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講孟余話 / 盡心下 第十一章

千乘ノ國ヲ讓ルハ思設ケタルコト也、簞食豆羹モ色ニ見ルヽハ心ナラスノ事ナリ、孔子ノ過ヲ觀テ仁ヲ知ルト宣フモ同理ニテ、過ハ心ナラスノコト也、都テ人ハ心ナラズノ処ニ眞情ハ発スル者ナリ、愼マサルヘケンヤ、是ヲ愼マントナラハ、亦平素獨ヲ愼ミ誠ヲ積ムニアルノミ、譬ハ戰ノ如シ、大敵猛勢ニ遇フ時ハ、味方ニモ其覚悟アル故、却テ後レハ取ラヌ者ナレトモ、全体ノ節制法度緩怠ナル陣ハ小々ノ奇伏夜襲等ニ遇テ、大不覚ヲ取ルコトアル者也、其不覚ナカント欲セハ、平素ノ戒備ニアルコトナリ

新字:千乗ノ国ヲ譲ルハ思設ケタルコト也、箪食豆羹モ色ニ見ルヽハ心ナラスノ事ナリ、孔子ノ過ヲ観テ仁ヲ知ルト宣フモ同理ニテ、過ハ心ナラスノコト也、都テ人ハ心ナラズノ処ニ真情ハ発スル者ナリ、慎マサルヘケンヤ、是ヲ慎マントナラハ、亦平素独ヲ慎ミ誠ヲ積ムニアルノミ、譬ハ戦ノ如シ、大敵猛勢ニ遇フ時ハ、味方ニモ其覚悟アル故、却テ後レハ取ラヌ者ナレトモ、全体ノ節制法度緩怠ナル陣ハ小々ノ奇伏夜襲等ニ遇テ、大不覚ヲ取ルコトアル者也、其不覚ナカント欲セハ、平素ノ戒備ニアルコトナリ

書き下し

千乗の国を譲るは思ひ設けたることなり。簞食豆羹も色に見るるは心ならずの事なり。孔子の「過ちを観て仁を知る」と宣ふも同理にて、過ちは心ならずのことなり。都て人は心ならずの処に真情は発する者なり、慎まざるべけんや。是れを慎まんとならば、亦平素独りを慎み誠を積むにあるのみ。譬へば戦の如し。大敵猛勢に遇ふ時は、味方にも其の覚悟ある故、却つて後れは取らぬ者なれども、全体の節制法度緩怠なる陣は、小々の奇伏夜襲等に遇ひて、大不覚を取ることある者なり。其の不覚なからんと欲せば、平素の戒備にあることなり。

現代語訳

千乗の国を譲るのは、前もって心づもりしていることである。ところが一椀の飯や一杯の汁のことでも顔色に出てしまうのは、思わず出てしまうことである。孔子が「過ちを見ればその人の仁が分かる」とおっしゃったのも同じ道理で、過ちは思わずしてしまうことである。すべて人は、思わず出てしまうところに本当の気持ちが現れるものである。慎まないでいられようか。これを慎もうとするなら、やはり日ごろから一人でいる時を慎み、誠を積み重ねるほかない。たとえば戦のようなものである。大敵の猛攻に出会う時は、味方にもその覚悟があるので、かえって後れを取らないものだが、全体の規律や決まりがゆるんでいる陣は、ちょっとした奇襲や伏兵、夜襲などに出会って大失態を演じることがある。その失態をなくしたいなら、日ごろの備えにかかっているのである。

解説

名声を好む者は大国でも譲ることができるが、その人柄でなければ一椀の飯にも顔色を変える、と孟子は言います。松陰はこれを、心づもりのできる大事より、思わず出てしまう小事に人の本心が表れると読み、孔子の「過ちを観て仁を知る」と同じだと言います。そして兵学者らしく、大軍には備える陣が小さな夜襲に崩れるたとえで、不意の場面で崩れないためには日ごろ独りを慎む工夫しかないと説きます。人に見られていない時の積み重ねこそが、とっさの本性を決めるという指摘です。

この章句が説くこと

慎独本心備え誠過ち

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