うひ山ぶみ / 第八段
然はあれども、まづかの學のしなじなは、他よりしひて、それをとはいひがたし、大抵みづから思ひよれる方にまかすべき也、
新字:然はあれども、まづかの学のしなじなは、他よりしひて、それをとはいひがたし、大抵みづから思ひよれる方にまかすべき也、
書き下し
然はあれども、まづかの学のしなじなは、他よりしひて、それをとはいひがたし、大抵みづから思ひよれる方にまかすべき也、
現代語訳
とはいえ、学問の分野については、他人から強いて「それにせよ」とは言いがたい。おおよそは、自分が心を寄せる方向に任せるのがよい。
解説
ここで宣長は向きを反転させる。準備は必要だと説いたばかりだが、では分野まで他人が決めてよいかというと、それは違うという。学ぶ本人が惹かれる方に任せよ、と。入門書を書きながら、最も肝心な選択は読者に返している。この構えは書の最後まで一貫しており、宣長は自分の示す方法についても、これに従いたいと思う人のために言うだけだと繰り返す。教える側が決めてよいことと、決めてはいけないことを分けているのである。人を導く立場にある者にとって、どこまで踏み込み、どこから手を引くかは常に難しい。宣長の線の引き方は明快である。
この章句が説くこと
選択自主性師の役割進路教育
関連する章句
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孫子・行軍篇之を令するに文を以てし、之を斉うるに武を以てす。是を必取と謂う。
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「以て取る可く、以て取る無かる可し。取れば廉を傷つく。以て與う可く、以て與うる無かる可し。與うれば惠を傷つく。以て死す可く、以て死する無かる可し。死すれば勇を傷つく。」
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うひ山ぶみ・第七段同じく精力を用ひながらも、そのすぢそのまなびやうによりて、得失あるべきこと也、
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孟子・告子章句上孟子曰く、「魚は我が欲する所なり。熊掌も亦た我が欲する所なり。二者兼ぬるを得可からずんば、魚を舍てて熊掌を取る者なり。生も亦た我が欲する所なり。義も亦た我が欲する所なり。二者兼ぬるを得可からずんば、生を舎てて義を取る者なり。生も亦た我が欲する所なれども、欲する所生より甚だしき者有り。故に苟くも得るを為さざるなり。死も亦た我が惡む所なれども、惡む所死より甚だしき者有り。故に患も辟けざる所有るなり。如し人の欲する所をして生より甚だしきもの莫からしめば、則ち凡そ以て生を得可き者は、何ぞ用いざらんや。人の惡む所をして死より甚だしき者莫からしめば、則ち凡そ以て患いを辟く可き者は、何ぞ為さざらんや。是に由れば則ち生くるも、而も用いざること有るなり。是に由れば則ち以て患いを辟く可きも、而も為さざること有るなり。是の故に欲する所、生より甚だしき者有り、惡む所、死より甚だしき者有り。獨り賢者のみ是の心有るに非ざるなり。人皆之れ有り。賢者は能く喪うこと勿きのみ。一簞の食、一豆の羹も、之を得れば則ち生き、得ざれば則ち死す。嘑爾(コ・ジ)として之を與うれば、道を行くの人も受けず。蹴爾として之を與うれば、乞人も屑(いさぎよい)しとせざるなり。萬鍾は則ち禮義を辨ぜずして之を受く。萬鍾は我に於て何をか加えん。宮室の美・妻妾の奉・識る所の窮乏者の我に得るが為か。ᰰには身の死するが為にして受けず。今は宮室の美の為に之を為す。ᰰには身の死するが為にして受けず。今は妻妾の奉の為に之を為す。ᰰには身の死するが為にして受けず。今は識る所の窮乏者の我に得るが為にして之を為す。是れ亦た以て已む可からざるか。此を之れ其の本心を失うと謂う。」
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論語 里仁篇子曰わく、仁に里(お)るを美と為す。択びて仁に処らずんば、焉んぞ知を得ん。