孟余話』告子下 第十章抑も本朝及び漢の制、能く三十にして一を税して足りて、唐虞三代は乃ち十一ならざれば足らず。方今邦国の税に至りては四公六民と云へば、十一より更に重し。是れ其の故何ぞや。蓋し封建の制は、百官有司衆多にして穀禄も重く、且つ世襲す。会同朝覲、儀衛盛んに、礼文繁し。是れ唐虞三代の税重き所以なり。特に当今の如きは、無用の武士・無用の僧徒・無用の工商甚だ夥しき上に、奢侈淫逸の風甚しく、加之江戸の参勤年々大役を興す。是れ税の更に重き所以なり。郡県の制は、郡守・県令・国司・郡司皆当座物にて世襲するに非ず、故に臣隷も少く百事簡易なり。是れ本朝及び漢代の税軽き所以なり。然れども封建・郡県は立国の大体なれば、各得失ありと云へども、勢変更せらるる者に非ず。唯封建の制にても簡易の政を行はば、税を軽くするの実あるべし。郡県の制にても繁冗の政を行はば、税の重きを免かれず。且つ余疑ふ、三代の税の大略、滕文公上篇第三章に「其の実は皆什一なり」とあれども、堯舜の税法は他篇に於て稽ふる所なし。禹貢に田賦九等の事見ゆ。禹貢は即ち唐虞の時の定めなれども、九等の目のみ見えて、十一か二十一か遂に未だ知るべからず。「十一にして税するは堯舜の道なり」と云ふと雖も、唐虞簡易古朴の政にして、乃ち漢代の税より重しとは思はれず。但し名は十一と云ふとも二十一と云ふとも三十一と云ふとも、正税の外徭役・貢篚の得失もあるべければ、一概に論じ難きことあり。唯著実に当今の事に目を注け心を潜め、勇断を以て横費を省き、一分なりとも税を軽くし、大桀小桀の誚りを免れ、膏沢を蒼赤に被らしめば、実論と云ふべし。
-
孟子・盡心章句下孟子曰く、「布縷の征・粟米の征・力役の征有り。君子は其の一を用いて、其の二を緩くす。其の二を用うれば、民に殍有り。其の三を用うれば、父子離る。」
-
『講孟余話』梁惠王上 第五章吾試みに孟子の策の本末を論ぜん。仁政を民に施し、刑罰を省き、税斂を薄うする、是れ其の第一下手の処にして、夫れより封疆の諸城を撤し、兵は悉く農に帰す。天下の費、兵より甚しきはなし、兵を省かずんば何を以て税斂を薄くせんや。政の民に便なる者は、難易を論ぜず必ず挙行し、士の民を治むるに堪ふる者は、遠近親疎を論ぜず必ず擢用し、務めて民と休息し、民をして我を信戴して休さらしむ。若し一旦三国兵を以て来侵することあらば、大いに国中に令して云く、我方に斯の民を愛育せんと欲す、如何せん隣国の逼迫となり、却つて斯の民を苦悩せしむるに至る、哀しむに堪へず。民等意に任せて出で降り其の性命を全うすべし。我已に此の国に主たり、一死社稷の為めにするあるのみ、敢へて寸歩を退避せずと。果して斯くの如くんば、四方忠義の士、豈に感慨して興起せざらんや。誠に斯くの如くなれば、誰か其の国を奪ふことを得んや。況んや此の時秦楚斉の諸国、国富み兵強く将能なりと雖も、原と民を安んずるを以て心とする者あることなければ、数月ならずして潰走すること必せり。
-
『南洲翁遺訓』第十三条租税を薄くして民を裕にするは、即ち国力を養成する也。故に国家多端にして財用の足らざるを苦むとも、租税の定制を確守し、上を損じて下を虐たげぬもの也。能く古今の事跡を見よ。道の明かならざる世にして、財用の不足を苦む時は、必ず曲知小慧の俗吏を用ゐ巧みに聚斂して一時の欠乏に給するを、理材に長ぜる良臣となし、手段を以て苛酷に民を虐たげるゆゑ、人民は苦悩に堪へ兼ね、聚斂を逃んと、自然譎詐狡猾に趣き、上下互に欺き、官民敵讐と成り、終に分崩離拆に至るにあらずや。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る