講孟余話 / 盡心上 第四十四章
余此章ニ因テ一議アリ、癸丑甲寅ノ変ニ當テ、余同志ト国家天下ヲ憂ヒ、共ニ論シテ云ク、身ヲ修メ而後ニ家ヲ斉ヘ、而後ニ国ヲ治メ、而後ニ天下平也ト云ハ、一定ノ論ナレトモ、是ハ尋常ノ事ニテ、非常ヲ論スル所以ニアラズ、且今日ノ事、天下相互ニ維持スルノ形勢ナレハ、天下正論有志ノ士ト謀リ、上列矦ヨリ下大夫士庶ニ至ル迄、心ヲ協ヘ、力ヲ戮セ、相共ニ幕府ヲ諫爭シ、天朝ヲ尊奉シ、外夷ヲ撻伐センコト然ルヘシ、是則成己成物、脩身、斉家、治国、平天下、一斉並ヒ下ルノ工夫、今日ノ急務ナリトテ、東西奔走、一日モ寧処セサリシニ、天下吾ト志ヲ同スル者亦少ナカラズ、奈何セン、俗論ノ輩交々其議ヲ沮ミ、云ク、自国タニ治ラヌニ、爭テカ天下ノ列藩ト事ヲ謀ランヤ、爭カ幕府ヲ諫爭センヤ、爭カ天朝ヲ尊奉センヤ、又爭カ外夷ヲ撻伐センヤ、宜シク先ツ内自ラ治ムヘシト、此說遂ニ頑乎トシテ国是トナレリ、然トモ余ヲ以テ思フニ、是皆身家ヲ惜ミ、妻子ヲ顧ミ、分毫モ天下国家ヲ憂フル心ナキ不忠不孝ノ徒ノ言ニシテ、其徒却テ吾輩ヲ側目シテ云ク、事ヲ好ムハ浪人ノ常ニシテ世祿ノ臣ノ志ニ非ズト、噫天下浪人少ナクシテ世臣多シ、是其今日ノ晦盲否塞ヲ致ス所以ナルカ、悲夫悲夫
新字:余此章ニ因テ一議アリ、癸丑甲寅ノ変ニ当テ、余同志ト国家天下ヲ憂ヒ、共ニ論シテ云ク、身ヲ修メ而後ニ家ヲ斉ヘ、而後ニ国ヲ治メ、而後ニ天下平也ト云ハ、一定ノ論ナレトモ、是ハ尋常ノ事ニテ、非常ヲ論スル所以ニアラズ、且今日ノ事、天下相互ニ維持スルノ形勢ナレハ、天下正論有志ノ士ト謀リ、上列矦ヨリ下大夫士庶ニ至ル迄、心ヲ協ヘ、力ヲ戮セ、相共ニ幕府ヲ諫争シ、天朝ヲ尊奉シ、外夷ヲ撻伐センコト然ルヘシ、是則成己成物、脩身、斉家、治国、平天下、一斉並ヒ下ルノ工夫、今日ノ急務ナリトテ、東西奔走、一日モ寧処セサリシニ、天下吾ト志ヲ同スル者亦少ナカラズ、奈何セン、俗論ノ輩交々其議ヲ沮ミ、云ク、自国タニ治ラヌニ、争テカ天下ノ列藩ト事ヲ謀ランヤ、争カ幕府ヲ諫争センヤ、争カ天朝ヲ尊奉センヤ、又争カ外夷ヲ撻伐センヤ、宜シク先ツ内自ラ治ムヘシト、此説遂ニ頑乎トシテ国是トナレリ、然トモ余ヲ以テ思フニ、是皆身家ヲ惜ミ、妻子ヲ顧ミ、分毫モ天下国家ヲ憂フル心ナキ不忠不孝ノ徒ノ言ニシテ、其徒却テ吾輩ヲ側目シテ云ク、事ヲ好ムハ浪人ノ常ニシテ世禄ノ臣ノ志ニ非ズト、噫天下浪人少ナクシテ世臣多シ、是其今日ノ晦盲否塞ヲ致ス所以ナルカ、悲夫悲夫
書き下し
余此の章に因りて一議あり。癸丑甲寅の変に当たりて、余同志と国家天下を憂ひ、共に論じて云く、「身を修めて而る後に家を斉へ、而る後に国を治め、而る後に天下平らかなりと云ふは、一定の論なれども、是れは尋常の事にて、非常を論ずる所以にあらず。且つ今日の事、天下相互に維持するの形勢なれば、天下正論有志の士と謀り、上列侯より下大夫士庶に至るまで、心を協へ、力を戮せ、相共に幕府を諫争し、天朝を尊奉し、外夷を撻伐せんこと然るべし。是れ則ち成己成物、修身・斉家・治国・平天下、一斉に並び下るの工夫、今日の急務なり」とて、東西奔走し、一日も寧処せざりしに、天下吾と志を同じくする者亦少なからず。奈何せん、俗論の輩交々其の議を沮みて云く、「自国だに治まらぬに、争でか天下の列藩と事を謀らんや。争でか幕府を諫争せんや。争でか天朝を尊奉せんや。又争でか外夷を撻伐せんや。宜しく先づ内自ら治むべし」と。此の説遂に頑乎として国是となれり。然れども余を以て思ふに、是れ皆身家を惜しみ、妻子を顧み、分毫も天下国家を憂ふる心なき不忠不孝の徒の言にして、其の徒却つて吾が輩を側目して云く、「事を好むは浪人の常にして世禄の臣の志に非ず」と。噫、天下浪人少なくして世臣多し。是れ其の今日の晦盲否塞を致す所以なるか。悲しいかな、悲しいかな。
