講孟余話 / 盡心下 第二十三章
馮婦モ亦一奇士、何ソ晋ノ周處ニ輸セン、衆アリ虎ヲ逐フハ、蓋シ猛虎民害ヲ作スヲ以テ是ヲ驅逐スルナリ、其嵎ニ負ルニ當テ、之ニ敢テ攖ルヽ者ナシ、苟モ馮婦臂ヲ攘ケ車ヨリ下ルニ非スンハ、数十百人呑噬ヲ免カレサル也、是レ馮婦談笑シテ能ク数十人百人ノ死命ヲ活スル也、是何ソ周處カ南山ニ入テ、白額猛虎ヲ射殺シ、水ニ投シテ長橋下ノ蛟ヲ搏殺スルニ異ナランヤ、馮婦ノ卒ニ善士トナルハ、又周處カ細行ヲ修メスシテ州曲ノ患ヒ惡ム所トナルヲ知リ、慨然改メ勵ミ、学ヲ好ミ己ニ克ツト同シキ也、想フニ馮婦モ初ハ必ズ剛暴ニシテ人ヲ害スルコトアリシナラン、故ニ善士トナルハ其惡ヲ改ムル也、其惡ハ必シモ虎ヲ搏ツニアラス、其善必シモ虎ヲ搏タサルニ非ス、而シテ善士トナルト雖トモ其俠氣勇力遂ニ是レ磨滅スヘカラス、是馮婦タル所以也、
新字:馮婦モ亦一奇士、何ソ晋ノ周処ニ輸セン、衆アリ虎ヲ逐フハ、蓋シ猛虎民害ヲ作スヲ以テ是ヲ駆逐スルナリ、其嵎ニ負ルニ当テ、之ニ敢テ攖ルヽ者ナシ、苟モ馮婦臂ヲ攘ケ車ヨリ下ルニ非スンハ、数十百人呑噬ヲ免カレサル也、是レ馮婦談笑シテ能ク数十人百人ノ死命ヲ活スル也、是何ソ周処カ南山ニ入テ、白額猛虎ヲ射殺シ、水ニ投シテ長橋下ノ蛟ヲ搏殺スルニ異ナランヤ、馮婦ノ卒ニ善士トナルハ、又周処カ細行ヲ修メスシテ州曲ノ患ヒ悪ム所トナルヲ知リ、慨然改メ励ミ、学ヲ好ミ己ニ克ツト同シキ也、想フニ馮婦モ初ハ必ズ剛暴ニシテ人ヲ害スルコトアリシナラン、故ニ善士トナルハ其悪ヲ改ムル也、其悪ハ必シモ虎ヲ搏ツニアラス、其善必シモ虎ヲ搏タサルニ非ス、而シテ善士トナルト雖トモ其侠気勇力遂ニ是レ磨滅スヘカラス、是馮婦タル所以也、
書き下し
馮婦も亦一奇士、何ぞ晋の周処に輸けん。衆ありて虎を逐ふは、蓋し猛虎民害を作すを以て是れを駆逐するなり。其の嵎を負ふに当たりて、之れに敢へて攖るる者なし。苟も馮婦臂を攘げ車より下るに非ずんば、数十百人呑噬を免かれざるなり。是れ馮婦談笑して能く数十人百人の死命を活かすなり。是れ何ぞ周処が南山に入りて白額の猛虎を射殺し、水に投じて長橋下の蛟を搏殺するに異ならんや。馮婦の卒に善士となるは、又周処が細行を修めずして州曲の患ひ悪む所となるを知り、慨然として改め励み、学を好み己に克つと同じきなり。想ふに馮婦も初めは必ず剛暴にして人を害することありしならん。故に善士となるは其の悪を改むるなり。其の悪は必ずしも虎を搏つにあらず、其の善必ずしも虎を搏たざるに非ず。而して善士となると雖も、其の侠気勇力遂に是れ磨滅すべからず、是れ馮婦たる所以なり。
現代語訳
馮婦もまた一人の非凡な人物であって、どうして晋の周処に劣ろうか。大勢の人が虎を追ったのは、思うに猛虎が民に害をなすので、これを追い払おうとしたのである。虎が山の隅を背にして構えると、あえて立ち向かう者はいない。もし馮婦が腕まくりして車から降りなかったら、数十人、百人が食い殺されるのを免れなかったであろう。これは馮婦が笑いながら、よく数十人、百人の命を救ったのである。これがどうして、周処が南山に入って額の白い猛虎を射殺し、水に飛び込んで長橋の下の蛟(みずち)を打ち殺したのと違おうか。馮婦が最後に善い士となったのは、また周処が、細かな行いを修めずに郷里の厄介者として憎まれていると知り、憤然として改め励み、学問を好み己に克ったのと同じである。思うに馮婦も初めはきっと荒々しく乱暴で、人を傷つけることがあったのだろう。だから善い士となったのは、その悪を改めたのである。その悪は必ずしも虎を打つことではなく、その善も必ずしも虎を打たないことではない。そして善い士となっても、その侠気と勇力はついにすり減らすことができない。