講孟余話 / 盡心下 第八章
余曾テ奧羽ニ遊フ、其關法暴ヲ爲スニ近キ者多シ、先ツ越後ヨリ出羽ニ入ル所ニ鼠關ト云アリ、是ヨリ莊内領也、關吏在ラサルヲ以テ直ニ關過ス、行クコト十四五里ヲ酒田トス、土人云ク、此処ニテ鼠關ノ切手ヲ納メ、新ニ切手ヲ受テ行ヘシ、余云ク、向ニ切手ヲ受ケス、今何ヲ納メン、又何ソ新ニ受ケンヤトテ去ル、行クコト七八里女鹿ニ至レハ又關アリ、關吏大ニ余ヲ詰シテ云ク、何ソ切手ヲ持タサル、余云ク何ノ謂ソヤ、吏云ク、国法當領ニ入ルヨリ出ル迄、必ツ切手ヲ持タサレハ通行止宿ヲ許サス、宜シク前宿ニ還リ切手ヲ取來ルヘシ、余因テ關傍ノ民家ニ過リ問フニ、錢幾百孔ヲ出セハ當処ニテモ切手ハ出來ル故、必シモ前宿ニ還ルニ及ハズト云、余初テ知ル此關ハ暴ヲ禦ク爲ニ非ス、乃チ暴ヲ爲ス爲ナルコトヲ悟リ、且領ニ入ル時ハ關吏譏察ヲ失ヒ、及每宿礙リナク止宿セシムル位ノ緩怠ノ國法ナレハ憚ルニ足ラズトテ、再ヒ關吏ニ向テ此意ヲ以テ罵詈シテ過ク、
新字:余曽テ奥羽ニ遊フ、其関法暴ヲ為スニ近キ者多シ、先ツ越後ヨリ出羽ニ入ル所ニ鼠関ト云アリ、是ヨリ荘内領也、関吏在ラサルヲ以テ直ニ関過ス、行クコト十四五里ヲ酒田トス、土人云ク、此処ニテ鼠関ノ切手ヲ納メ、新ニ切手ヲ受テ行ヘシ、余云ク、向ニ切手ヲ受ケス、今何ヲ納メン、又何ソ新ニ受ケンヤトテ去ル、行クコト七八里女鹿ニ至レハ又関アリ、関吏大ニ余ヲ詰シテ云ク、何ソ切手ヲ持タサル、余云ク何ノ謂ソヤ、吏云ク、国法当領ニ入ルヨリ出ル迄、必ツ切手ヲ持タサレハ通行止宿ヲ許サス、宜シク前宿ニ還リ切手ヲ取来ルヘシ、余因テ関傍ノ民家ニ過リ問フニ、銭幾百孔ヲ出セハ当処ニテモ切手ハ出来ル故、必シモ前宿ニ還ルニ及ハズト云、余初テ知ル此関ハ暴ヲ禦ク為ニ非ス、乃チ暴ヲ為ス為ナルコトヲ悟リ、且領ニ入ル時ハ関吏譏察ヲ失ヒ、及毎宿礙リナク止宿セシムル位ノ緩怠ノ国法ナレハ憚ルニ足ラズトテ、再ヒ関吏ニ向テ此意ヲ以テ罵詈シテ過ク、
書き下し
余曾て奥羽に遊ぶ。其の関法、暴を為すに近き者多し。先づ越後より出羽に入る所に鼠関と云ふあり、是れより荘内領なり。関吏在らざるを以て直ちに関を過ぐ。行くこと十四五里を酒田とす。土人云く、「此処にて鼠関の切手を納め、新たに切手を受けて行くべし」と。余云く、「向に切手を受けず、今何をか納めん、又何ぞ新たに受けんや」とて去る。行くこと七八里、女鹿に至れば又関あり。関吏大いに余を詰して云く、「何ぞ切手を持たざる」と。余云く、「何の謂ひぞや」と。吏云く、「国法、当領に入るより出づるまで、必ず切手を持たざれば通行止宿を許さず。宜しく前宿に還り切手を取り来たるべし」と。余因りて関傍の民家に過りて問ふに、銭幾百孔を出せば当処にても切手は出来る故、必ずしも前宿に還るに及ばずと云ふ。余初めて知る、此の関は暴を禦ぐ為に非ず、乃ち暴を為す為なることを悟り、且つ領に入る時は関吏譏察を失ひ、及び毎宿礙りなく止宿せしむる位の緩怠の国法なれば憚るに足らずとて、再び関吏に向かひて此の意を以て罵詈して過ぐ。
現代語訳
私はかつて奥羽を旅したことがある。その関所の掟には、暴虐をなすのに近いものが多かった。まず越後から出羽に入るところに鼠ヶ関というのがあり、ここから庄内藩の領地である。関所の役人がいなかったので、そのまま関所を通り過ぎた。十四、五里行くと酒田である。土地の人が言うには、「ここで鼠ヶ関の通行手形を納め、新しく手形を受けて行くべきだ」と。私は「前に手形を受けていないのに、今さら何を納めるのか、またどうして新しく受ける必要があるのか」と言って立ち去った。七、八里行って女鹿に着くと、また関所がある。関所の役人がひどく私を問い詰めて「なぜ手形を持っていないのか」と言う。