導師導古典を学びたいすべての人に

講孟余話 / 盡心下 第十五章

聖人百世之師也、而況於親炙之者乎、伯夷柳下惠ノ事ハ、前篇数々見ユ、百世ノ師、親炙ノ化、古ノ聖人皆然リ、獨リ此二聖ノミ然ルニ非ス、余嘗テ漢代ノ書ヲ讀ムニ、鄒魯ノ地孔孟ノ遺沢ト見ヘテ、礼義文雅大ニ他ノ郡國ニ異也、其兵事ニ於ルモ、楚ノ項籍ノ亡フル、魯獨リ降ラス、項籍ノ首ヲ見テ始テ降ル、是亦聖人ノ遺沢ナルヘシ、是ヲ以テ百世ノ師タルヲ知リ、更ニ親炙ノ化ヲ想像スヘシ、凢ソ聖人ノ道ニ志ス者、是ニ注意セスンハアルヘカラズ

新字:聖人百世之師也、而況於親炙之者乎、伯夷柳下恵ノ事ハ、前篇数々見ユ、百世ノ師、親炙ノ化、古ノ聖人皆然リ、独リ此二聖ノミ然ルニ非ス、余嘗テ漢代ノ書ヲ読ムニ、鄒魯ノ地孔孟ノ遺沢ト見ヘテ、礼義文雅大ニ他ノ郡国ニ異也、其兵事ニ於ルモ、楚ノ項籍ノ亡フル、魯独リ降ラス、項籍ノ首ヲ見テ始テ降ル、是亦聖人ノ遺沢ナルヘシ、是ヲ以テ百世ノ師タルヲ知リ、更ニ親炙ノ化ヲ想像スヘシ、凢ソ聖人ノ道ニ志ス者、是ニ注意セスンハアルヘカラズ

書き下し

「聖人は百世の師なり、而るを況んや之れに親炙する者に於てをや」。伯夷・柳下恵の事は前篇数々見ゆ。百世の師、親炙の化、古の聖人皆然り、独り此の二聖のみ然るに非ず。余嘗て漢代の書を読むに、鄒魯の地、孔孟の遺沢と見えて、礼義文雅大いに他の郡国に異なるなり。其の兵事に於けるも、楚の項籍の亡ぶる、魯独り降らず、項籍の首を見て始めて降る。是れ亦聖人の遺沢なるべし。是を以て百世の師たるを知り、更に親炙の化を想像すべし。凡そ聖人の道に志す者、是に注意せずんばあるべからず。

現代語訳

「聖人は百代の後までの師である。まして、直接にその人に親しく接した者はなおさらである」。伯夷と柳下恵のことは、前の篇にしばしば見える。百代の師であること、直接に接して感化されることは、昔の聖人はみなそうであって、この二人の聖人だけがそうなのではない。私はかつて漢代の書物を読んだが、鄒や魯の地は孔子・孟子の残した恵みとみえて、礼儀や学問の雅やかさが他の郡や国と大いに違っていた。戦のことについても、楚の項羽が滅びた時、魯だけは降伏せず、項羽の首を見てようやく降伏した。これもまた聖人の残した恵みであろう。これによって聖人が百代の師であることを知り、さらに直接に接して感化されることがどれほどのものかを想像すべきである。およそ聖人の道に志す者は、ここに注意しないではいられない。

解説

孟子は伯夷と柳下恵を「百世の師」と呼び、百代の後に話を聞いた者でさえ奮い立つのだから、直接その人に接した者はなおさらだと言いました。松陰は、漢代の史書に見える鄒・魯の地の風俗を例に挙げます。孔子・孟子の故郷では礼儀や学問の気風が他と違い、項羽が滅びたときも魯だけは最後まで降らなかった。聖人の感化が何百年も土地に残るのだから、間近で接した者への影響は計り知れない、というのです。教えは言葉だけでなく、人と土地の気風として受け継がれていくという見方です。

この章句が説くこと

感化聖人伯夷風土師

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る