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講孟余話 / 盡心下 第六章

余野山獄ニアリテ三宅尙斎ノ傳ヲ読ミ、傳、近世叢語ニ出ツ、又先哲叢談ニモ出ツ、其獄中ノ詩ヲ見テ大ニ感シ、座右ニ貼シ坐臥是ヲ見ル、其詩ニ云ク、富貴壽天不二心、但向面前養誠心、四十餘年学何事、笑坐獄中鐵石心ト、尙斎已ニ獄ヲ出テ人ニ語テ云ク、余ヲシテ書ヲ知ラサラシメハ獄中ニ在テ何ヲ以テカ閑ヲ消セン、唯其書ヲ好ム、故ニ長日永夜終ニ他事ヲ思フニ暇アラズ、何ソ更ニ其閑ヲ憂ヘンヤト、此言深ク吾心ノ同シク然ル所ヲ得タリ、故ニ余獄中ノ詩ニ云ク、幽囚日月速、三秋此夜過、ト、紀実ノ語ナリ、眞ニ身ヲ此地ニ置ク者ニ非スンハ、安ンソ速ノ一字ヲ觧セン、又安ンソ朱子一語ノ謬ヲ知ラン

新字:余野山獄ニアリテ三宅尚斎ノ伝ヲ読ミ、伝、近世叢語ニ出ツ、又先哲叢談ニモ出ツ、其獄中ノ詩ヲ見テ大ニ感シ、座右ニ貼シ坐臥是ヲ見ル、其詩ニ云ク、富貴寿天不二心、但向面前養誠心、四十余年学何事、笑坐獄中鉄石心ト、尚斎已ニ獄ヲ出テ人ニ語テ云ク、余ヲシテ書ヲ知ラサラシメハ獄中ニ在テ何ヲ以テカ閑ヲ消セン、唯其書ヲ好ム、故ニ長日永夜終ニ他事ヲ思フニ暇アラズ、何ソ更ニ其閑ヲ憂ヘンヤト、此言深ク吾心ノ同シク然ル所ヲ得タリ、故ニ余獄中ノ詩ニ云ク、幽囚日月速、三秋此夜過、ト、紀実ノ語ナリ、真ニ身ヲ此地ニ置ク者ニ非スンハ、安ンソ速ノ一字ヲ觧セン、又安ンソ朱子一語ノ謬ヲ知ラン

書き下し

余野山獄にありて三宅尚斎の伝を読み、伝は近世叢語に出づ、又先哲叢談にも出づ。其の獄中の詩を見て大いに感じ、座右に貼して坐臥是れを見る。其の詩に云く、「富貴寿夭、心を二にせず、但だ面前に向かひて誠心を養ふ。四十余年何事をか学ぶ、笑つて坐す獄中鉄石の心」と。尚斎已に獄を出でて人に語りて云く、「余をして書を知らざらしめば、獄中に在りて何を以てか閑を消せん。唯だ其の書を好む、故に長日永夜終に他事を思ふに暇あらず。何ぞ更に其の閑を憂へんや」と。此の言深く吾が心の同じく然る所を得たり。故に余獄中の詩に云く、「幽囚日月速やかなり、三秋此の夜過ぐ」と、紀実の語なり。真に身を此の地に置く者に非ずんば、安んぞ速の一字を解せん。又安んぞ朱子一語の謬を知らん。

現代語訳

私は野山獄にいて三宅尚斎の伝記を読んだ。伝記は『近世叢語』に出ており、また『先哲叢談』にも出ている。その獄中の詩を見て大いに感じ入り、座右に貼って寝ても起きてもこれを見ていた。その詩にはこうある。「富貴も長寿も短命も、心を二つにすることはない。ただ目の前のことに向かって誠の心を養う。四十余年、何を学んできたのか。獄中に笑って座る鉄石の心」と。尚斎は獄を出たあと、人に語ってこう言った。「もし私が書物を知らなかったら、獄中で何をして暇をつぶしただろう。ただ書物が好きだったから、長い昼も長い夜も、ついにほかのことを考える暇がなかった。どうして暇を持て余して憂えることがあろうか」と。この言葉は深く私の心の同じところをとらえている。だから私の獄中の詩に「幽囚の月日は速い、三度目の秋もこの夜で過ぎてゆく」とあるのは、ありのままを記した言葉である。本当にこの境遇に身を置いた者でなければ、どうして「速」の一字が分かろうか。またどうして朱子の一語の誤りが分かろうか。

解説

三宅尚斎は江戸中期の朱子学者で、仕えた藩の主君を諫めて幽閉されたと伝えられます。松陰は野山獄でその伝記を読み、獄中の詩を座右に貼って励みとしました。尚斎の「書を好むから獄中でも暇を持て余さなかった」という言葉に、松陰は自分の実感を重ねます。獄中で月日が速く過ぎるのは、心が空っぽでなく打ち込むものがあるからで、平静は無感動からではなく充実から来る。前の段の朱子批判を、自らの獄中体験で裏づけて締めくくる一節です。

この章句が説くこと

三宅尚斎読書獄中充実時間

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