導師導古典を学びたいすべての人に

講孟余話 / 盡心下 第二十二章

此章ノ文義、朱子已ニ其曉ルヘカラサルヲ云、今敢テ割記スル所アラズ此章ヲ熟讀シテ、賑恤ハ一時ノ奇策ナレ共、永久ノ長策ニ非サルヲ知ルヘシ、盖シ孟子初テ斉王ニ見テヨリ、首トシテ五畝ノ宅百畝ノ田庠序学校ノ說ヲ発ス、謂ラク、此策ヲ行フコト數年旱乾水溢アリト云トモ、民餓殍ナキニ足ル、復タ賑恤ヲ事トスルコトナシト、孟子曾テ梁惠王移民移粟ノ政ヲ謂テ五十步百步ト云モ同意也、故ニ孟子斉ニ勸メテ棠ノ倉ヲ発キ民ヲ救フモノハ、先ツ民ニ饑色アリ野ニ餓殍アルヲ救ヒ、因テ次ヲ逐テ田宅学校ノ政ニ及ハントスル也、然ルニ斉王其說ヲ信用セス、孟子マサニ去ラントス、故ニ復タ王ニ勸メス、且已ニ去ントシテ君ノ物ヲ以テ自ラ民ニ悅ハルヽコトヲナスヲ欲セス、及ヒ再ヒ賑シ三ヒ恤マハ、其民上惠ニ習レ、惰頑ニ陷リ、復タ治ムヘカラサルニ至ルヲモ惧ルヽナルヘシ、故ニ余常ニ謂フ、孟子ノ定策ハ田宅ノ制ニアリ、然トモ當今ニ在テハ、田宅ノ制断々改ムヘカラズ、若シ必ス要務ヲ問ハヽ、薄稅輕斂ニアリ、之ヲ要スルニ賑恤ハ一時ノ事ナリ、

新字:此章ノ文義、朱子已ニ其暁ルヘカラサルヲ云、今敢テ割記スル所アラズ此章ヲ熟読シテ、賑恤ハ一時ノ奇策ナレ共、永久ノ長策ニ非サルヲ知ルヘシ、盖シ孟子初テ斉王ニ見テヨリ、首トシテ五畝ノ宅百畝ノ田庠序学校ノ説ヲ発ス、謂ラク、此策ヲ行フコト数年旱乾水溢アリト云トモ、民餓殍ナキニ足ル、復タ賑恤ヲ事トスルコトナシト、孟子曽テ梁恵王移民移粟ノ政ヲ謂テ五十歩百歩ト云モ同意也、故ニ孟子斉ニ勧メテ棠ノ倉ヲ発キ民ヲ救フモノハ、先ツ民ニ饑色アリ野ニ餓殍アルヲ救ヒ、因テ次ヲ逐テ田宅学校ノ政ニ及ハントスル也、然ルニ斉王其説ヲ信用セス、孟子マサニ去ラントス、故ニ復タ王ニ勧メス、且已ニ去ントシテ君ノ物ヲ以テ自ラ民ニ悦ハルヽコトヲナスヲ欲セス、及ヒ再ヒ賑シ三ヒ恤マハ、其民上恵ニ習レ、惰頑ニ陥リ、復タ治ムヘカラサルニ至ルヲモ惧ルヽナルヘシ、故ニ余常ニ謂フ、孟子ノ定策ハ田宅ノ制ニアリ、然トモ当今ニ在テハ、田宅ノ制断々改ムヘカラズ、若シ必ス要務ヲ問ハヽ、薄税軽斂ニアリ、之ヲ要スルニ賑恤ハ一時ノ事ナリ、

書き下し

此の章の文義、朱子已に其の暁るべからざるを云ふ、今敢へて割記する所あらず。此の章を熟読して、賑恤は一時の奇策なれども、永久の長策に非ざるを知るべし。蓋し孟子初めて斉王に見えてより、首として五畝の宅・百畝の田・庠序学校の説を発す。謂へらく、此の策を行ふこと数年、旱乾水溢ありと云へども、民餓莩なきに足る、復た賑恤を事とすることなしと。孟子曾て梁恵王の民を移し粟を移すの政を謂ひて五十歩百歩と云ふも同意なり。故に孟子斉に勧めて棠の倉を発き民を救ふものは、先づ民に饑色あり野に餓莩あるを救ひ、因りて次を逐ひて田宅学校の政に及ぼさんとするなり。然るに斉王其の説を信用せず、孟子将に去らんとす。故に復た王に勧めず。且つ已に去らんとして君の物を以て自ら民に悦ばるることをなすを欲せず。及び再び賑はし三たび恤まば、其の民上恵に習れ、惰頑に陥り、復た治むべからざるに至るをも惧るるなるべし。故に余常に謂ふ、孟子の定策は田宅の制にあり。然れども当今に在りては、田宅の制断々改むべからず。若し必ず要務を問はば、薄税軽斂にあり。之れを要するに賑恤は一時の事なり。

現代語訳

(第二十二章)この章の文の意味は、朱子もすでに分からないと言っている。いまあえて記すことはしない。(第二十三章)この章をよく読んで、施しによる救済は一時のうまい策ではあっても、永く続く長期の策ではないことを知るべきである。思うに孟子は初めて斉王に会った時から、第一に五畝の宅地、百畝の田、庠・序などの学校の説を唱えた。この策を数年行えば、日照りや洪水があっても民に飢え死にする者はいなくなり、もう施しに頼る必要はないと考えたのである。孟子がかつて梁の恵王の、民を移したり穀物を移したりする政策を五十歩百歩だと言ったのも同じ意味である。だから孟子が斉に勧めて棠の倉を開いて民を救わせたのは、まず民に飢えの色があり野に飢え死にした者がいるのを救い、それから順を追って田宅や学校の政策に進もうとしたのである。ところが斉王はその説を信用せず、孟子はまさに去ろうとしていた。だからもう王に勧めなかったのである。それに、すでに去ろうとしているのに、君主の物を使って自分が民に喜ばれるようなことはしたくなかった。また二度三度と施しをすれば、民は上からの恵みに慣れて怠け者になり、もう治めることができなくなることも恐れたのであろう。だから私はいつも言う。孟子の定めた策は田宅の制度にある。けれども今の世においては、田宅の制度は決して改めてはならない。もし必ず急務を問うなら、税を軽くし取り立てを減らすことにある。要するに、施しによる救済は一時のことである。

解説

斉に飢饉が起き、人々は孟子が再び倉を開くよう王に勧めてくれると期待しましたが、孟子はそれを虎退治をやめた馮婦の故事でたとえて断ります。松陰はこの章から、施しは一時の策で、長く民を養うのは田宅や学校の制度だという孟子の考えを読み取ります。施しを重ねれば民は恵みに慣れて怠惰になる、とも言います。そのうえで、今の日本で田宅制度を変えることはできないから、現実の急務は減税だと結論します。理想を踏まえながら、今できる最善の手を考える松陰の現実感覚がよく出ています。

この章句が説くこと

賑恤制度減税長策民政

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る