講孟余話 / 盡心上 第四十章
君子之所以教者五、教ユル所以五ナレトモ、末ノ一條私淑艾者ハ姑ク置ク、其外尙四アリ、資質高明功力深厚ナル者ノ君子ノ言ヲ聞クヤ、草木ノ時雨ヲ得テ生長スルカ如シ、是一ツナリ、資質昏弱功力淺薄ナル者ハ、遽カニ大道ヲ聞クト云トモ、其意ニ通スルコト能ハサル故、君子只其問フ処ニ因テ是ヲ點化スルノミ、是也、盖人已ニ此二品アリ、故ニ教ル所以モ亦異ナリ、又德ヲ成ス材ヲ達スルノ二ツヲ合セテ四トス、德トハ忠孝信義皆是ナリ、材トハ治民理財軍務等ニ長スルノ類皆是ナリ、君子ノ人ヲ教ユルハ、人君ノ人ヲ用ユルト異ナルコトナシ、人ヲ用ユルノ法、大才能ノ人ハ始ヨリ大任重職ヲ命ス、而シテ其人亦自ラ奮厲シ、大ニ其忠思ヲ舒ルコト、猶時雨ノ化スルカ如シ、若シ大才能ノ人ヲ瑣事賤役ニ役使スレハ、其人必ス厭怠シテ之カ用タラス、教モ亦然リ、又不才無能ノ者ニ大任重職ヲ命スレハ、其人困死セサレハ労病スヘキノミ、是亦教ト同シ、蘇明允ノ衡論中御將ノ篇ニ云ク、才大者、騏驥也、不先賞之、是養騏驥者、饑之而責其千里、不可得也、才小者、鷹也、先賞之、是養鷹者、飽之而求其擊搏、亦不可得也、是亦同意ナリ、是ヲ以テ時雨答問ノ別、治教ノ術ヲ悟ルヘシ、
新字:君子之所以教者五、教ユル所以五ナレトモ、末ノ一条私淑艾者ハ姑ク置ク、其外尚四アリ、資質高明功力深厚ナル者ノ君子ノ言ヲ聞クヤ、草木ノ時雨ヲ得テ生長スルカ如シ、是一ツナリ、資質昏弱功力浅薄ナル者ハ、遽カニ大道ヲ聞クト云トモ、其意ニ通スルコト能ハサル故、君子只其問フ処ニ因テ是ヲ点化スルノミ、是也、盖人已ニ此二品アリ、故ニ教ル所以モ亦異ナリ、又徳ヲ成ス材ヲ達スルノ二ツヲ合セテ四トス、徳トハ忠孝信義皆是ナリ、材トハ治民理財軍務等ニ長スルノ類皆是ナリ、君子ノ人ヲ教ユルハ、人君ノ人ヲ用ユルト異ナルコトナシ、人ヲ用ユルノ法、大才能ノ人ハ始ヨリ大任重職ヲ命ス、而シテ其人亦自ラ奮厲シ、大ニ其忠思ヲ舒ルコト、猶時雨ノ化スルカ如シ、若シ大才能ノ人ヲ瑣事賤役ニ役使スレハ、其人必ス厭怠シテ之カ用タラス、教モ亦然リ、又不才無能ノ者ニ大任重職ヲ命スレハ、其人困死セサレハ労病スヘキノミ、是亦教ト同シ、蘇明允ノ衡論中御将ノ篇ニ云ク、才大者、騏驥也、不先賞之、是養騏驥者、饑之而責其千里、不可得也、才小者、鷹也、先賞之、是養鷹者、飽之而求其撃搏、亦不可得也、是亦同意ナリ、是ヲ以テ時雨答問ノ別、治教ノ術ヲ悟ルヘシ、
書き下し
「君子の教ふる所以の者五つ」。教ふる所以五つなれども、末の一条「私かに淑艾する者」は姑く置く。其の外尚四つあり。資質高明、功力深厚なる者の君子の言を聞くや、草木の時雨を得て生長するが如し、是れ一つなり。資質昏弱、功力浅薄なる者は、遽かに大道を聞くと云へども、其の意に通ずること能はざる故、君子只其の問ふ処に因りて是れを点化するのみ、是れなり。蓋し人已に此の二品あり、故に教ふる所以も亦異なり。又徳を成す、材を達するの二つを合せて四つとす。徳とは忠孝信義皆是れなり。材とは治民・理財・軍務等に長ずるの類皆是れなり。君子の人を教ゆるは、人君の人を用ゆると異なることなし。人を用ゆるの法、大才能の人は始めより大任重職を命ず。而して其の人亦自ら奮励し、大いに其の忠思を舒ぶること、猶時雨の化するが如し。若し大才能の人を瑣事賤役に役使すれば、其の人必ず厭怠して之が用たらず。教へも亦然り。又不才無能の者に大任重職を命ずれば、其の人困死せざれば労病すべきのみ。是れ亦教へと同じ。蘇明允の衡論中、御将の篇に云く、「才大なる者は騏驥なり。先づ之を賞せざるは、是れ騏驥を養ふ者、之を饑ゑしめて其の千里を責むるなり、得べからず。才小なる者は鷹なり。先づ之を賞するは、是れ鷹を養ふ者、之を飽かしめて其の撃搏を求むるなり、亦得べからず」と。是れ亦同意なり。是れを以て時雨・答問の別、治教の術を悟るべし。
現代語訳
「君子が人を教える方法は五つある」。五つあるが、最後の一つ、「ひそかに徳を慕って自ら修める者」はしばらく置く。そのほかに四つある。生まれつき聡明で、努力も深く積んだ者が君子の言葉を聞くと、草木が時を得た雨を受けて伸びるようである。これが一つ。生まれつき鈍く、努力も浅い者は、急に大道を聞いても意味が通じないので、君子はただその問うところに応じて導くだけである。これがもう一つである。思うに、人にはもともとこの二種類があるので、教える方法も異なる。また、徳を完成させることと、才能を伸ばすことの二つを合わせて四つとする。徳とは、忠・孝・信・義などみなそれである。才能とは、民を治める、財政を担う、軍事を行うなどに長けている類がみなそれである。君子が人を教えるのは、君主が人を用いるのと違わない。人を用いる法では、大きな才能のある人には初めから大きな任務や重い職を命じる。するとその人も自ら奮い立ち、大いに忠誠と思慮を発揮すること、ちょうど時の雨が草木を育てるようである。