現代語訳
私はこの章によって一つ論じたいことがある。癸丑(嘉永六年)・甲寅(安政元年)の異国船来航の変事にあたって、私は同志と国家天下を憂え、共に論じてこう言った。「身を修めてのちに家を整え、家を整えてのちに国を治め、国を治めてのちに天下が平らかになるというのは定まった論ではあるが、これは平時のことであって、非常時を論じるためのものではない。しかも今日の事態は、天下が互いに支え合って保っている形勢であるから、天下の正論を持つ志ある士と相談し、上は諸大名から下は大夫・士・庶民に至るまで心を合わせ力を合わせて、共に幕府を諫め、朝廷を尊び奉り、外夷を討つのがよい。これこそ己を成し物を成す、修身・斉家・治国・平天下を一斉に並べて進める工夫であり、今日の急務である」と。こうして東西に奔走し、一日も落ち着いていなかったところ、天下に私と志を同じくする者も少なくなかった。ところがどうしようもないことに、俗論の連中がかわるがわるその議論をはばんで言った。「自分の藩さえ治まっていないのに、どうして天下の諸藩と事を謀れようか。どうして幕府を諫められようか。どうして朝廷を尊び奉れようか。またどうして外夷を討てようか。まずは内をみずから治めるべきだ」と。この説がついに頑として藩の方針となった。けれども私の考えでは、これはみな我が身と家を惜しみ、妻子を気にかけ、少しも天下国家を憂える心のない不忠不孝の者たちの言葉であって、その連中がかえって私たちを横目で見て、「事を起こしたがるのは浪人の常であって、代々禄を受ける家臣の志ではない」と言う。ああ、天下には浪人は少なく、代々の家臣は多い。これが今日の世の暗く塞がった有様をもたらしている理由なのだろうか。悲しいことだ、悲しいことだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 李斯列伝彼の賢人の天下を有つや、専ら天下を用ひて己に適するのみ。此れ天下を有つを貴ぶ所なり。夫れ所謂賢人なる者は、必ず能く天下を安んじて万民を治む。今身すら且つ利する能はず、将た悪くんぞ能く天下を治めんや。故に吾志を賜にし欲を広くし、長く天下を享けて害無からんと願ふ。之を為すこと奈何」と。李斯の子由は三川の守為り。群盗呉広等西のかた地を略し、過ぎ去るも禁ずる能はず。章邯以て広等の兵を破逐す。使者三川を覆案すること相属ぎ、斯の三公の位に居りて、如何ぞ盗をして此の如くならしむると誚譲す。李斯恐懼し、爵禄を重んじ、出だす所を知らず、乃ち二世の意に阿り、容れられんことを求めんと欲し、書を以て対へて曰く、夫れ賢主なる者は、必ず且に能く道を全うして督責の術を行ふ者なり。之を督責すれば、則ち臣敢て能を竭くして以て其の主に徇はずんばあらず。