私が「どういうことか」と言うと、役人は「国の掟で、この領地に入ってから出るまで、必ず手形を持っていなければ通行も宿泊も許さない。前の宿場に戻って手形を取ってこい」と言う。そこで関所のそばの民家に立ち寄って尋ねると、銭を何百文か出せばここでも手形は作れるので、必ずしも前の宿場に戻るには及ばないという。私は初めて、この関所は暴虐を防ぐためのものではなく、まさに暴虐をなすためのものだと悟った。しかも領地に入る時には役人が取り調べを怠り、宿場ごとに支障なく泊まらせるような、ゆるみきった国の掟なのだから、はばかるには足りないと思い、もう一度関所の役人に向かってこの思いをぶつけて罵って通り過ぎた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『墨子』尚賢下若の國の士に問う、孰か喜び孰か懼れんと。我れ以て必ず忠信の士は喜び、忠ならず信ならざる士は懼れんと為す。今、唯だ尚賢を以て其の國家百姓に政を為す毋くんば、國の善を為す者をして勸ましめ、暴を為す者をして沮ましむ。夫れ以て天下に政を為さば、天下の善を為す者をして勸ましめ、暴を為す者をして沮ましむ。然らば昔、吾が堯舜禹湯文武の道を貴ぶ所以の者は、何の故を以てなるか。其の唯だ衆に臨み政を發して民を治むるに毋くんば、天下の善を為す者をして得て勸む可からしめ、暴を為す者をして得て沮む可からしむるを以てなり。然らば則ち此の尚賢なる者は、堯舜禹湯文武の道と同じきなり。
-
『墨子』尚同中子墨子曰く、方今の時の正長は、則ち本より古者と異なれり。之を譬うるに量るに五刑を以てするが若く然り。昔者、聖王は制して五刑を為り、以て天下を治む。有苗の五刑を制するに逮び至りては、以て天下を亂る。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なるなり。是を以て先王の書、呂刑の道いて曰く、「苗民、練を用いず、折くに則ち刑し、唯だ五殺の刑を作り、法と曰う」と。則ち此れ善く刑を用うる者は以て民を治め、善く刑を用いざる者は以て五殺と為すを言う。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なり、故に遂に以て五殺と為す。是を以て先王の書、術令の道いて曰く、「惟れ口は好を出だし戎を興す」と。則ち此れ善く口を用うる者は好を出だし、善く口を用いざる者は以て讒賊冦戎と為すを言う。則ち此れ豈に口の不善ならんや。口を用うること則ち不善なり、故に遂に以て䜛賊冦戎と為す。
-
老子 第18章大道廃れて、仁義有り。智慧出でて、大偽有り。六親和せずして、孝慈有り。国家昏乱して、忠臣有り。
-
孫子・形篇善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。故に能く勝敗の政を為す。
-
孫子・始計篇法とは、曲制・官道・主用なり。
-
『墨子』公孟公孟子、子墨子に謂いて曰く、「知に人より賢れる有らば、則ち知と謂う可きか」と。子墨子曰く、「愚の知に以て人より賢れる有るも、愚、豈に知と謂う可けんや」と。公孟子曰く、「三年の喪は、吾が父母を慕うを學ぶなり」と。子墨子曰く、「夫れ嬰兒子の知は、獨り父母を慕うのみ。父母、得可からざれば、然れども號びて止まず。此れ其の故は何ぞや。即ち愚の至りなり。然らば則ち儒者の知、豈に以て嬰兒子より賢れること有らんや」と。子墨子曰く、「儒者に問う、『何の故に樂を為すや』と」。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る