これこそ馮婦が馮婦である理由である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『春秋左氏伝』文公二年 狼瞫、死所を得る瞫曰く、「《周志》に之れ有り、『勇にして則ち上を害するは、明堂に登らず』と。死して義ならざるは、勇に非ざるなり。共に用ゐらるる之を勇と謂ふ。吾勇を以って右を求む。勇無くして黜けらるるは、亦た其の所なり。上我を知らずと謂ふも、黜けられて宜ならば、乃ち我を知るなり。子姑く之を待て」と。彭衙に及びて既に陳し、其の屬を以って秦の師に馳せ、焉に死す。晉の師之に從ひ、大いに秦の師を敗る。君子謂ふ、狼瞫是に於いてか君子なり、と。《詩》に曰く、「君子如し怒らば、亂庶(こひねが)はくは遄(すみ)やかに沮(や)まん」と。又曰く、「王赫として斯れ怒り、爰に其の旅を整ふ」と。怒りて亂を作さず、而して以って師に從ふ、君子と謂ふ可し。秦伯猶ほ孟明を用ふ。孟明增して國政を脩め、重ねて民に施す。趙成子諸大夫に言ひて曰く、「秦の師又至らば、將に必ず之を辟けんとす。懼れて德を增す、當たる可からざるなり。《詩》に曰く、『爾が祖を念ふ毋からんや、聿(ここ)に厥の德を脩む』と。孟明之を念へり。德を念ひて怠らず、其れ敵す可けんや」と。
-
『春秋左氏伝』哀公二年 鉄の戦い下卿の罰なり」と。甲戌、將に戰はんとす。郵無恤、簡子に御たり、衛の太子右たり。鐵上に登り、鄭の師の眾きを望見す。大子懼れ、自ら車下に投ず。子良、大子に綏を授けて之に乘らしめて曰く、「婦人なり」と。簡子列を巡りて曰く、「畢萬は匹夫なり。七たび戰ひて皆獲、馬百乘を有ちて、牖下に死せり。群子之を勉めよ。死は寇に在らず」と。繁羽、趙羅に御たり、宋勇右たり。羅勇無く、之を麇(つな)ぐ。吏之を詰る。御對へて曰く、「痁作りて伏せり」と。衛の大子禱りて曰く、「曾孫蒯聵、敢へて昭らかに皇祖文王・烈祖康叔・文祖襄公に告ぐ。鄭勝は亂に從ひ、晉午は難に在りて、亂を治むる能はず、鞅をして之を討たしむ。蒯聵敢へて自ら佚せず、矛を持するに備はる。敢へて告ぐ、筋を絕つこと無く、骨を折ること無く、面を傷つくること無く、以て大事を集(な)さしめよ。三祖の羞と作ること無からん。大命は敢へて請はず。佩玉は敢へて愛まず」と。鄭人、簡子を擊ちて肩に中つ。車中に斃る。其の蜂旗を獲たり。大子之を救ふに戈を以てす。鄭の師北(に)ぐ。溫の大夫趙羅を獲たり。大子復た之を伐つ。
-
孫子・九地篇吾が士に余財無きは、貨を悪むに非ざるなり。余命無きは、寿を悪むに非ざるなり。令の発するの日、士卒の坐する者は涕襟を沾し、偃臥する者は涙頤に交わる。之を往く所無きに投ずれば、則ち諸・劌の勇なり。
-
論語・述而篇子、顔淵に謂いて曰く、「之を用うれば則ち行い、之を舎つれば則ち蔵る。惟だ我と爾と是れ有るかな。」子路曰く、「子、三軍を行らば、則ち誰と与にせん。」子曰く、「暴虎馮河、死して悔い無き者は、吾与にせざるなり。必ずや事に臨みて懼れ、謀を好みて成す者なり。」
-
説苑・立節士君子の勇有りて行に果なる者、以て節を立て誼を行わずして、妄死非名を以てするは、豈に痛ましからずや。士殺身以て仁を成し、害に触れて以て義を立て、節理に倚りて死地を議せざる有り。故に能く身死して名来世に流る、勇断有るに非ずんば、孰か能く之を行わんや。
-
言志四録・言志耋録 第二百三十九条 真勇は怯なるが如し真勇は怯なるが如く、真智は愚なるが如く、真才は鈍なるが如く、真巧は拙なるが如し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る