講孟余話 / 盡心下 第六章
人情聖愚甚タ相遠カラス、大氏胸中空々寂々ナレハ、常ニ不慊ヲ覚フ、故ニ心常ニ樂マズ、孳々汲々タレハ、常ニ充実ヲ覚フ、故ニ心常ニ樂シム、聖人ノ胸中ハ常ニ多事ニシテ樂シム、愚人ノ胸中ハ常ニ無事ニシテ憂フマズ、今畎畝ノ農夫億兆限リナシ、豈遽カニ舜アランヤ、魚塩ヲ鬻販スル者千万数ナシ、豈遽カニ傅說アランヤ、而シテ農夫ハ畎畝ヲ樂ミ、鬻販ハ魚塩ヲ樂ム者ハ他ナシ、固ヨリ虞舜傅說ト其樂ヲ語ルヘキニハ非レトモ、渠皆耕耘收藏各其時ヲ以テシ、買賣利潤以テ其貨ヲ殖ス、孳々汲々以テ其身ヲ終テ、復タ外慕ニ暇アルコトナレハナリ、今ノ学者却テ空々寂々ニ陷入テ、孳々汲々ノ功ヲ欠ク、故ニ靜ナレハ言フ、其言フハ國ヲ憂フルニ非ス、実ニ貧賤ニテ慕フナリ、庸レハ違フ、其違フハ國ヲ忘ルヽニ非ラス、富貴ニテ動クナリ、
新字:人情聖愚甚タ相遠カラス、大氏胸中空々寂々ナレハ、常ニ不慊ヲ覚フ、故ニ心常ニ楽マズ、孳々汲々タレハ、常ニ充実ヲ覚フ、故ニ心常ニ楽シム、聖人ノ胸中ハ常ニ多事ニシテ楽シム、愚人ノ胸中ハ常ニ無事ニシテ憂フマズ、今畎畝ノ農夫億兆限リナシ、豈遽カニ舜アランヤ、魚塩ヲ鬻販スル者千万数ナシ、豈遽カニ傅説アランヤ、而シテ農夫ハ畎畝ヲ楽ミ、鬻販ハ魚塩ヲ楽ム者ハ他ナシ、固ヨリ虞舜傅説ト其楽ヲ語ルヘキニハ非レトモ、渠皆耕耘収蔵各其時ヲ以テシ、買売利潤以テ其貨ヲ殖ス、孳々汲々以テ其身ヲ終テ、復タ外慕ニ暇アルコトナレハナリ、今ノ学者却テ空々寂々ニ陥入テ、孳々汲々ノ功ヲ欠ク、故ニ静ナレハ言フ、其言フハ国ヲ憂フルニ非ス、実ニ貧賤ニテ慕フナリ、庸レハ違フ、其違フハ国ヲ忘ルヽニ非ラス、富貴ニテ動クナリ、
書き下し
人情、聖愚甚だ相遠からず。大抵胸中空々寂々なれば、常に慊らざるを覚ゆ、故に心常に楽しまず。孳々汲々たれば、常に充実を覚ゆ、故に心常に楽しむ。聖人の胸中は常に多事にして楽しむ、愚人の胸中は常に無事にして憂ふ。今畎畝の農夫億兆限りなし、豈に遽かに舜あらんや。魚塩を鬻販する者千万数なし、豈に遽かに傅説あらんや。而して農夫は畎畝を楽しみ、鬻販は魚塩を楽しむ者は他なし。固より虞舜・傅説と其の楽を語るべきには非ざれども、渠皆耕耘収蔵各其の時を以てし、売買利潤以て其の貨を殖やし、孳々汲々以て其の身を終へて、復た外慕に暇あることなければなり。今の学者却つて空々寂々に陥り入りて、孳々汲々の功を欠く。故に静かなれば言ふ、其の言ふは国を憂ふるに非ず、実に貧賤にて慕ふなり。庸ひらるれば違ふ、其の違ふは国を忘るるに非ず、富貴にて動くなり。
現代語訳
人の情というものは、聖人も愚人もそれほど遠く隔たってはいない。たいてい胸の中ががらんとして空っぽだと、いつも物足りなさを感じるので、心はいつも楽しくない。せっせと励んでいれば、いつも充実を感じるので、心はいつも楽しい。聖人の胸の中はいつもすることが多くて楽しみ、愚かな人の胸の中はいつもすることがなくて憂える。いま田畑で働く農夫は数えきれないほどいるが、そこからすぐに舜が出るだろうか。魚や塩を売り歩く者も数えきれないが、そこからすぐに傅説が出るだろうか。それでも農夫が田畑を楽しみ、行商人が魚や塩の商いを楽しんでいるのは、ほかでもない。もとより舜や傅説とその楽しみを比べて語れるものではないが、彼らはみな耕して蓄えることをそれぞれ時に合わせて行い、売り買いの利益で財を増やし、せっせと励んで一生を終えて、外のものを慕う暇がないからである。ところが今の学者は、かえってがらんとした空っぽの心に陥って、せっせと励む努力を欠いている。だから暇があればあれこれ言うが、その言うことは国を憂えているのではなく、実は貧賤の中で外を慕っているのである。用いられれば心変わりするが、その心変わりは国を忘れたからではなく、富貴に心が動いたのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・修身・至人は世と礙らず只だ眼前都て意に可ならざるを見得るは、便ち是れ個の礙世の人なり。人我が意に可ならずんば、我必ず人の意に可ならず。人の意に可ならざる者は我一人、我が意に可ならざる者は千萬人なり。嗚呼、未だ千萬人の意に可ならずして危ふからざる者有らざるなり。是の故に智者は能く世と宜しく、至人は世と礙らず。
