講孟余話 / 盡心下 首章
余野山獄ニ囚ハルヽコト一年餘、具ニ獄中ノ艱苦制度ノ陋悪ヲ知リ、愍然ニ堪ヘス、先ツ江戶獄記ヲ作リ、其制度ノ可ナル者ヲ錄シ、野山獄ニ施行センコトヲ冀フ、又福堂策二則ヲ作リ處置ノ宜キヲ詳論シ、又野山獄囚名錄敍論ヲ撰ヒ、野山獄記ヲ撰ヒ、諸囚滯獄ノ甚シキヲ著ス、又夫々ノ傳手ヲ以テ滯獄ノ冤狀ヲ陳シ、才能ノ隱沒ヲ嘆シ、免宥ヲ謀ル者一ニシテ足ラズ、或ハ書ヲ與ヘテ是ヲ弁論スルニ至ル、余平生伊尹ノ任ヲ以テ志トス、思天下之民、匹夫匹婦、有不被堯舜之澤者、若己推而內之溝中、萬章上篇第七章ニ出ツ、又其下篇首章ニモ出ツ、但被ノ上ニ一ノ與ノ字ヲ加フ、ノ言ノ如キ、固ヨリ區々一囚奴ノ及フ所ニ非サレトモ、囚徒ノ事ハ己カ耳目ノ及フ所ニシテ、特ニ吾ナラテハ他人論シ及フ者ナケレハ、一身ニ負荷シ、罪ヲ獲ルトモ万々悔ル所ナシ、况ヤ口舌ノ謗議ヲ顧ルニ暇アランヤ、
新字:余野山獄ニ囚ハルヽコト一年余、具ニ獄中ノ艱苦制度ノ陋悪ヲ知リ、愍然ニ堪ヘス、先ツ江戸獄記ヲ作リ、其制度ノ可ナル者ヲ録シ、野山獄ニ施行センコトヲ冀フ、又福堂策二則ヲ作リ処置ノ宜キヲ詳論シ、又野山獄囚名録叙論ヲ撰ヒ、野山獄記ヲ撰ヒ、諸囚滞獄ノ甚シキヲ著ス、又夫々ノ伝手ヲ以テ滞獄ノ冤状ヲ陳シ、才能ノ隠没ヲ嘆シ、免宥ヲ謀ル者一ニシテ足ラズ、或ハ書ヲ与ヘテ是ヲ弁論スルニ至ル、余平生伊尹ノ任ヲ以テ志トス、思天下之民、匹夫匹婦、有不被堯舜之沢者、若己推而内之溝中、万章上篇第七章ニ出ツ、又其下篇首章ニモ出ツ、但被ノ上ニ一ノ与ノ字ヲ加フ、ノ言ノ如キ、固ヨリ区々一囚奴ノ及フ所ニ非サレトモ、囚徒ノ事ハ己カ耳目ノ及フ所ニシテ、特ニ吾ナラテハ他人論シ及フ者ナケレハ、一身ニ負荷シ、罪ヲ獲ルトモ万々悔ル所ナシ、況ヤ口舌ノ謗議ヲ顧ルニ暇アランヤ、
書き下し
余野山獄に囚はるること一年余、具に獄中の艱苦、制度の陋悪を知り、愍然に堪へず。先づ江戸獄記を作り、其の制度の可なる者を録し、野山獄に施行せんことを冀ふ。又福堂策二則を作り処置の宜しきを詳論し、又野山獄囚名録叙論を撰び、野山獄記を撰び、諸囚滞獄の甚だしきを著す。又夫れ夫れの伝手を以て滞獄の冤状を陳じ、才能の隠没を嘆じ、免宥を謀る者一にして足らず、或いは書を与へて是れを弁論するに至る。余平生伊尹の任を以て志とす。「天下の民、匹夫匹婦、堯舜の沢を被らざる者有らば、己れ推して之れを溝中に内るるが若しと思ふ」萬章上篇第七章に出づ、又其の下篇首章にも出づ、但し被の上に一つの与の字を加ふ、の言の如き、固より区々たる一囚奴の及ぶ所に非ざれども、囚徒の事は己が耳目の及ぶ所にして、特に吾ならでは他人論じ及ぶ者なければ、一身に負荷し、罪を獲るとも万々悔ゆる所なし。況んや口舌の謗議を顧みるに暇あらんや。
現代語訳
私は野山獄に囚われること一年余り、獄中の苦しみと制度のひどさをつぶさに知り、哀れに思わずにはいられなかった。そこでまず「江戸獄記」を書き、江戸の牢の制度のうち良いものを記録して、野山獄でも行われるよう願った。また「福堂策」二編を書いて囚人の扱い方のよい方法を詳しく論じ、また「野山獄囚名録叙論」と「野山獄記」を書いて、囚人たちが不当に長く獄に留め置かれていることを明らかにした。さらにさまざまな伝手を使って、長く留め置かれた囚人の冤罪の様子を訴え、才能が埋もれていることを嘆き、赦免を図ったことは一度や二度ではない。手紙を書いてこれを論じたこともある。私は日ごろ伊尹の責任感を志としている。「天下の民で、名もない男女一人でも堯舜の恵みを受けない者がいれば、自分がその人を溝の中に突き落としたかのように思う」萬章上篇第七章に出る。またその下篇首章にも出るが、「被」の上に「与」の字が一つ加わっている。という言葉のようなことは、もとよりちっぽけな一囚人の及ぶところではないが、囚人のことは自分の目や耳の届くところであり、とりわけ私でなければ論じる者がいないので、一身に引き受けており、罪を得ても決して悔いはない。まして口先の悪口などに構っている暇があろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「孔子東山に登りて魯を小とし、泰山に登りて天下を小とす。故に海を観る者には水と為し難く、聖人の門に游ぶ者には言と為し難し。水を観るに術有り、必ず其の瀾を観る。日月明有り、光を容るるところ必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」
