講孟余話 / 盡心下 第三章
吾師象山江戶獄ニ在テ孟子ヲ読ミ痛熟ス、此章ニ於テ朱註ヲ信セス、別ニ一篇ノ文字ヲ著ス、余隣舍ニアリシ故借読シタレトモ、今其全文ヲ擧ルコト能ハス、其意盖シ云ク、書ノ本意固ヨリ商人自ラ相殺スヲ云フ、而シテ孟子ノ意モ亦同シ、盖シ前徒倒戈ト云ヘハ、前徒ノミ武王ニ辟易スレトモ、後軍ハ踏畄リタルコト知ルヘシ、武王ノ至仁ニテ紂ノ至不仁ヲ伐タハ、下章ノ所謂若崩厥角稽首ト云コソ傳信ナルヘシ、盖シ商人惣軍悉ク稽首スト云ヘハ、前徒倒戈ト云ノミニ非ル也、且孟子書ノ本意ニモナキ妄言ヲ設ケテ、後世ノ惑ヲ觧、不仁ノ心ヲ銷スルトハ、誠ニ迂濶ナルコトニテ、孟子決シテ然ラスト、余按スルニ敗軍ニ友崩裡崩ト云コトアリ、友崩ト云ハ前徒敗走シテ後軍ヘナタレ掛ルニ因テ、後軍モ溜リ得ス、一同ニ崩潰スルコトナリ、裡崩ト云ハ前徒ハ未タ戈ヲ交ヘヌ内ニ、後軍ヨリ先ツ崩レ立テ、前徒モ亦同シク崩ルヽコト也、今前徒倒戈、攻後以北トアレハ、前徒崩ルヽノミニテ後軍ハ踏畄タル故、勿論裡崩ノ形ハ殊テナク、又友崩ヨリモ一段後軍手强キナリ、且血流漂杵ト云者ハ、兵法ニ前徒崩レテ後軍ヘナタレ掛ル時ハ、後軍ニテ打捨切捨ルコトアリ、攻後モ血流モ、盖シ是カ爲ナリ、余是ヲ考ヘテ朱註ノ謬、眞ニ象山ノ說ノ如キヲ知レリ
新字:吾師象山江戸獄ニ在テ孟子ヲ読ミ痛熟ス、此章ニ於テ朱註ヲ信セス、別ニ一篇ノ文字ヲ著ス、余隣舎ニアリシ故借読シタレトモ、今其全文ヲ挙ルコト能ハス、其意盖シ云ク、書ノ本意固ヨリ商人自ラ相殺スヲ云フ、而シテ孟子ノ意モ亦同シ、盖シ前徒倒戈ト云ヘハ、前徒ノミ武王ニ辟易スレトモ、後軍ハ踏畄リタルコト知ルヘシ、武王ノ至仁ニテ紂ノ至不仁ヲ伐タハ、下章ノ所謂若崩厥角稽首ト云コソ伝信ナルヘシ、盖シ商人惣軍悉ク稽首スト云ヘハ、前徒倒戈ト云ノミニ非ル也、且孟子書ノ本意ニモナキ妄言ヲ設ケテ、後世ノ惑ヲ觧、不仁ノ心ヲ銷スルトハ、誠ニ迂濶ナルコトニテ、孟子決シテ然ラスト、余按スルニ敗軍ニ友崩裡崩ト云コトアリ、友崩ト云ハ前徒敗走シテ後軍ヘナタレ掛ルニ因テ、後軍モ溜リ得ス、一同ニ崩潰スルコトナリ、裡崩ト云ハ前徒ハ未タ戈ヲ交ヘヌ内ニ、後軍ヨリ先ツ崩レ立テ、前徒モ亦同シク崩ルヽコト也、今前徒倒戈、攻後以北トアレハ、前徒崩ルヽノミニテ後軍ハ踏畄タル故、勿論裡崩ノ形ハ殊テナク、又友崩ヨリモ一段後軍手強キナリ、且血流漂杵ト云者ハ、兵法ニ前徒崩レテ後軍ヘナタレ掛ル時ハ、後軍ニテ打捨切捨ルコトアリ、攻後モ血流モ、盖シ是カ為ナリ、余是ヲ考ヘテ朱註ノ謬、真ニ象山ノ説ノ如キヲ知レリ
書き下し
吾が師象山、江戸獄に在りて孟子を読み痛熟す。此の章に於て朱註を信ぜず、別に一篇の文字を著す。余隣舎にありし故借り読みたれども、今其の全文を挙ぐること能はず。其の意蓋し云く、書の本意固より商人自ら相殺すを云ふ、而して孟子の意も亦同じ。蓋し「前徒戈を倒にす」と云へば、前徒のみ武王に辟易すれども、後軍は踏み留まりたること知るべし。武王の至仁にて紂の至不仁を伐たば、下章の所謂「崩るるが若く厥の角稽首す」と云ふこそ伝信なるべし。蓋し商人総軍悉く稽首すと云へば、前徒戈を倒にすと云ふのみに非ざるなり。且つ孟子書の本意にもなき妄言を設けて、後世の惑ひを解き、不仁の心を銷すとは、誠に迂闊なることにて、孟子決して然らずと。