此れ臣主の分定まり、上下の義明らかなれば、則ち天下の賢不肖、敢て力を尽くし任を竭くして以て其の君に徇はざる莫し。是の故に主は独り天下を制して制せらるる所無きなり。能く楽しみの極みを窮む。賢明の主なり。察せざるべけんや。故に申子曰く「天下を有ちて恣睢せざる、之を命けて天下を以て桎梏と為すと曰ふ」とは、他無し、督責する能はずして、顧って其の身を以て天下の民に労すること、堯・禹の然るが若し。故に之を「桎梏」と謂ふなり。夫れ申・韓の明術を修め、督責の道を行ひ、専ら天下を以て自ら適する能はずして、徒らに形を苦しめ神を労するを務め、身を以て百姓に徇ふは、則ち是れ黔首の役にして、天下を畜ふ者に非ざるなり。何ぞ貴ぶに足らんや。夫れ人を以て己に徇はしむれば、則ち己は貴くして人は賤し。己を以て人に徇へば、則ち己は賤しくして人は貴し。故に人に徇ふ者は賤しく、而して人の徇ふ所の者は貴し。古より今に及ぶまで、未だ然らざる者有らざるなり。凡そ古の賢を尊ぶ所為の者は、其の貴きが為なり。而して不肖を悪む所為の者は、其の賤しきが為なり。
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史記 韓信盧綰列伝漢の五年の冬、項籍を破るを以て、乃ち盧綰をして別将たらしめ、劉賈と臨江王共尉を撃たしめ、之を破る。七月還り、従ひて燕王臧荼(ぞうと)を撃ち、臧荼降る。高祖已に天下を定むるに、諸侯の劉氏に非ずして王たる者七人。盧綰を王とせんと欲するも、群臣の觖望(けつぼう)を為す。臧荼を虜にするに及び、乃ち詔を諸将相・列侯に下し、群臣の功有る者を択びて以て燕王と為さしむ。群臣上の盧綰を王とせんと欲するを知り、皆言ひて曰く、「太尉長安侯盧綰は常に従ひて天下を平定し、功最も多し。燕に王たるべし」と。詔して之を許す。漢の五年八月、乃ち虜綰を立てて燕王と為す。諸侯王の幸を得ること燕王に如くは莫し。漢の十一年の秋、陳豨代の地に反す。高祖邯鄲に如きて豨の兵を撃ち、燕王綰も亦其の東北を撃つ。是の時に当たり、陳豨王黄をして救ひを匈奴に求めしむ。燕王綰も亦其の臣張勝を匈奴に使はし、豨等の軍破れたりと言はしむ。張勝胡に至るに、故の燕王臧茶の子衍出亡して胡に在り、張勝に見えて曰く、「公の燕に重んぜらるる所以の者は、胡の事に習ふを以てなり。燕の久しく存する所以の者は、諸侯数反し、兵連なりて決せざるを以てなり。今公燕の為に急に豨等を滅ぼさんと欲するも、豨等已に尽くれば、次は亦燕に至り、公等も亦且に虜と為らんとす。公何ぞ燕をして且く陳豨を緩めて胡と和せしめざる。事寛なれば、長く燕に王たるを得。即し漢の急有らば、以て国を安んずべし」と。張勝以て然りと為し、豨私かに匈奴をして豨等を助けて燕を撃たしむ。燕王綰張勝の胡と反するを疑ひ、上書して張勝を族せんことを請ふ。勝還り、具に為す所以の者を道ふ。燕王寤り、乃ち詐りて它人を論じ、勝の家属を脱し、匈奴の間と為るを得しめ、而して陰かに范斉をして陳豨の所に之かしめ、久しく亡げしめ、兵を連ねて決すること勿からしめんと欲す。漢の十二年、東のかた黥布を撃つ。豨常に兵を将ゐて代に居り、
