講孟余話 / 盡心上 第四十五章
前章厚薄ノ說ヲ承テ、物ニ於ル、民ニ於ル、親ニ於ル、各差等アルコトヲ云、且墨翟兼愛ノ說ヲ破リ、楊朱爲我ノ說ヲ黜ク是亦上二章ヲ承テ、仁智共ニ先スル所、急ニスル所アルヲ云、本義已ニ明ナリ、是ヲ以テ又学ノ要ヲ知ルヘシ、近世西洋究理学ヲ修スル者、孔子モ日食ヲ知ラサルトテ聖人ヲ誹リ、天動地靜ノ說ヲ以テ周易ヲ議シ、又儒ヲ学フ者モ是等ヲ以テ聖人ノ恥トスルニ至ル、其誹ルモ恥ルモ皆瑣事小節ニシテ、其道ニ於テ輕重ナキハ同シキ也、
新字:前章厚薄ノ説ヲ承テ、物ニ於ル、民ニ於ル、親ニ於ル、各差等アルコトヲ云、且墨翟兼愛ノ説ヲ破リ、楊朱為我ノ説ヲ黜ク是亦上二章ヲ承テ、仁智共ニ先スル所、急ニスル所アルヲ云、本義已ニ明ナリ、是ヲ以テ又学ノ要ヲ知ルヘシ、近世西洋究理学ヲ修スル者、孔子モ日食ヲ知ラサルトテ聖人ヲ誹リ、天動地静ノ説ヲ以テ周易ヲ議シ、又儒ヲ学フ者モ是等ヲ以テ聖人ノ恥トスルニ至ル、其誹ルモ恥ルモ皆瑣事小節ニシテ、其道ニ於テ軽重ナキハ同シキ也、
書き下し
前章厚薄の説を承けて、物に於ける、民に於ける、親に於ける、各差等あることを云ふ。且つ墨翟兼愛の説を破り、楊朱為我の説を黜く。是れ亦上の二章を承けて、仁智共に先にする所、急にする所あるを云ふ。本義已に明らかなり。是を以て又学の要を知るべし。近世西洋究理学を修する者、孔子も日食を知らざるとて聖人を誹り、天動地静の説を以て周易を議し、又儒を学ぶ者も是等を以て聖人の恥とするに至る。其の誹るも恥づるも皆瑣事小節にして、其の道に於て軽重なきは同じきなり。
現代語訳
(第四十五章)前の章の厚薄の説を受けて、物に対し、民に対し、親に対して、それぞれ差があることを言う。また墨子の兼愛の説を破り、楊朱の為我の説を退けている。(第四十六章)これもまた上の二章を受けて、仁にも智にも、先にすべきこと、急ぐべきことがあると言う。本来の意味はすでに明らかである。これによって、また学問の要点を知るべきである。近ごろ西洋の究理学(自然科学)を学ぶ者は、孔子も日食の仕組みを知らなかったといって聖人をそしり、天が動き地が静止しているという説を持ち出して『周易』をあげつらう。また儒学を学ぶ者も、これらを聖人の恥とするまでになっている。そしるのも恥じるのも、みな些細な小事であって、聖人の道にとって何の重みもないことは同じである。
解説
この章句が説くこと
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