余按ずるに、敗軍に友崩れ・裡崩れと云ふことあり。友崩れと云ふは、前徒敗走して後軍へなだれ掛かるに因りて、後軍も溜まり得ず、一同に崩潰することなり。裡崩れと云ふは、前徒は未だ戈を交へぬ内に、後軍より先づ崩れ立ちて、前徒も亦同じく崩るることなり。今「前徒戈を倒にし、後を攻めて以て北ぐ」とあれば、前徒崩るるのみにて後軍は踏み留まりたる故、勿論裡崩れの形は殊になく、又友崩れよりも一段後軍手強きなり。且つ「血流れて杵を漂はす」と云ふ者は、兵法に前徒崩れて後軍へなだれ掛かる時は、後軍にて打ち捨て切り捨つることあり、後を攻むるも血流るるも、蓋し是れが為なり。余是れを考へて朱註の謬、真に象山の説の如きを知れり。
現代語訳
わが師佐久間象山は江戸の獄にあって『孟子』を読み、深く読み込んだ。この章については朱子の注を信じず、別に一編の文章を書いた。私は隣の房にいたので借りて読んだが、いまその全文を挙げることはできない。その趣旨はおよそこうである。書の本来の意味は、もとより殷の人々が互いに殺し合ったことを言っており、孟子の意図も同じである。「前の兵が戈を逆さにした」と言えば、前の兵だけが武王にひるんだのであって、後ろの軍は踏みとどまっていたことが分かる。武王の至上の仁で紂の至上の不仁を討ったのなら、次の章にいう「山が崩れるように、額を地につけて降伏した」というほうこそ確かな伝えであろう。殷の全軍がことごとく降伏したと言うなら、前の兵が戈を逆さにしたというだけでは済まないはずだ。それに、孟子が書の本意にもない出まかせを設けて後世の惑いを解き、不仁の心を消そうとしたなどというのは、まことに回りくどい話で、孟子は決してそんなことはしない、と。私が考えるに、敗軍には「友崩れ」と「裡崩れ」というものがある。友崩れとは、前の兵が敗走して後ろの軍へなだれかかるために、後ろの軍も持ちこたえられず、一斉に崩れることである。裡崩れとは、前の兵がまだ戈を交えないうちに、後ろの軍から先に崩れ立ち、前の兵も同じように崩れることである。いま「前の兵が戈を逆さにし、後ろを攻めて敗走した」とあるのだから、崩れたのは前の兵だけで後ろの軍は踏みとどまっていたわけで、もちろん裡崩れの形はまったくなく、友崩れよりもさらに後ろの軍が手強かったのである。また「血が流れて杵を浮かべた」というのは、兵法では、前の兵が崩れて後ろの軍へなだれかかるとき、後ろの軍がそれを打ち捨て切り捨てることがある。後ろを攻めたのも血が流れたのも、思うにこのためである。私はこう考えて、朱子の注の誤りがまことに象山の説のとおりであることを知った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 扁鵲倉公列伝潘満如の病を知る所以の者は、臣意其の脈を切するに深く小さく弱く、其の卒然として合合するなり。是れ脾気なり。右の脈口の気至ること緊小にして、瘕気を見るなり。次を以て相乗ず。故に三十日にして死す。三陰倶に摶つ者は、法の如し。倶には摶たざる者は、決は急期に在り。一たび摶ち一たび代はる者は、近し。故に其の三陰摶ち、血を溲すること前の如くして止む。陽虚侯の相趙章病み、臣意を召す。