講孟余話 / 盡心下 第四章
此章、離婁上篇第四章及ヒ告子下篇第九章ト同意、割記亦両章ト并セ考フヘシ、主意國君仁ヲ好メハ天下ニ敵ナシ、而ルニ臣タル者君ヲ導クニ仁ヲ以テセスシテ、善爲陳善爲戰ト云ヲ以テ君意ニ當ランコトヲ求ムルノ大罪ナルヲ云ナリ、已上四章意味相連ル、大意戰ハ必ツ仁義ヲ以テ用ユヘキヲ論スルナリ規矩ハ師匠ニアリ、巧ハ学者ニアリ、巧アリテ規矩ナク、規矩アリテ巧ナキ、皆以テ宅ヲ制シ器ヲ造ルニ足ラス、忠孝仁義ノ訓ハ経籍ニアレ共、其躬行心得ニ至テハ豈人ニ由ランヤ、是師タル者ノ教ル所以、弟子タル者ノ学フ所以ヲ論ス、因テ又良能性善即チ巧ナリノ実ヲ発明シ、自ラ勉勵スルコトヲ知ルヘシ
新字:此章、離婁上篇第四章及ヒ告子下篇第九章ト同意、割記亦両章ト并セ考フヘシ、主意国君仁ヲ好メハ天下ニ敵ナシ、而ルニ臣タル者君ヲ導クニ仁ヲ以テセスシテ、善為陳善為戦ト云ヲ以テ君意ニ当ランコトヲ求ムルノ大罪ナルヲ云ナリ、已上四章意味相連ル、大意戦ハ必ツ仁義ヲ以テ用ユヘキヲ論スルナリ規矩ハ師匠ニアリ、巧ハ学者ニアリ、巧アリテ規矩ナク、規矩アリテ巧ナキ、皆以テ宅ヲ制シ器ヲ造ルニ足ラス、忠孝仁義ノ訓ハ経籍ニアレ共、其躬行心得ニ至テハ豈人ニ由ランヤ、是師タル者ノ教ル所以、弟子タル者ノ学フ所以ヲ論ス、因テ又良能性善即チ巧ナリノ実ヲ発明シ、自ラ勉励スルコトヲ知ルヘシ
書き下し
此の章、離婁上篇第四章及び告子下篇第九章と同意、割記亦両章と并せ考ふべし。主意は、国君仁を好めば天下に敵なし、而るに臣たる者君を導くに仁を以てせずして、「善く陳を為し、善く戦を為す」と云ふを以て君意に当たらんことを求むるの大罪なるを云ふなり。已上四章意味相連なる。大意、戦は必ず仁義を以て用ゆべきを論ずるなり。規矩は師匠にあり、巧は学者にあり。巧ありて規矩なく、規矩ありて巧なき、皆以て宅を制し器を造るに足らず。忠孝仁義の訓へは経籍にあれども、其の躬行心得に至りては豈に人に由らんや。是れ師たる者の教ふる所以、弟子たる者の学ぶ所以を論ず。因りて又、良能性善即ち巧なりの実を発明し、自ら勉励することを知るべし。
現代語訳
(第四章)この章は離婁上篇第四章および告子下篇第九章と同じ意味で、記したことも両章と併せて考えるとよい。主意は、国の君主が仁を好めば天下に敵はいない、それなのに臣下でありながら君主を仁に導かず、「私は陣立てがうまい、戦がうまい」と言って君主の意にかなおうとするのは大罪だ、ということである。以上の四章は意味がつながっている。大意は、戦は必ず仁義によって用いるべきだということを論じている。(第五章)規矩(コンパスと定規)は師匠のもとにあり、巧みさは学ぶ者の側にある。巧みさがあって規矩がなくても、規矩があって巧みさがなくても、どちらも家を建て器を造るには足りない。忠孝仁義の教えは経書にあるけれども、それを身に行い心に得るところに至っては、どうして他人によることができようか。これは師が教えるわけと、弟子が学ぶわけを論じている。そこでまた、生まれつきの良能や性善がすなわち巧みさなのだという実際を明らかにし、自分から努め励むべきことを知るべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『講孟余話』盡心下 第三章余前後の章を以て考ふるに、此の章の主意は「仁人は天下に敵無し」の一句にあり。孟子謂へらく、仁人は敵無しと云ふと雖も、人或いは武成に「血流れて杵を漂はす」の語あるを以て証とし、仁人と云へども未だ必ずしも敵無きにあらずと云はんことを恐れ、因りて「吾武成に於て」云々と云ひ、又因りて「尽く書を信ず」云々と云ふ。故に「尽く書を信ず」云々の語は、汎く読書の法を論ずる如しと云へども、実は武成に因りて発す。「武成に二三策を取る」の説は、汎く武成を論ずる如しと云へども、実は「血流れて杵を漂はす」の語より発するなり。朱註に云く、「書の本意は乃ち商人自ら相殺すを謂ふ、武王之れを殺すを謂ふに非ざるなり。孟子の是の言を設くるは、後世の惑ひて且つ不仁の心を長ぜんことを懼るるのみ」と。