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『呻吟語』外篇・品藻・國家奚ぞ賴らんや此の身操執の常を棄てて圓軟を以て俗譽を沽り、國家遠大の患ひを忘れて寬厚を以て私恩を巿り、巧みに人の未だ見ざる所の利に趨き、善く人の未だ識らざる所の害を避け、身を百禍侵さざるの地に立て、事成れば我に功有り、事敗るれば我に咎無し。此れ智巧の士なり。國家奚ぞ賴らんや。
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史記 呂不韋列伝始皇帝益々壮なり。太后の淫止まず。呂不韋、覚られて禍の己に及ばんことを恐れ、乃ち私かに大陰人嫪毐を求めて以て舎人と為す。時に倡楽を縦にし、毐をして其の陰を以て桐輪を闕けて行かしめ、太后をして之を聞かしめ、以て太后を啗はしむ。太后聞き、果して私かに之を得んと欲す。呂不韋乃ち嫪毐を進め、詐りて人をして腐罪を以て之を告げしむ。不韋又陰かに太后に謂ひて曰く、「詐りて腐を事とせしむべし。則ち給事中を得ん」と。太后乃ち陰かに厚く主腐者の吏に賜ひ、詐りて之を論じ、其の須眉を抜きて宦者と為し、遂に太后に侍するを得たり。太后私かに与に通じ、絶だ之を愛す。身有り。太后人の之を知らんことを恐れ、詐りて卜ふに時を避くべしとし、宮を徙して雍に居る。嫪毐常に従ひ、賞賜甚だ厚く、事皆嫪毐に決す。嫪毐の家僮数千人、諸客の宦を求めて嫪毐の舎人と為る者千余人。始皇の七年、荘襄王の母夏太后薨ず。孝文王の后を華陽太后と曰ひ、孝文王と寿陵に会葬す。夏太后の子荘襄王は芷陽に葬らる。故に夏太后独り別に杜の東に葬られ、曰く「東のかた吾が子を望み、西のかた吾が夫を望む。後百年、旁らに当に万家の邑有るべし」と。
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『春秋左氏伝』成公十七年 葵すら足を衛る秋、七月、壬寅、鮑牽を刖りて高無咎を逐ふ。無咎莒に奔る。高弱盧を以って叛く。齊人來りて鮑國を召して之を立つ。初め、鮑國鮑氏を去りて來り、施孝叔の臣と為る。施氏宰を卜す。匡句須吉なり。施氏の宰は、百室の邑有り。匡句須に邑を與へて、宰と為さしむ。以って鮑國に讓りて邑を致す。施孝叔曰く、「子實に吉なり」と。對へて曰く、「能く忠良に與ふ、吉孰れか大ならん」と。鮑國施氏に相として忠なり。故に齊人取りて以って鮑氏の後と為す。仲尼曰く、「鮑莊子の知は葵に如かず。葵すら猶ほ能く其の足を衞る」と。冬、諸侯鄭を伐つ。十月、庚午、鄭を圍む。楚の公子申鄭を救ひ、汝上に師す。十一月、諸侯還る。初め、聲伯洹を涉り、或ひと己に瓊瑰を與へて之を食はしめ、泣きて瓊瑰と為り、其の懷に盈つるを夢む。從ひて之を歌ひて曰く、「洹の水を濟れば、我に贈るに瓊瑰を以ってす。歸らんか歸らんか、瓊瑰吾が懷に盈てり」と。懼れて敢へて占はず。鄭より還り、壬申、貍脤に至りて之を占ひて曰く、「余死を恐る、故に敢へて占はざりき。今眾繁くして余に從ふこと三年なり。傷む無からん」と。之を言ひて、莫に之きて卒す。齊侯崔杼をして大夫為らしめ、慶克をして之に佐たらしめ、師を帥ゐて盧を圍む。國佐諸侯に從ひて鄭を圍み、難を以って請ひて歸る。遂に盧の師に如き、慶克を殺し、穀を以って叛く。齊侯之と徐關に盟ひて之を復す。
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