衆医皆以て寒中と為す。臣意其の脈を診して曰く、「迵風なり」と。迵風なる者は、飲食嗌を下りて輒ち出でて留まらず。法に曰く、「五日にして死す」と。而るに後十日にして乃ち死す。病は之を酒に得たり。趙章の病を知る所以の者は、臣意其の脈を切するに、脈来ること滑なり。是れ内風の気なり。飲食嗌を下りて輒ち出でて留まらざる者は、法として五日にして死す。皆前の分界の法なり。後十日にして乃ち死し、期を過ぐる所以の者は、其の人粥を嗜む。故に中蔵実す。中蔵実す、故に期を過ぐ。師言ひて曰く、「穀に安んずる者は期を過ぎ、穀に安んぜざる者は期に及ばず」と。済北王病み、臣意を召して其の脈を診せしむ。曰く、「風蹶して胸満つ」と。即ち為に薬酒を為る。三石を尽くして、病已ゆ。之を汗出でて地に伏すに得たり。済北王の病を知る所以の者は、臣意其の脈を切する時、風気なり、心脈濁る。病法に「過ぎて其の陽に入り、陽気尽きて陰気入る」と。陰気入りて張れば、則ち寒気上りて熱気下る。故に胸満つ。汗出でて地に伏す者は、其の脈を切するに、気陰なり。陰気なる者は、病必ず中に入り、出づること瀺水に及ぶなり。斉の北宮司空の命婦出於病む。衆医皆以て風中に入り、病は主として肺に在りと為し、其の足の少陽の脈を刺す。臣意其の脈を診して曰く、「病は気疝にして、膀胱に客たり。前後に溲するに難くして、溺赤し。病寒気を見れば則ち遺溺し、人をして腹腫れしむ」と。出於の病は之を溺せんと欲して得ず、因りて以て接内するに得たり。
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史記 孝武本紀泰一の用ゐる所は、雍の一畤の物の如く、而して醴棗脯の属を加へ、一犛牛を殺して以て俎豆の牢具と為す。而して五帝は独り俎豆醴の進有り。其の下の四方の地は、餟食の為に群神の従者及び北斗を云ふ。已に祠れば、胙の余は皆之を燎く。其の牛の色は白、鹿其の中に居り、彘鹿の中に在り、水にて之を洎(ひた)す。日を祭るに牛を以てし、月を祭るに羊彘特を以てす。泰一の祝宰は則ち紫及び繡を衣る。五帝は各々其の色の如くし、日は赤、月は白。十一月辛已朔旦冬至、昧爽、天子始めて郊して泰一を拝す。朝に日を朝し、夕に月を夕すれば、則ち揖す。而して泰一に見ゆること雍の礼の如くす。其の贊饗に曰く、「天始めて宝鼎神筴を以て皇帝に授く、朔にして又朔、終はりて復た始まる、皇帝敬ひて拝し焉に見ゆ。」と。而して衣は黄を上ぶ。其の祠火を列ねて壇に満たし、壇の旁に烹炊の具あり。有司云ふ「祠上に光有り」と。公卿言ふ「皇帝始めて泰一に雲陽に郊見す、有司瑄玉嘉牲を奉じて薦饗す。是の夜美光有り、昼に及びて、黄気上りて天に属す。」と。太史公・祠官寛舒等曰く、「神霊の休、祐福兆祥なり、宜しく此の地の光域に因りて泰畤の壇を立て以て応を明らかにすべし。太祝をして領せしめ、(祀)[秋]及び臘の間に祠らしめん。三歳に天子一たび郊見せん。」と。其の秋、南越を伐たんが為に、泰一に告禱し、牡荊を以て幡に日月北斗登龍を画き、以て天一三星に象り、泰一の鋒と為し、名づけて「霊旗」と曰ふ。兵の為に禱れば、則ち太史奉じて以て伐つ所の国を指す。而して五利将軍使ひして敢へて海に入らず、泰山に之きて祠る。上人をして微かに随ひて験せしむるに、実に見る所無し。五利妄りに其の師を見たりと言ふ、其の方尽き、多く讎(あた)らず。上乃ち五利を誅す。其の冬、公孫卿神を河南に候ひ、僊人の跡を緱氏城の上に見る、物有り雉の若く、城上を往来す。天子親ら緱氏城に幸して跡を視る。卿に問ふ、「文成・五利に効ふこと毋きを得んや。」と。
