講孟余話 / 盡心下 第十三章
不仁而得國者有之矣、不仁而得天下未之有也、下章ニ云如ク、得乎天子爲諸侯ノ理ニテ、歷代不仁而得國者少ナカラス、得乎丘民而爲天子ノ理故ニ、秦魏晋隋五代ノ如キト云ヘトモ、一種ノ仁ニ近キ所、又ハ彼此ヨリ善キ者アルニ非サレハ、天下ヲ得ルコト能ハス、又諸侯ニテモ、戰國ノ韓魏趙田斉ノ如キ、亦些ノ仁ニ近キ所ナシト云ヘカラス、本邦ニテハ天下ハ一人ノ天下ニテ、他人ノ窺窬スヘキニハ非レ共、藤原平源北條足利織田豐臣ノ如ク、一時天下ノ權柄ヲ掌握スル者ハ各罪惡モアレ共、亦近キ所ナクテハ中々彼等ノ如キコトハ出來ヌ也、其中ニテ罪ノ淺深ト仁ノ厚薄トニ因テ、脩短治乱、各其報アルコト、尺度分量毫髪モ違フコトナシ、其下ニ至テハ、執權ノ愛憎ニテ不仁ヲ以テ國ヲ得ルコトモ間々アリ、然トモ是亦一時ノ事ノミ、何ソ永久ヲ謀ルコトヲ得ンヤ、且見ヨ、漢ノ董賢ノ如キ、哀帝ノ嬖寵ヲ承ケ、年僅二十二ニシテ、大司馬衛將軍トナリ、一門ノ栄華比スヘキ者ナケレトモ、哀帝已ニ崩シテ大司馬ノ印綬ヲ收メラレ即日ニ自殺セシヲ以テ、和漢古今ヲ例視スヘシ、故此章ヲ讀ム者、不仁而得天下未之有也ノ義ヲ知レハ足レリ
新字:不仁而得国者有之矣、不仁而得天下未之有也、下章ニ云如ク、得乎天子為諸侯ノ理ニテ、歴代不仁而得国者少ナカラス、得乎丘民而為天子ノ理故ニ、秦魏晋隋五代ノ如キト云ヘトモ、一種ノ仁ニ近キ所、又ハ彼此ヨリ善キ者アルニ非サレハ、天下ヲ得ルコト能ハス、又諸侯ニテモ、戦国ノ韓魏趙田斉ノ如キ、亦些ノ仁ニ近キ所ナシト云ヘカラス、本邦ニテハ天下ハ一人ノ天下ニテ、他人ノ窺窬スヘキニハ非レ共、藤原平源北条足利織田豊臣ノ如ク、一時天下ノ権柄ヲ掌握スル者ハ各罪悪モアレ共、亦近キ所ナクテハ中々彼等ノ如キコトハ出来ヌ也、其中ニテ罪ノ浅深ト仁ノ厚薄トニ因テ、脩短治乱、各其報アルコト、尺度分量毫髪モ違フコトナシ、其下ニ至テハ、執権ノ愛憎ニテ不仁ヲ以テ国ヲ得ルコトモ間々アリ、然トモ是亦一時ノ事ノミ、何ソ永久ヲ謀ルコトヲ得ンヤ、且見ヨ、漢ノ董賢ノ如キ、哀帝ノ嬖寵ヲ承ケ、年僅二十二ニシテ、大司馬衛将軍トナリ、一門ノ栄華比スヘキ者ナケレトモ、哀帝已ニ崩シテ大司馬ノ印綬ヲ収メラレ即日ニ自殺セシヲ以テ、和漢古今ヲ例視スヘシ、故此章ヲ読ム者、不仁而得天下未之有也ノ義ヲ知レハ足レリ
書き下し
「不仁にして国を得る者は之れ有り、不仁にして天下を得る者は未だ之れ有らざるなり」。下章に云ふ如く、「天子に得られて諸侯と為る」の理にて、歴代不仁にして国を得る者少なからず。「丘民に得られて天子と為る」の理故に、秦・魏・晋・隋・五代の如きと云へども、一種の仁に近き所、又は彼此より善き者あるに非ざれば、天下を得ること能はず。又諸侯にても、戦国の韓・魏・趙・田斉の如き、亦些かの仁に近き所なしと云ふべからず。本邦にては天下は一人の天下にて、他人の窺窬すべきには非ざれども、藤原・平・源・北条・足利・織田・豊臣の如く、一時天下の権柄を掌握する者は各罪悪もあれども、亦近き所なくては中々彼等の如きことは出来ぬなり。其の中にて罪の浅深と仁の厚薄とに因りて、脩短治乱各其の報あること、尺度分量毫髪も違ふことなし。其の下に至りては、執権の愛憎にて不仁を以て国を得ることも間々あり。然れども是れ亦一時の事のみ、何ぞ永久を謀ることを得んや。且つ見よ、漢の董賢の如き、哀帝の嬖寵を承け、年僅か二十二にして大司馬衛将軍となり、一門の栄華比すべき者なけれども、哀帝已に崩じて大司馬の印綬を収められ、即日に自殺せしを以て、和漢古今を例視すべし。故に此の章を読む者、「不仁にして天下を得る者は未だ之れ有らざるなり」の義を知れば足れり。
現代語訳
「不仁でありながら国を手に入れた者はいる。不仁でありながら天下を手に入れた者は、いまだかつていない」。次の章に言うように、「天子に認められて諸侯となる」という道理であるから、歴代、不仁でありながら国を得た者は少なくない。一方「民衆に認められて天子となる」という道理であるから、秦・魏・晋・隋・五代のような王朝であっても、どこかに仁に近いところ、あるいは他よりましなところがなければ、天下を得ることはできない。また諸侯であっても、戦国時代の韓・魏・趙・田氏の斉のようなものも、少しも仁に近いところがないとは言えない。わが国では、天下は天皇お一人の天下であって、他人がうかがうべきものではないが、藤原・平・源・北条・足利・織田・豊臣のように、一時天下の権力を握った者は、それぞれ罪悪もあるけれども、やはり仁に近いところがなくては、なかなか彼らのようなことはできないのである。そのなかで、罪の浅い深いと仁の厚い薄いによって、栄えた期間の長短や治乱に、それぞれ報いがあることは、物差しや升目のように髪の毛ひとすじほども違わない。その下に至っては、権力者の好き嫌いで、不仁でありながら国を得ることも時々ある。けれどもこれも一時のことにすぎず、どうして永く続けることができようか。まあ見るがよい、漢の董賢のような者は、哀帝の寵愛を受けて、わずか二十二歳で大司馬衛将軍となり、一門の栄華は並ぶものがなかったが、哀帝が亡くなると大司馬の印綬を取り上げられ、その日のうちに自殺した。これを例として和漢古今を見るがよい。だからこの章を読む者は、「不仁でありながら天下を得た者はいまだかつていない」の意味を知れば十分である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・雍也篇宰我問いて曰く、「仁者は之に告げて『井に仁有り』と曰うと雖も、其れ之に従わんか。」子曰く、「何為れぞ其れ然らんや。君子は逝かしむ可きも、陥る可からず。欺く可きも、罔う可からず。」
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