講孟余話 / 盡心下 第二章
此章、告子下篇第七章ト并セ考フヘシ、春秋無義戰ト云ハ、即チ彼章五覇者三王之罪人也ノ說也、彼善於此則有之矣ト云ハ、即チ今之諸侯五覇之罪人也ノ義也、故ニ彼章ニ於テ割記スル所ヲ往テ見ルヘシ此章甚タ読ミ難シ、若シ泛然トシテ読書法ヲ論ストナサハ、盡信書則不如無書ノ一句是レ主意ニシテ、吾於武成取二三策而已矣、以下只其引証ニ備ルノミ、其意正ニ萬章上篇第四章、詩ヲ說クコトヲ論シテ、雲漢ノ詩ヲ引クカ如シ、
新字:此章、告子下篇第七章ト并セ考フヘシ、春秋無義戦ト云ハ、即チ彼章五覇者三王之罪人也ノ説也、彼善於此則有之矣ト云ハ、即チ今之諸侯五覇之罪人也ノ義也、故ニ彼章ニ於テ割記スル所ヲ往テ見ルヘシ此章甚タ読ミ難シ、若シ泛然トシテ読書法ヲ論ストナサハ、尽信書則不如無書ノ一句是レ主意ニシテ、吾於武成取二三策而已矣、以下只其引証ニ備ルノミ、其意正ニ万章上篇第四章、詩ヲ説クコトヲ論シテ、雲漢ノ詩ヲ引クカ如シ、
書き下し
此の章、告子下篇第七章と并せ考ふべし。「春秋に義戦無し」と云ふは、即ち彼の章の「五覇は三王の罪人なり」の説なり。「彼此より善きは則ち之れ有り」と云ふは、即ち「今の諸侯は五覇の罪人なり」の義なり。故に彼の章に於て割記する所を往きて見るべし。此の章甚だ読み難し。若し泛然として読書法を論ずとなさば、「尽く書を信ずれば則ち書無きに如かず」の一句是れ主意にして、「吾武成に於て二三策を取るのみ」以下は只其の引証に備ふるのみ。其の意正に萬章上篇第四章、詩を説くことを論じて雲漢の詩を引くが如し。
現代語訳
(第二章)この章は告子下篇第七章と併せて考えるとよい。「春秋時代に正義の戦争はない」というのは、あの章の「五覇は三王(夏・殷・周の聖王)の罪人である」という説のことである。「あれがこれより善いということはある」というのは、「今の諸侯は五覇の罪人である」という意味である。だからあの章で記したところを見に行くとよい。(第三章)この章はたいへん読みにくい。もし漠然と読書の仕方を論じたものとみるなら、「書物をすべて信じるくらいなら、書物はないほうがましだ」の一句が主意であって、「私は武成篇からは二、三の札を取るだけだ」以下は、ただその証拠として挙げているにすぎない。その意図はちょうど萬章上篇第四章で、詩の解き方を論じて雲漢の詩を引いているのと同じである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『講孟余話』盡心下 第三章余前後の章を以て考ふるに、此の章の主意は「仁人は天下に敵無し」の一句にあり。孟子謂へらく、仁人は敵無しと云ふと雖も、人或いは武成に「血流れて杵を漂はす」の語あるを以て証とし、仁人と云へども未だ必ずしも敵無きにあらずと云はんことを恐れ、因りて「吾武成に於て」云々と云ひ、又因りて「尽く書を信ず」云々と云ふ。故に「尽く書を信ず」云々の語は、汎く読書の法を論ずる如しと云へども、実は武成に因りて発す。「武成に二三策を取る」の説は、汎く武成を論ずる如しと云へども、実は「血流れて杵を漂はす」の語より発するなり。朱註に云く、「書の本意は乃ち商人自ら相殺すを謂ふ、武王之れを殺すを謂ふに非ざるなり。孟子の是の言を設くるは、後世の惑ひて且つ不仁の心を長ぜんことを懼るるのみ」と。
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『講孟余話』盡心下 第三章然れども斯く云ふ時は意義甚だ浅し。且つ詩書周易春秋の如き、未だ疑ふべき者あるを見ず。偶々ありと云へども、字句の末にて大義の関はる所に非ず、雲漢の詩の類なり。或いは読者の拘泥にて本義の謬妄に非ず、武成の如き是れなり。秦漢以来楽書欠亡し、礼書純ならず、故に尽く信ずべからず。然れども孟子の時未だ必ずしも然らず。孟子中弁ずる所の斉東野人の語、好事者の為す所の如き多しと云へども、孟子豈に是等の為めに事々しく此の言を発せんや。又専ら武成の為に発すとせば、「吾武成に於て」の句是れ主意にして、「尽く書を信ず」云々も泛く天下の書を云ふに非ず。然れども余武成を按ずるに、今文の無き所にして古文のみ存すれば強ち信じ難けれども、今文は伏生の口授する所二十篇、後儒の信を取る所なり。古文は孔子壁中の書と云ふ、東晋の時初めて出づ、故に或いは疑ひを容る。姑く古文に就きて之れを論ずるに、信ずべからざるの事殊に少なし。只「馬を華山の陽に帰し、牛を桃林の野に放ち、天下に服せざるを示す」と云ふ者、語気の間頗る虚誇に過ぐるを恨むるのみ。然れども是れ亦形容の常語にて、力を極めて偃武修文の盛を模写せんと欲して、覚えず是に至るのみ、深く怪しむに足らず。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「盡く書を信ぜば、則ち書無きに如かず。吾、武成に於いて、二三策を取るのみ。仁人は天下に敵無し。至仁を以て至不仁を伐つ。而るに何ぞ其の血の杵を流さんや。」
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『講孟余話』盡心下 第四章此の章、離婁上篇第四章及び告子下篇第九章と同意、割記亦両章と并せ考ふべし。主意は、国君仁を好めば天下に敵なし、而るに臣たる者君を導くに仁を以てせずして、「善く陳を為し、善く戦を為す」と云ふを以て君意に当たらんことを求むるの大罪なるを云ふなり。已上四章意味相連なる。大意、戦は必ず仁義を以て用ゆべきを論ずるなり。規矩は師匠にあり、巧は学者にあり。巧ありて規矩なく、規矩ありて巧なき、皆以て宅を制し器を造るに足らず。忠孝仁義の訓へは経籍にあれども、其の躬行心得に至りては豈に人に由らんや。是れ師たる者の教ふる所以、弟子たる者の学ぶ所以を論ず。因りて又、良能性善即ち巧なりの実を発明し、自ら勉励することを知るべし。
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『講孟余話』盡心下 首章章 「不仁なるかな、梁の恵王や」。首の一句、是れ全章の主意なり。是れを承くるに、仁者・不仁者の両股を以てし、其の下公孫丑の問ひに因りて梁の恵王の不仁なる訳を云ひて、不仁の一股を釈す。仁の一股は言外に蘊するのみにて敢へて発顕せず。然れども其の落着却つて発顕せざる処にあり。恵王の事実は梁恵王上篇第五章を考ふべし。又仁の訳も同章に云ふ所を以て知るべし。「仁政を施し、刑罰を省き、税斂を薄くし」、入りて事へ、出でて事ふるの類是れなり。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「春秋に義戰無し。彼、此れより善きは、則ち之れ有り。征とは、上、下を伐つなり。敵國は相征せざるなり。」
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