講孟余話 / 序
然富貴安樂順境也、貧賤艱難逆境也、境順者易怠、境逆者易勵、怠則失、勵則得、是人之常也、吾獲罪下獄、得吉村五明・河野子忠・富永有隣三子、相共讀書講道、往復益喜、曰、吾與諸君其境逆矣、可以有勵而得也、遂抱孟子書、講究礱磨、欲以求其所謂道者、司獄福川氏亦來會稱善、於是悠然而樂、莞然而笑、不復知圜牆之爲苦也、遂錄其所得、號爲講孟劄記、夫孟子之說、固不待辨、然喜之不足、乃誦之口、誦之不足、乃筆之紙、亦情之所不能已、則劄記之作、其可廢哉、抑聞往年、獄中無政、酗酒使氣、喧豗紛爭、絶無人道、今公即位、庶政更張、延及獄中、百弊日改、衆美竝興、蓋司獄亦與有力焉、今乃與諸君悠悠講學、以得樂其幽囚者、寧可不思所以對揚乎哉、安政乙卯秋日、二十一回藤寅書諸野山獄北房第一舍
新字:然富貴安楽順境也、貧賤艱難逆境也、境順者易怠、境逆者易励、怠則失、励則得、是人之常也、吾獲罪下獄、得吉村五明・河野子忠・富永有隣三子、相共読書講道、往復益喜、曰、吾与諸君其境逆矣、可以有励而得也、遂抱孟子書、講究礱磨、欲以求其所謂道者、司獄福川氏亦来会称善、於是悠然而楽、莞然而笑、不復知圜牆之為苦也、遂録其所得、号為講孟劄記、夫孟子之説、固不待弁、然喜之不足、乃誦之口、誦之不足、乃筆之紙、亦情之所不能已、則劄記之作、其可廃哉、抑聞往年、獄中無政、酗酒使気、喧豗紛争、絶無人道、今公即位、庶政更張、延及獄中、百弊日改、衆美並興、蓋司獄亦与有力焉、今乃与諸君悠悠講学、以得楽其幽囚者、寧可不思所以対揚乎哉、安政乙卯秋日、二十一回藤寅書諸野山獄北房第一舎
書き下し
然れども富貴安楽は順境なり、貧賤艱難は逆境なり。境順なる者は怠り易く、境逆なる者は励み易し。怠れば則ち失ひ、励めば則ち得る、是れ人の常なり。吾罪を獲て獄に下り、吉村五明・河野子忠・富永有隣の三子を得て、相共に書を読み道を講じ、往復益々喜ぶ。曰く、吾と諸君と其の境逆なり、以て励むこと有りて得べきなりと。遂に孟子の書を抱きて講究礱磨し、以て其の所謂道なる者を求めんと欲す。司獄福川氏も亦来り会して善と称す。是に於て悠然として楽しみ、莞然として笑ひ、復た圜牆の苦たるを知らざるなり。遂に其の得る所を録し、号して講孟劄記と為す。夫れ孟子の説は固より弁を待たず。然れども之れを喜びて足らず、乃ち之れを口に誦し、之れを誦して足らず、乃ち之れを紙に筆す、亦情の已む能はざる所なれば、則ち劄記の作、其れ廃すべけんや。抑々聞く、往年獄中に政無く、酒に酗ひ気を使ひ、喧豗紛争して、絶えて人道無しと。今公即位し、庶政更張して、延いて獄中に及び、百弊日に改まり、衆美並び興る。蓋し司獄も亦与りて力有り。今乃ち諸君と悠悠として学を講じ、以て其の幽囚を楽しむことを得る者、寧ぞ対揚する所以を思はざるべけんや。安政乙卯秋日、二十一回藤寅、諸を野山獄北房第一舎に書す。
現代語訳
けれども、富貴や安楽は順境であり、貧賤や艱難は逆境である。順境にある者は怠けやすく、逆境にある者は励みやすい。怠ければ失い、励めば得る。これが人の常である。私は罪を得て獄に下ったが、吉村五明・河野子忠・富永有隣の三人に出会い、共に書を読み道を語り合い、やりとりするほどに喜びが増した。そこで言った。「私も諸君も逆境にある。だからこそ励んで得るものがあるはずだ」。こうして孟子の書を抱えて講じ究め、磨き合い、孟子のいう道を求めようとした。獄の役人の福川氏も来て加わり、良いことだとほめてくれた。こうして私たちはゆったりと楽しみ、にこやかに笑い、獄の苦しさをもう感じなくなった。そこで得たものを書きとめ、講孟劄記と名づけた。