講孟余話 / 盡心下 第十章
余謂ラク、利ニ周キ者ハ徒ニ凶年其身ヲ殺ス能ハサルノミナラズ、又能ク人ヲ賑救シテ、并セテ死セサラシムルニ足ル、德ニ周キ者ハ徒ニ凶世其身ヲ乱タス能ハサルノミナラス、又能ク人ヲ薰化シテ乱レサラシムルニ足ル也、此章、詩ノ興体ニテ、利ニ周キ者ヲ以テ德ニ周キ者ヲ興スナリ、然トモ一句ハ治国ノ要、一句ハ脩身ノ効、並ニ親切ノ語也
新字:余謂ラク、利ニ周キ者ハ徒ニ凶年其身ヲ殺ス能ハサルノミナラズ、又能ク人ヲ賑救シテ、并セテ死セサラシムルニ足ル、徳ニ周キ者ハ徒ニ凶世其身ヲ乱タス能ハサルノミナラス、又能ク人ヲ薫化シテ乱レサラシムルニ足ル也、此章、詩ノ興体ニテ、利ニ周キ者ヲ以テ徳ニ周キ者ヲ興スナリ、然トモ一句ハ治国ノ要、一句ハ脩身ノ効、並ニ親切ノ語也
書き下し
余謂へらく、利に周き者は徒に凶年其の身を殺す能はざるのみならず、又能く人を賑救して、并せて死せざらしむるに足る。徳に周き者は徒に凶世其の身を乱す能はざるのみならず、又能く人を薫化して乱れざらしむるに足るなり。此の章、詩の興体にて、利に周き者を以て徳に周き者を興すなり。然れども一句は治国の要、一句は修身の効、並びに親切の語なり。
現代語訳
私は思う。利に行き届いた者は、凶作の年にも自分の身を死なせないだけでなく、人々に施して救い、ともに死なせないこともできる。徳に行き届いた者は、乱れた世にも自分の身を乱されないだけでなく、人々を感化して乱れさせないこともできる。この章は詩の「興」の手法で、利に行き届いた者を引き合いに出して、徳に行き届いた者のことを言い起こしているのである。けれども一句は国を治める要点、もう一句は身を修める効き目であって、どちらも身近で切実な言葉である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』懼戒董子曰く「継体守文の君有りと雖も、聖人の命を受くるを害せず」と。古語に曰く「窮鼠は狸を嚙み、匹夫は万乗を奔らす」と。故に黄石公曰く「君は以て徳無かるべからず。徳無ければ則ち臣叛く」と。孫卿曰く「能く患いを除けば則ち福と為し、能わざれば則ち賊と為す」と。〔孫卿子曰く「昔者、天子初めて位に即く。上卿進みて曰く『能く患いを除けば則ち福と為し、能わざれば則ち賊と為す』と。天子に一策を授く。中卿進みて曰く『事に先んじて事を慮る、之を接と謂う。接なれば則ち事優かに成る。患いに先んじて患いを慮る、之を予と謂う。予なれば則ち禍生ぜず。事至りて後に慮る者、之を後と謂う。後なれば則ち事挙がらず。患い至りて後に慮る者、之を困と謂う。困なれば則ち禍禦がれず』と。天子に二策を授く。下卿進みて曰く『慶する者堂に在り、弔う者閭に在り。禍は福と隣し、其の門を知る莫し。予めせよや、予めせよや』と。天子に三策を授く。此れ誡めの至りなり」と。〕
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『墨子』公孟子墨子、公孟子に謂いて曰く、「喪禮は、君と父母と妻と後子と死すれば、三年の喪服、伯父・叔父・兄弟は期、族人は五月、姑・姊・甥は皆な數月の喪有り。或いは喪せざるの間を以て、詩三百を誦し、詩三百を歌い、詩三百を舞う。若し子の言を用いば、則ち君子は何れの日を以て聴治せん。庶人は何れの日を以て事に従わん」と。公孟子曰く、「國亂るれば則ち之を治め、治まれば則ち禮樂を為す。國治まれば則ち事に従い、國富めば則ち禮樂を為す」と。子墨子曰く、「國の治まるは、之を治むればなり。治むること廢すれば、則ち國の治まるも亦た廢す。國の富むや、事に従えばなり。事に従うこと廢すれば、則ち國の富むも亦た廢す。故に國を治むと雖も、之を勸めて饜くこと無く、然る後に可なり。今、子曰く、『國治まれば則ち禮樂を為し、亂るれば則ち之を治む』と。是れ譬うれば猶お噎して井を穿ち、死して醫を求むるがごときなり。古者、三代の暴王、桀・紂・幽・厲は、薾に聲樂を為して、其の民を顧みず。是を以て身は刑僇と為り、國は戾虚と為る者は、皆な此の道に従えばなり」と。
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尚書・說命中惟れ事を事とするに、乃ち其れ備え有り、備え有れば患い無し。
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葉隠・聞書第一覺りの士というのは、事に逢って仕(し)たるように、前方に、それぞれの仕様(しよう)を吟味し置いて、その時に出合い、仕果(しはた)す者である。不覺の士というのは、その時に至って前方に穿鑿せぬのは、不覺の士と申す。
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『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
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孫子・虚実篇故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なし。左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なし。備えざる所無ければ、則ち寡なからざる所無し。寡なき者は人に備うる者なり、衆き者は人をして己に備えしむる者なり。
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