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講孟余話 / 盡心上 第四十章

余已ニ人ヲ教ユルニ因テ、人ヲ用ユルヲ悟リ、又学者ノ師ヲ択ハサルヘカラズ、仕者ノ主ヲ択ハサルヘカラサルヲ知ル、若シ跛躄者ニ善走ヲ教ヘ、盲瞽者ニ離婁ノ善視ヲ教ユル如キノ師ニ遇ハヽ、百年孜々勤厲スト云トモ、寸益ヲ得ルコトナシ、仕者ト云トモ、何ヲ以テ是ニ異ナラン、古ヨリ聖賢ノ材德ト云トモ、主ニ遇ハスンハ何ヲ以テ其功ヲ成ンヤ、舜禹伊尹周公ヨリ皆然リ、若其主ニ遇ハズンハ、孔孟ノ聖賢ト云トモ、一匹夫ニシテ終ルノミ、是ヲ思ヘハ將サニ千古不遇ノ人ノ爲メニ痛哭セント欲ス、然トモ反シテ是ヲ思ヘハ、本文所謂君子ハ孔孟ノ類ニシテ不遇ノ魁ナリ、然トモ是ヲ以テ天下後世ヲ維持スルニ至、其功更ニ遇フ者ノ上ニ居ラントス、孔子ノ堯舜ニ勝レル、却テ其不遇ノ所ニアリ

新字:余已ニ人ヲ教ユルニ因テ、人ヲ用ユルヲ悟リ、又学者ノ師ヲ択ハサルヘカラズ、仕者ノ主ヲ択ハサルヘカラサルヲ知ル、若シ跛躄者ニ善走ヲ教ヘ、盲瞽者ニ離婁ノ善視ヲ教ユル如キノ師ニ遇ハヽ、百年孜々勤厲スト云トモ、寸益ヲ得ルコトナシ、仕者ト云トモ、何ヲ以テ是ニ異ナラン、古ヨリ聖賢ノ材徳ト云トモ、主ニ遇ハスンハ何ヲ以テ其功ヲ成ンヤ、舜禹伊尹周公ヨリ皆然リ、若其主ニ遇ハズンハ、孔孟ノ聖賢ト云トモ、一匹夫ニシテ終ルノミ、是ヲ思ヘハ将サニ千古不遇ノ人ノ為メニ痛哭セント欲ス、然トモ反シテ是ヲ思ヘハ、本文所謂君子ハ孔孟ノ類ニシテ不遇ノ魁ナリ、然トモ是ヲ以テ天下後世ヲ維持スルニ至、其功更ニ遇フ者ノ上ニ居ラントス、孔子ノ堯舜ニ勝レル、却テ其不遇ノ所ニアリ

書き下し

余已に人を教ゆるに因りて、人を用ゆるを悟り、又学者の師を択ばざるべからず、仕ふる者の主を択ばざるべからざるを知る。若し跛躄者に善走を教へ、盲瞽者に離婁の善視を教ゆる如きの師に遇はば、百年孜々勤励すと云へども、寸益を得ることなし。仕ふる者と云へども、何を以て是れに異ならん。古より聖賢の材徳と云へども、主に遇はずんば何を以て其の功を成さんや。舜・禹・伊尹・周公より皆然り。若し其の主に遇はずんば、孔孟の聖賢と云へども、一匹夫にして終るのみ。是れを思へば将に千古不遇の人の為めに痛哭せんと欲す。然れども反して是れを思へば、本文所謂君子は孔孟の類にして不遇の魁なり。然れども是れを以て天下後世を維持するに至り、其の功更に遇ふ者の上に居らんとす。孔子の堯舜に勝れる、却つて其の不遇の所にあり。

現代語訳

私は、人を教えることから人を用いることを悟り、さらに、学ぶ者は師を選ばなければならず、仕える者は主君を選ばなければならないことを知った。もし足の不自由な人に速く走ることを教え、目の見えない人に離婁のような視力を教えるような師に出会えば、百年こつこつ励んでも少しの益も得られない。仕える者も、これと何が違おうか。昔から聖人賢人の才と徳であっても、主君に出会わなければ、どうしてその功を成し遂げられようか。舜・禹・伊尹・周公から、みなそうであった。もしその主君に出会わなければ、孔子や孟子のような聖賢でさえ、一人の平凡な男として終わるだけである。これを思うと、古来の不遇の人のために声をあげて泣きたくなる。しかし反対に考えれば、本文に言う君子は孔子や孟子の類であって、不遇の人の筆頭である。けれども彼らは教えることで天下後世を支えるに至り、その功はかえって主君に出会えた者の上に立とうとしている。孔子が堯や舜にまさるのは、かえってその不遇なところにあるのである。

解説

松陰は、教える立場から考えるうちに、学ぶ者は師を、仕える者は主君を選ばねばならないと悟ったと言います。どんな才も、合わない師や主君のもとでは生きない。聖賢でさえ主君に恵まれなければ一介の男で終わると嘆きかけて、松陰は思い直します。孔子や孟子は不遇だったからこそ教えに生き、その教えが後の世を支えた。孔子が堯舜に勝るのはまさにその不遇にある、と。獄にある自分の境遇を、教えることで意味あるものに変えようとする決意が読み取れます。

この章句が説くこと

不遇師教育孔子選択

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