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講孟余話 / 離婁下 第二十二章

古ヨリ學問ハ皆傳習來歴アリ、孟子ハ子思ノ門人ニ學ヒ、子思ハ曾子ニ學ヒ、曾子ハ即チ親シク孔門ノ高弟ナリ、又宋儒ノ如キ周濂溪ヨリ二程ニ傳ヘ、二程ヨリ張橫渠羅豫章李延平等ノ諸賢ヲ歷テ朱子ニ傳フ、此類古今皆然ラサルコトナシ、今吾輩獄ニ坐シ、良師ニ從テ道ヲ聞クコトヲ得ス、常ニ恐クハ其学習スル所私見私意ニ陷リ、聖人ノ大道ニ違ンコトヲ、故ニ常ニ心ヲ虛ニシ懷ヲ披キ、古人ノ眞面目ヲ窺フヲ以テ志トス、讀テ五世而斬、私淑於人ノ章ニ至リテ、感慨ナキコト能ハス

新字:古ヨリ学問ハ皆伝習来歴アリ、孟子ハ子思ノ門人ニ学ヒ、子思ハ曽子ニ学ヒ、曽子ハ即チ親シク孔門ノ高弟ナリ、又宋儒ノ如キ周濂渓ヨリ二程ニ伝ヘ、二程ヨリ張横渠羅予章李延平等ノ諸賢ヲ歴テ朱子ニ伝フ、此類古今皆然ラサルコトナシ、今吾輩獄ニ坐シ、良師ニ従テ道ヲ聞クコトヲ得ス、常ニ恐クハ其学習スル所私見私意ニ陥リ、聖人ノ大道ニ違ンコトヲ、故ニ常ニ心ヲ虚ニシ懐ヲ披キ、古人ノ真面目ヲ窺フヲ以テ志トス、読テ五世而斬、私淑於人ノ章ニ至リテ、感慨ナキコト能ハス

書き下し

古より学問は皆伝習来歴あり。孟子は子思の門人に学び、子思は曾子に学び、曾子は即ち親しく孔門の高弟なり。又宋儒の如き、周濂渓より二程に伝へ、二程より張横渠・羅豫章・李延平等の諸賢を歴て朱子に伝ふ。此の類古今皆然らざることなし。今吾が輩獄に坐し、良師に従ひて道を聞くことを得ず。常に恐るらくは、其の学習する所私見私意に陥り、聖人の大道に違はんことを。故に常に心を虚にし懐を披き、古人の真面目を窺ふを以て志とす。読みて「五世にして斬ゆ」「私かに諸を人に淑くす」の章に至りて、感慨なきこと能はず。

現代語訳

昔から学問にはみな伝え習った由来がある。孟子は子思の門人に学び、子思は曾子に学び、曾子は孔子の門下の高弟である。また宋の儒者も、周濂渓から二程(程顥・程頤)に伝わり、二程から張横渠・羅豫章・李延平らの諸賢を経て朱子に伝わった。この類は古今みなそうでないものはない。今、我々は獄にいて、良い師について道を聞くことができない。いつも恐れているのは、学んでいることが私見や思い込みに陥り、聖人の大きな道から外れてしまうことである。だから常に心を空しくし胸を開いて、古人の本当の姿をうかがうことを志としている。読んで「(君子の流れも)五代で絶える」「私はひそかに人を通じて(孔子に)学んだ」という章に至ると、感慨を覚えずにいられない。

解説

離婁下第二十二章で孟子は、孔子に直接学べなかったが、その門流の人を通じてひそかに学んだ、と述べます。松陰は、学問には孔子から朱子に至るまで必ず師から師への伝承があることを確かめたうえで、獄中で良い師を持てない自分たちの危うさを語ります。独学は独りよがりに陥りやすい。だから心を虚しくして古人の真面目を求めるしかない、と。孟子もまた直接の師を持たなかったという一節に、松陰が深く共感したことが伝わります。

この章句が説くこと

師承独学私淑謙虚学問

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