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『講孟余話』告子下 第四章此の章利と仁義とを論ず。梁恵王上篇首章と大いに同じ。孟子一生の定論なり。不利を云ふは戦は勝つと雖も、兵鈍り鋭挫け、力屈し財竭く、孫子作戦篇等に云ふが如し。況んや戦必ずしも勝たざるをや。且つ秦楚の戦は両虎相搏つが如し。兵連なり禍結び、韓魏斉趙是に乗ぜば、勇々しき大事なりと云ふに過ぎざるべし。仁義の説は、先づ甲兵を興し士臣を危くし、怨を諸侯に構へ、土地の故を以て其の民を糜爛するの不仁たるを云ひて、其の仁心を感発せしめ、又寸壌尺地も不義を以て取るまじき事を説きて、義心を興起せしむるなるべし。古今兵を論ずる者、皆利を本とし、仁義如何を顧みず。今時に至り其の弊極まれり。其の実は仁義程利なる物はなく、又利程不仁不義にして不利なる者はなし。近日魯墨の事に依りて知るべし。
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『講孟余話』盡心上 第四章此の章、上の「我に在る者を求む」を承けて云ふ。「恕を強めて行ふ、仁を求むること焉より近きは莫し」とは何等の親切の教へぞや。大儀なることを勉強してすると、人の情を思ひ遣りて己の行ひをするとより学問は始まることにて、是れ強恕の道なり。此の下三章、皆「焉より近きは莫し」の意を推して、切近の事を以て至理を説くなり。
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『講孟余話』盡心下 首章章 「不仁なるかな、梁の恵王や」。首の一句、是れ全章の主意なり。是れを承くるに、仁者・不仁者の両股を以てし、其の下公孫丑の問ひに因りて梁の恵王の不仁なる訳を云ひて、不仁の一股を釈す。仁の一股は言外に蘊するのみにて敢へて発顕せず。然れども其の落着却つて発顕せざる処にあり。恵王の事実は梁恵王上篇第五章を考ふべし。又仁の訳も同章に云ふ所を以て知るべし。「仁政を施し、刑罰を省き、税斂を薄くし」、入りて事へ、出でて事ふるの類是れなり。
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『講孟余話』盡心下 第三十八章此の二章、是れ孟子道行はれずして天下後世に伝ふるの志なり。孟子七篇、梁恵王を以て首篇とす、是れ王政の要、孟子の天下に行はんと欲する所なり。尽心を以て末篇とす、是れ聖道の精、孟子の後世に伝へんと欲する所なり。中間の告子一篇は、性善の論、学者手を下すの初頭なり。他の諸篇は三義を雑記するなり。故に孟子を観んと欲せば、性善より工夫を下し、王政を行ひ、大道を万世に伝へば、用捨行蔵遺憾なきに足れり。抑々割記の開巻第一義は国体人倫にあり、故に首として君臣の大義を論ず。結末に至りて、明らかに此の道を以て自ら任とするの意を著す。同志の諸君子、始末を合はせ考へて、余が志の孔孟に謬るや否や、国体人倫に戻るや否やを論究し、教へを賜ふを惜しむことなくんば幸甚幸甚。此の篇上下を分かつことなし。「心を尽くし性を知り天を知る」に起り、「有ること無くんば、則ち亦有ること無からん」に終る。言尽きて意尽きず。其の間章々或は続き、或は断ゆ。之れを要するに皆聖道の精微、身心に緊切なる者にして、孟子の以て天下後世に伝ふる所以なり。丙辰六月十八日具稿。
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『講孟余話』盡心下 第二章此の章、告子下篇第七章と并せ考ふべし。「春秋に義戦無し」と云ふは、即ち彼の章の「五覇は三王の罪人なり」の説なり。「彼此より善きは則ち之れ有り」と云ふは、即ち「今の諸侯は五覇の罪人なり」の義なり。故に彼の章に於て割記する所を往きて見るべし。此の章甚だ読み難し。若し泛然として読書法を論ずとなさば、「尽く書を信ずれば則ち書無きに如かず」の一句是れ主意にして、「吾武成に於て二三策を取るのみ」以下は只其の引証に備ふるのみ。其の意正に萬章上篇第四章、詩を説くことを論じて雲漢の詩を引くが如し。
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