後世への最大遺物 / 第二回・己の信ずることを実行する者
己の信ずることを実行するものが真面目なる信者です。ただただ壮言大語することは誰にもできます。いくら神学を研究しても、いくら哲学書を読みても、われわれの信じた主義を真面目に実行するところの精神がありませぬあいだは、神はわれわれにとって異邦人であります。それゆえにわれわれは神がわれわれに知らしたことをそのまま実行いたさなければなりません。こういたさねばならぬと思うたことはわれわれはことごとく実行しなければならない。もしわれわれが正義はついに勝つものにして不義はついに負けるものであるということを世間に発表するものであるならば、そのとおりにわれわれは実行しなければならない。これを称して真面目なる信徒と申すのです。
書き下し
己の信ずることを実行するものが真面目なる信者です。ただただ壮言大語することは誰にもできます。いくら神学を研究しても、いくら哲学書を読みても、われわれの信じた主義を真面目に実行するところの精神がありませぬあいだは、神はわれわれにとって異邦人であります。それゆえに、われわれは神がわれわれに知らしたことをそのまま実行いたさなければなりません。こういたさねばならぬと思うたことは、われわれはことごとく実行しなければならない。もしわれわれが、正義はついに勝つものにして不義はついに負けるものであるということを世間に発表するものであるならば、そのとおりにわれわれは実行しなければならない。これを称して真面目なる信徒と申すのです。
現代語訳
自分の信じることを実行する者が、真面目な信者です。ただ大言壮語することなら誰にでもできます。いくら神学を研究し、いくら哲学書を読んでも、自分の信じた主義を真面目に実行する精神がない間は、神は私たちにとって異邦人です。ですから私たちは、神が私たちに知らせたことをそのまま実行しなければなりません。こうしなければならないと思ったことは、すべて実行しなければならない。もし私たちが、正義はついに勝ち不義はついに負けると世間に公表するのであれば、そのとおりに実行しなければなりません。これを称して真面目な信徒と言うのです。
解説
真面目という語の定義がここで与えられます。信じることを実行する者、という一点です。知識の量ではなく、言ったとおりに生きているかどうか。神が異邦人になる、という強い言い方は、実行を伴わない信仰は相手を他人にしてしまうという意味でしょう。そして例として挙げられるのが、正義は勝つと公言するなら、そのとおりに生きよ、ということ。言葉と行いの一致という、この講演の底を流れる主題が最後に名指しされます。
この章句が説くこと
実行言行一致真面目信念正義
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