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講孟余話 / 盡心下 第十四章

近聞ク、明倫館ノ文題ニ天下非一人天下說ト云ヲ出サレシ由、余因テ考フルニ、天下非一人天下ト云ハ六韜ニ出ル語ニテ、必シモ聖経ニ出ルニ非ス、漢土ニテモ通論トスルニ非ス、思フニ禪讓放伐ノ事ニ因テ云フナルヘシ、普天之下、莫非王土、率土之濱、莫非王臣、ト云ヘハ、明カニ天下ハ一人ノ天下トスル也、又漢人ノ云ク、五帝官天下、三王家天下、家以傳子、官以傳賢ト、官天下ハ一人ノ天下ニ非ルノ說也、家天下ハ一人ノ天下トスルノ說也、又漢土歴代ノ人多ク云フ、天下ハ祖宗ノ天下也ト、亦皆一人ノ天下トスル也

新字:近聞ク、明倫館ノ文題ニ天下非一人天下説ト云ヲ出サレシ由、余因テ考フルニ、天下非一人天下ト云ハ六韜ニ出ル語ニテ、必シモ聖経ニ出ルニ非ス、漢土ニテモ通論トスルニ非ス、思フニ禅譲放伐ノ事ニ因テ云フナルヘシ、普天之下、莫非王土、率土之浜、莫非王臣、ト云ヘハ、明カニ天下ハ一人ノ天下トスル也、又漢人ノ云ク、五帝官天下、三王家天下、家以伝子、官以伝賢ト、官天下ハ一人ノ天下ニ非ルノ説也、家天下ハ一人ノ天下トスルノ説也、又漢土歴代ノ人多ク云フ、天下ハ祖宗ノ天下也ト、亦皆一人ノ天下トスル也

書き下し

近ごろ聞く、明倫館の文題に「天下は一人の天下に非ずの説」と云ふを出されし由。余因りて考ふるに、「天下は一人の天下に非ず」と云ふは六韜に出づる語にて、必ずしも聖経に出づるに非ず、漢土にても通論とするに非ず。思ふに禅譲放伐の事に因りて云ふなるべし。「普天の下、王土に非ざるは莫く、率土の浜、王臣に非ざるは莫し」と云へば、明らかに天下は一人の天下とするなり。又漢人の云く、「五帝は天下を官にし、三王は天下を家にす。家は以て子に伝へ、官は以て賢に伝ふ」と。天下を官にするは一人の天下に非ざるの説なり、天下を家にするは一人の天下とするの説なり。又漢土歴代の人多く云ふ、「天下は祖宗の天下なり」と。亦皆一人の天下とするなり。

現代語訳

近ごろ聞いたところでは、明倫館の作文の題に「天下は一人の天下ではないという説」というのが出されたそうだ。そこで私が考えるに、「天下は一人の天下ではない」というのは『六韜』に出る言葉であって、必ずしも聖人の経典に出るものではなく、中国でも一般に通る論というわけではない。思うに、禅譲や放伐のことから言われたものであろう。「天の下は、王の土地でないところはなく、地の果てまで、王の臣でない者はない」と言うのは、明らかに天下を一人の天下とするものである。また中国の人は「五帝は天下を公の官とし、三王は天下を家とした。家は子に伝え、官は賢者に伝える」と言う。天下を官とするのは一人の天下ではないという説であり、天下を家とするのは一人の天下とする説である。また中国の歴代の人々の多くが「天下は祖宗の天下である」と言う。これもみな一人の天下とするものである。

解説

萩藩の藩校明倫館で「天下は一人の天下に非ず」という作文題が出たと聞き、松陰は異を唱えます。この言葉は兵書の『六韜』に出るもので、聖人の経典の言葉ではなく、中国でも一般の論ではないと出典から確かめるのです。そして『詩経』の「普天の下、王土に非ざるは莫し」や、「天下は祖宗の天下なり」という言葉を挙げて、むしろ天下を一人の天下とする言い方のほうが多いと示します。耳慣れた言葉を出どころと文脈にさかのぼって検討する姿勢は、主張の是非とは別に学ぶべきところがあります。

この章句が説くこと

出典明倫館六韜天下考証

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