もし大きな才能のある人をつまらない雑用に使えば、その人は必ず嫌気がさして役に立たない。教えも同じである。また、才能のない者に大任や重職を命じれば、その人は苦しんで死ぬか、疲れて病むだけである。これもまた教えと同じだ。蘇洵の衡論の御将篇に「才能の大きい者は駿馬である。先に褒美を与えないのは、駿馬を飼う者が飢えさせておいて千里を走れと求めるようなもので、できるはずがない。才能の小さい者は鷹である。先に褒美を与えるのは、鷹を飼う者が満腹にさせておいて獲物を打てと求めるようなもので、これもできない」とある。これも同じ意味である。このことから、時雨のような教えと問いに答える教えの区別、治めることと教えることの術を悟るべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『君子訓』巻之中一古の聖主賢君は、必賢者を求めて職に任じ、政を佐けしむ。故に国よく治りて、其功大なり。君たる人は、先我が心を正し、知を明かにして、人を能く知り、宰臣を選び、次に諸有司を選ぶべし。宰臣は家老なり。諸有司は諸役人なり。今時の取次役、目附役、郡町の奉行、勘定の司の如きは、政事に係りて重き有司なり。宰臣有司其人にあらざれば、政乱れて国治まらず。宰臣は、才徳有りて大量なる人を択び用ふべし。取次は上の詞を下に通じ、下の言を上に達す。其人悪しければ、上の恵下にくだらず、下の苦み上に聞えず、上下の情通ぜずして、君徳昏くなる。目附役は、臣民の善悪を糺して直言する職なれば、君の耳目なり。郡町の司は、殊に仁愛深き人を用ふべし。君と宰臣と賢なれども、此役人不仁なれば、民を安んずること能はず。勘定の司は、廉直にして算数に達したる人を択び用ふべし。其余は、是を推して其職に宜しき材を選みて任ずべし。如此なれば、官其人を得て、国治り民安し。尚書に政は人を知るに在り、民を安んずるに在りといへり。
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『大和俗訓』巻之八・応接一不智不才の人といへども、必すぐれて得たる所あり。智者は其得たる所を取りて、得ざる所を許す。故に天下に廃る人なし。たとへば良医の薬を用ふるが如し。いかなる賤しき草にも、よき能あれば取用ふ。大匠の材を用ふるが如し。直なるを柱とし、それるを梁として、材を捨てず。
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言志四録・言志耋録 第百五十六条 人材を舎つるは尤も惜し世に惜しむべき者有り。亀玉の大宝、瓦礫に渾る、惜しむべし。希世の名剣、賤人之を佩ぶ、惜しむべし。非常の人材、舎てて用ゐざる、尤も惜しむべし。
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言志四録・言志後録 第六十三条 人有りて人無し物其の所を得るを盛と為し、物其の所を失ふを衰と為す。天下人有りて人無く、財有りて財無き、是れを衰世と謂ふ。
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『君子訓』巻之中一凡人に能あり不能あり。賢者といへども、亦然り。一人に備はらんことを求むれば、天下に取るべき人なし。人々の得たる所を知りて、其人の能すべき職に居らしめば、果して其職を能く勤めて功ある時は、賞を与へて久しく其職に任ずべし。其職に久しく居れば、其事に熟して功多し。堯舜の時、賢臣皐陶稷契の如き、皆一生官を遷し給はずして、功庸多かりしなり。後世の君は、臣下の微労を賞してたやすく官を遷すゆゑ、皆其職に熟せず、或は不得手なる事にかかりて迷惑し、国政に益なく害多し。但人を用ふる始めに、官に任じ其能を試みて後、挙げ用ふるは、左もあるべし。其得たる所を知らずして官を遷すは、人を用ふる道にあらず。
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『大和俗訓』巻之八・応接一人の生れつきは、各同じからず。得たる所あり、得ざる所あり。これに得たりといへども、彼に得ざる所あり。何事も、一人の身に、よきこと備れる人なし。其人の得たる所を用ひて、得ざる所を責むべからず。一事よきことあらば取用ひて、其余のよからざるを咎むべからず。我が身をかへりみば、得ざること亦多かるべし。もし人の得ざる所を責めて、得たる所をすてば、天下に用ふべき人なく、交るべき人なかるべし。得たる所を取用ひ、得ざる所を許して責めざれば、天下にすたれる人なかるべし。人に交るにも、かくの如くすれば、人の恨なし。
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