-
『春秋左氏伝』文公十四年 荘王即位と二子の乱楚の莊王立つ。子孔・潘崇、將に群舒を襲はんとし、公子燮と子儀とをして守らしめて、舒蓼を伐つ。二子亂を作し、郢に城きて、賊をして子孔を殺さしめんとす、克たずして還る。八月、二子楚子を以って出で、將に商密に如かんとす。廬の戢黎及び叔麇之を誘ひ、遂に鬥克、及び公子燮を殺す。初め、鬥克秦に囚はる。秦殽の敗有り、而して歸りて成を求めしむ。成りて志を得ず。公子燮令尹を求めて得ず。故に二子亂を作す。穆伯の己氏に從ふや、魯人文伯を立つ。穆伯二子を莒に生みて、復らんことを求む。文伯以って請ひを為す。襄仲朝すること無く命を聽かしむ。復りて出でず。二年にして室を盡くして以って復た莒に適く。文伯疾みて、請ひて曰く、「穀の子弱し、請ふ難を立てん」と。之を許す。文伯卒し、惠叔を立つ。穆伯重賂を請ひて以って復らんことを求む。惠叔以って請ひを為す、之を許す。將に來らんとす。九月、齊に卒す。喪を告げ、葬らんことを請ふ、許さず。宋の高哀蕭の封人と為り、以って卿と為る。宋公を不義として出で、遂に來奔す。書に曰く、「宋の子哀來奔す」と、之を貴ぶなり。齊人懿公を定め、來りて難を告げしむ、故に書するに九月を以ってす。齊の公子元、懿公の政を為すに順はざるなり、終に公と曰はず、夫の己氏と曰ふ。襄仲王に告げしめ、王の寵を以って、昭姬を齊に求めんことを請ひて、曰く、「其の子を殺す、焉んぞ其の母を用ゐん、請ふ受けて之を罪せん」と。冬、單伯齊に如きて、子叔姬を請ふ。齊人之を執へ、又子叔姬を執ふ。
-
『呻吟語』内篇・修身・孔孟も身遇はず自家の才德は、自家明白なる的なり。才短く德微なれば、即ち卑官薄祿も、已に稱ひ難しと為す。若し已に涘分を逾えて觖望窮まり無くんば、卻って是れ造物を難ずるを為すなり。孔孟も身遇はず、又た當に如何にすべきか。
-
『春秋左氏伝』荘公八年 瓜時の約束八年春、兵を廟に治む、禮なり。夏、師齊の師と郕を圍む。郕齊の師に降る。仲慶父齊の師を伐たんことを請ふ。公曰く、「不可なり。我實に不德なり、齊の師何の罪かあらん。罪は我の由なり。《夏書》に曰く、『皋陶邁(つと)めて德を種う。德あれば、乃ち降る』と。姑く德を修むるに務めて以て時を待たんか」と。秋、師還る。君子是を以て魯の莊公を善しとす。齊侯連稱・管至父をして葵丘を戍らしむ。瓜の時にして往く。曰く、「瓜に及びて代へん」と。期にして戍る。公の問至らず。代はらんことを請ふ。許さず。故に亂を作さんことを謀る。僖公の母弟を夷仲年と曰ふ。公孫無知を生む。僖公に寵有り、衣服禮秩嫡の如し。襄公之を絀く。二人之に因りて以て亂を作す。連稱に從妹の公宮に在る有り、寵無し。公を間はしめて曰く、「捷たば、吾女を以て夫人と爲さん」と。
-
『留魂録』第四条一、此の回の口書甚だ草々なり。七月九日一通り申し立てたる後、九月五日・十月五日、両度の呼び出しも差したる鞠問もなくして、十月十六日に至り、口書読み聞かせありて、直ちに書判せよとの事なり。余が苦心せし墨使応接・航海雄略等の論、一も書載せず。唯数ヶ所開港の事を程克く申し延べて、国力充実の後御打ち払ひ然るべしなど、吾が心にも非ざる迂腐の論を書き付けて口書とす。吾言うて益なきを知る、故に敢へて云はず。不満の甚しきなり。甲寅の歳航海一条の口書に比する時は雲泥の違ひと云ふべし。
-
『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦錢明逸久しく禁林に在り。意に合わず、出でて秦州と爲る。居常怏怏として事を事とせず。公之を聞き、人に語りて曰く、己は雖も欲せざるも、獨り部する所の百萬の生靈を思わざるかと。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る