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『墨子』節葬下是の故に子墨子曰く、郷に吾が本と言えらく、意うに亦た其の言をして、其の謀を用いて、厚葬久喪を計るに、誠に以て貧を富まし、寡を衆くし、危を定め、亂を治む可からんか。則ち仁なり、義なり、孝子の事なり。人の為に謀る者は、勸めざる可からざるなり。意うに亦た其の言に法り、其の謀を用いて、人の若きの厚葬久喪、實に以て貧を富まし、寡を衆くし、危を定め、亂を治む可からざらんか。則ち仁に非ざるなり、義に非ざるなり、孝子の事に非ざるなり。人の為に謀る者は、沮まざる可からざるなり。是の故に以て國家を富まさんことを求むるも、甚だ貧を得たり。以て人民を衆くせんと欲するも、甚だ寡を得たり。以て刑政を治めんと欲するも、甚だ亂を得たり。以て大國の小國を攻むるを禁止せんことを求むるも、既已に不可なり。以て上帝鬼神の福を千めんと欲するも、又た禍を得たり。上、之を堯舜禹湯文武の道に稽うるに、政、之に逆らう。下、之を桀紂幽厲の事に稽うるに、猶お節を合わするがごとし。若し此を以て觀れば、則ち厚葬久喪は、其れ聖王の道に非ざるなり。
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論語・陽貨篇子曰く、道に聴きて塗に説くは、徳を之れ棄つるなり。
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説苑・君道湯曰く、「薬食は先ず卑に嘗めしめ、然る後に貴に至る。薬言は先ず貴に献じ、然る後に卑に聞こゆ」と。故に薬卑に嘗めしめ、然る後に貴に至るは、教えなり。薬言貴に献じ、然る後に卑に聞こゆるは、道なり。故に人をして食を味わしめて然る後に食する者は、其の味を得ること多し。人をして言を味わしめて然る後に言を聞く者は、其の言を得ること少なし。是を以て明王の言は、必ず自ら他に之を聴かしめ、必ず自ら他に之を聞かしめ、必ず自ら他に之を択ばしめ、必ず自ら他に之を取らしめ、必ず自ら他に之を聚めしめ、必ず自ら他に之を蔵せしめ、必ず自ら他に之を行わしむ。故に道は数ば之を取るを以て明と為し、数ば之を行うを以て章と為し、数ば之を万物に施すを以て蔵と為す。是の故に道を求むる者は目を以てせずして心を以てし、道を取る者は手を以てせずして耳を以てす。
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論語・衛霊公篇子曰く、吾の人に於けるや、誰をか毀り誰をか誉めん。如し誉むる所有らば、其れ試みる所有らん。斯の民や、三代の直道にして行いし所以なり。
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