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孟子・盡心章句上公孫丑曰く、「伊尹曰く、『予、不順に狎れしめず。』太甲を桐に放ち、民大いに悅ぶ。太甲賢となる。又之を反し、民大いに悅ぶ。賢者の人臣為るや、其の君、賢ならざれば、則ち固より放つ可きか。」孟子曰く、「伊尹の志有れば、則ち可なり。伊尹の志無ければ、則ち篡うなり。」
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史記 刺客列伝高漸離名姓を変じて人の庸保と為り、宋子に匿れ作す。之を久しくして、作苦しく、其の家の堂上に客の筑を撃つを聞き、傍偟して去る能はず。毎に言を出だして曰く、「彼に善有り善ならざる有り」と。従者以て其の主に告げて曰く、「彼の庸は乃ち音を知り、竊かに是非を言ふ」と。家の丈人召して前に筑を撃たしむ。一坐善しと称し、酒を賜ふ。而して高漸離、久しく隠れて畏約すること窮まる時無きを念ひ、乃ち退きて、其の装匣の中の筑と其の善衣とを出だし、容貌を更めて前む。坐を挙げて客皆驚き、下りて与に抗礼し、以て上客と為す。筑を撃ちて歌はしむ。客流涕して去らざる者無し。宋子伝へて之を客とし、秦の始皇に聞こゆ。秦の始皇召し見る。人識る者有りて、乃ち曰く、「高漸離なり」と。秦の皇帝其の善く筑を撃つを惜しみ、重ねて之を赦し、乃ち其の目を矐す。筑を撃たしむるに、未だ嘗て善しと称せずんばあらず。稍く益々之に近づく。高漸離乃ち鉛を以て筑の中に置き、復た進みて近づくを得、筑を挙げて秦の皇帝を樸つ。中らず。是に於て遂に高漸離を誅し、身を終ふるまで復た諸侯の人に近づかず。魯句践已に荊軻の秦王を刺せしを聞き、私かに曰く、「嗟乎、惜しいかな其の刺剣の術を講ぜざりしや。甚だしいかな吾の人を知らざるや。曩者吾之を叱す。彼乃ち我を以て人に非ずと為せしならん」と。太史公曰く、世に荊軻を言ふに、其の太子丹の命を称して、「天粟を雨らし、馬角を生ず」とするや、太だ過ぎたり。又荊軻秦王を傷つくと言ふも、皆非なり。始め公孫季功・董生、夏無且と游び、具に其の事を知り、余の為に之を道ふこと是の如し。曹沫より荊軻に至るまで五人、此れ其の義或いは成り或いは成らず。然れども其の意を立つること較然として、其の志を欺かず、名後世に垂る。豈に妄ならんや。
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史記 伯夷列伝子曰く、「道同じからざれば相ひ為に謀らず」と。亦た各々其の志に従ふなり。故に曰く、「富貴もし求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾も亦た之を為さん。如し求む可からずんば、吾が好む所に従はん」と。「歳寒くして、然る後に松柏の凋むに後るるを知る」。世を挙げて混濁して、清士乃ち見はる。豈に其の重んずること彼の若く、其の軽んずること此くの若くなるを以てせんや。
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論語・里仁篇子曰わく、いやしくも仁に志せば、悪しきこと無し。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「名を好むの人は、能く千乘の國を讓る。苟くも其の人に非ざれば、簞食豆羹も色に見わる。」
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