講孟余話 / 盡心上 第四十一章
甚矣哉、公孫丑ノ道ヲ信セサルヤ、上ノ第三十九章ニ於テ斉宣王ノ爲メニ短喪ヲ問タルモ此人也、其所見孔門ノ宰予ト同シ、論語陽貨篇、宰我問三年之喪、期已久矣、云々、盖シ朽木糞土復タ雕朽スヘカラサル者ナリ、故ニ其道ニ於ル、未タ嘗テ躬行心得セス、只是レ孟子ノ議論博大ナルヲ聞テ高矣美矣トナス、知テ知ラス、道ハ日用常行、事物當然、人々行フニ任セ一モ高遠艱深及ヘカラサルノ事ナシ、只行ハサルヲ憂ルノミ、孟子深ク丑ヲ怒ル、故ニ其言却テ高美益々及フヘカラサルカ如シ、大匠ト羿トヲ以テ自ラ居リ、直ニ丑ヲ卸シ付テ拙工拙射トナス、大匠羿ノ譬ハ告子上篇ノ末章ニモアレトモ、其詞氣ノ寬猛ヲ視テ、孟子ノ丑ヲ怒ル声色共ニ厲ナルヲ想像スヘシ、結末能者從之ノ一句尤モ厲シ、盖シ能ノ字前ノ両ノ拙ノ字ニ對シテ下ス、謂ラク、吾カ道ハ只能者ノミ之ニ從フ、汝如キ拙者ノ及フ所ニ非スト也、想フニ、當日丑此語ヲ聞キ辟易退縮スルノミニテ、遂ニ孟子ノ意ヲ悟ラサルヘシ、或ハ是ヨリ丑復タ孟子ノ門ニ入ラサルカ、下篇中孔子ノ語ヲ引テ、過我門而不入我室、我不憾焉、其惟郷原乎ト云ハ、殆ント此種ノ人ノ爲メニ発スルカ如シ、
新字:甚矣哉、公孫丑ノ道ヲ信セサルヤ、上ノ第三十九章ニ於テ斉宣王ノ為メニ短喪ヲ問タルモ此人也、其所見孔門ノ宰予ト同シ、論語陽貨篇、宰我問三年之喪、期已久矣、云々、盖シ朽木糞土復タ雕朽スヘカラサル者ナリ、故ニ其道ニ於ル、未タ嘗テ躬行心得セス、只是レ孟子ノ議論博大ナルヲ聞テ高矣美矣トナス、知テ知ラス、道ハ日用常行、事物当然、人々行フニ任セ一モ高遠艱深及ヘカラサルノ事ナシ、只行ハサルヲ憂ルノミ、孟子深ク丑ヲ怒ル、故ニ其言却テ高美益々及フヘカラサルカ如シ、大匠ト羿トヲ以テ自ラ居リ、直ニ丑ヲ卸シ付テ拙工拙射トナス、大匠羿ノ譬ハ告子上篇ノ末章ニモアレトモ、其詞気ノ寛猛ヲ視テ、孟子ノ丑ヲ怒ル声色共ニ厲ナルヲ想像スヘシ、結末能者従之ノ一句尤モ厲シ、盖シ能ノ字前ノ両ノ拙ノ字ニ対シテ下ス、謂ラク、吾カ道ハ只能者ノミ之ニ従フ、汝如キ拙者ノ及フ所ニ非スト也、想フニ、当日丑此語ヲ聞キ辟易退縮スルノミニテ、遂ニ孟子ノ意ヲ悟ラサルヘシ、或ハ是ヨリ丑復タ孟子ノ門ニ入ラサルカ、下篇中孔子ノ語ヲ引テ、過我門而不入我室、我不憾焉、其惟郷原乎ト云ハ、殆ント此種ノ人ノ為メニ発スルカ如シ、
書き下し
甚しいかな、公孫丑の道を信ぜざるや。上の第三十九章に於て斉の宣王の為めに短喪を問ひたるも此の人なり。其の所見孔門の宰予と同じ(論語陽貨篇、「宰我問ふ、三年の喪は期にして已に久し」云々)。蓋し朽木糞土、復た雕杇すべからざる者なり。故に其の道に於ける、未だ嘗て躬行心得せず、只是れ孟子の議論博大なるを聞きて「高し美し」となす。知りて知らず、道は日用常行、事物当然、人々行ふに任せ、一も高遠艱深及ぶべからざるの事なし。只行はざるを憂ふるのみ。孟子深く丑を怒る、故に其の言却つて高美益々及ぶべからざるが如し。大匠と羿とを以て自ら居り、直に丑を卸し付けて拙工拙射となす。大匠・羿の譬へは告子上篇の末章にもあれども、其の詞気の寛猛を視て、孟子の丑を怒る声色共に厲しきを想像すべし。結末「能者之に従ふ」の一句尤も厲し。蓋し能の字、前の両つの拙の字に対して下す。謂へらく、吾が道は只能者のみ之に従ふ、汝が如き拙者の及ぶ所に非ずとなり。想ふに、当日丑此の語を聞き、辟易退縮するのみにて、遂に孟子の意を悟らざるべし。或いは是れより丑復た孟子の門に入らざるか。下篇中、孔子の語を引きて、「我が門を過ぎて我が室に入らざるも、我憾みざる者は、其れ惟だ郷原か」と云ふは、殆ど此の種の人の為めに発するが如し。
現代語訳
なんとひどいことか、公孫丑が道を信じないことは。上の第三十九章で斉の宣王のために喪の短縮を尋ねたのもこの人である。その見方は孔子の門の宰予と同じである(論語陽貨篇「宰我が問うた。三年の喪は一年でももう長すぎます」云々)。思うに、腐った木や汚れた土塀は、もう彫ることも塗ることもできない類の者である。だから道に対して、一度も自ら行い心に得たことがなく、ただ孟子の議論が広大なのを聞いて「高い、美しい」と言っているだけだ。知っているようで知らない。道とは毎日の行い、物事のあるべき姿であって、人々が行うにまかせて、一つとして高く遠く難しく深くて及ばないことはない。ただ行わないことを憂えるだけである。孟子は深く丑に腹を立てた。だからその言葉はかえって、高く美しく、ますます及びがたいもののようになっている。腕のよい大工と弓の名人羿を自分の立場とし、まっすぐ丑を見下して、下手な大工、下手な射手としている。大工と羿のたとえは告子上篇の末章にもあるが、その言葉の穏やかさと激しさを比べてみれば、孟子が丑に怒った声も顔色もともに厳しかったことが想像できる。結びの「できる者はこれに従う」の一句が最も厳しい。思うに、「能」の字は前の二つの「拙」の字に対して置かれている。つまり、わが道はできる者だけが従う、お前のような拙い者の及ぶところではない、と言うのである。思うに、その日、丑はこの言葉を聞いてたじろぎ引き下がるばかりで、ついに孟子の真意を悟らなかっただろう。あるいはこれ以来、丑は二度と孟子の門に入らなかったのか。下篇で孔子の言葉を引いて「わが門の前を通りながら、わが部屋に入らなくても残念に思わないのは、郷原(八方美人の偽善者)だけだ」と言うのは、ほとんどこの種の人のために発せられたもののようだ。
解説
この章句が説くこと
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