そもそも孟子の説は、私があれこれ弁じるまでもない。しかし喜んでも足りず口ずさみ、口ずさんでも足りず紙に書く。これも情としてやむを得ないことであるから、この劄記を作ることをどうしてやめられようか。聞けば、以前の獄にはまともな取り締まりがなく、酒に酔って荒れ、騒ぎ争って、人の道などまったくなかったという。今の殿が位にあって諸政を改め、それが獄中にも及び、多くの弊害が日々改まり、良いことが次々に起こっている。獄の役人もそれに力を尽くしたのである。今こうして諸君とゆったり学問を講じ、幽囚の身を楽しむことができるのだから、そのご恩に応えるすべを考えないでよいだろうか。安政二年秋の日、二十一回藤寅(松陰)が野山獄北房第一舎で書く。
解説
この章句が説くこと
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『論語と算盤』処世と信条・大丈夫の試金石真の逆境とはいかなる場合をいうか、実例に徴して一応の説明を試みたいと思う。およそ世の中は順調を保って平穏無事にゆくのが普通であるべき筈ではあるが、水に波動のあるごとく、空中に風の起こるがごとく、平静なる国家社会すらも、時としては革命とか変乱とかいうことが起こって来ないとも断言されない。そしてこれを平静無事な時に比すれば明らかに逆であるが、人もまたこのごとき変乱の時代に生まれ合い、心ならずもその渦中に巻き込まれるは不幸の者で、こういうのが真の逆境に立つというのではあるまいか。果たしてしからば余もまた逆境に処して来た一人である。余は維新前後世の中が最も騒々しかった時代に生まれ合い、さまざまの変化に遭遇して今日に及んだ。顧みるに維新の際におけるがごとき世の変化に際しては、いかに智能ある者でも、また勉強家でも、意外な逆境に立ったり、あるいは順境に向かったりしないとは言われない。
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『講孟余話』告子下 第十五章又余野山獄に在る時、友人土屋松如、居易堂集明の遺臣俟斎徐枋の著を貸し示す。其の中に「潘生次耕に与ふる書」あり、才を生じ才を成すと云ふことを論ず。大意謂へらく、天の才を生ずること多けれども、才を成すこと難し。譬へば春夏の草木花葉鬱蒼たるが如き、是れ才を生ずるなり。然れども桃李の如きは、秋冬の霜雪に逢ひて皆零落凋傷す。独り松柏は然らず、雪中松柏愈々青々たり。是れ才を成すなり。人才も亦然り。少年軽鋭、鬱蒼喜ぶべき者甚だ衆し。然れども艱難困苦を経るに従ひ、英気頽敗して一俗物となる者少からず。唯真の志士は此の処に於て愈々激昂して、遂に才を成すなり。故に霜雪は桃李の凋む所以、即ち松柏の実する所以なり。艱苦は軽鋭の頽るる所以、即ち志士の激する所以なりとあり。是れ又全文を諳ぜず、大意斯くの如し。今吾不才と云へども、象山の徒にして、又徐氏の文を読む。豈に桃李に伍して松柏に笑はれんや。当に琢磨淬励して連城・干将となるべきのみ。是れ此の章に於て感ある所なり。抑も「入りては則ち法家払士無く、出でては則ち敵国外患無き者は、国恒に亡ぶ」と云ふに至りては、一転して国家の事に入る。尤も思ひを致すべし。余乃ち云く、内に法家払士あれば、敵国外患に因りて国随ひて興り、法家払士なければ、敵国外患に因りて国随ひて亡ぶ。今や敵国外患なきに非ず、法家払士の有無は国家興亡の界なり。豈に寒心せざることを得んや。
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