講孟余話 / 盡心上 第三十八章
惟聖人然後可以踐形、踐形トハ此篇首章盡心ノ義ト相似タリ、心ヲ尽スハ心ノ一杯ヲ尽ス也、形ヲ踐ムハ形ノ持前ヲ使フコト也、形ハ耳目口鼻四体皆形ナリ、耳ハ善悪ヲ聞分クルカ持前也、目ハ善悪ヲ視分ルカ持前也、口鼻四体皆各持前アリ、此持前ヲ使ハサルハ凢夫ノ常也、若シ皆是ヲ使ハヽ、即チ聖人ナリ、而シテ踐形ハ尽心ト其実ハ両般ノ事ニ非ス、抑造化ノ妙、是等ノ所ニ於テ、是ヲ觀レハ、実ニ驚クニ餘アリ、萬物皆備於我矣ノ義モ、良知良能モ、性善モ、皆是ニテ知ルヘシ、人々其持前ヲ使ヘハ即チ聖人ニテ、別ニ口傳モ秘訣モナキトハ、妙ナルカナ妙ナルカナ、余又常ニ謂フ、神州ノ形ハ何如ナル持前ソヤ、當今ノ如ク外夷ノ凌辱トナル、是其持前カ、又神功秀吉ノ時ノ如ク、海外ヲ懾服セシムルガ持前カ、今八尺ノ力士アリテ一人ノ力能ク数十人ヲ制スルニ足ル、其倦臥ノ際、病困ノ日、一孱夫ト云トモ是ヲ苦メテ餘リアリ、力士ノ持前、前ニアランカ、後ニアランカ
新字:惟聖人然後可以践形、践形トハ此篇首章尽心ノ義ト相似タリ、心ヲ尽スハ心ノ一杯ヲ尽ス也、形ヲ践ムハ形ノ持前ヲ使フコト也、形ハ耳目口鼻四体皆形ナリ、耳ハ善悪ヲ聞分クルカ持前也、目ハ善悪ヲ視分ルカ持前也、口鼻四体皆各持前アリ、此持前ヲ使ハサルハ凢夫ノ常也、若シ皆是ヲ使ハヽ、即チ聖人ナリ、而シテ践形ハ尽心ト其実ハ両般ノ事ニ非ス、抑造化ノ妙、是等ノ所ニ於テ、是ヲ観レハ、実ニ驚クニ余アリ、万物皆備於我矣ノ義モ、良知良能モ、性善モ、皆是ニテ知ルヘシ、人々其持前ヲ使ヘハ即チ聖人ニテ、別ニ口伝モ秘訣モナキトハ、妙ナルカナ妙ナルカナ、余又常ニ謂フ、神州ノ形ハ何如ナル持前ソヤ、当今ノ如ク外夷ノ凌辱トナル、是其持前カ、又神功秀吉ノ時ノ如ク、海外ヲ懾服セシムルガ持前カ、今八尺ノ力士アリテ一人ノ力能ク数十人ヲ制スルニ足ル、其倦臥ノ際、病困ノ日、一孱夫ト云トモ是ヲ苦メテ余リアリ、力士ノ持前、前ニアランカ、後ニアランカ
書き下し
「惟だ聖人にして然る後に以て形を践むべし」。形を践むとは此の篇首章の尽心の義と相似たり。心を尽くすは心の一杯を尽くすなり。形を践むは形の持前を使ふことなり。形は耳目口鼻四体皆形なり。耳は善悪を聞き分くるが持前なり。目は善悪を視分くるが持前なり。口鼻四体皆各々持前あり。此の持前を使はざるは凡夫の常なり。若し皆是れを使はば、即ち聖人なり。而して践形は尽心と其の実は両般の事に非ず。抑々造化の妙、是等の所に於て是れを観れば、実に驚くに余りあり。「万物皆我に備はる」の義も、良知良能も、性善も、皆是れにて知るべし。人々其の持前を使へば即ち聖人にて、別に口伝も秘訣もなきとは、妙なるかな妙なるかな。余又常に謂ふ、神州の形は如何なる持前ぞや。当今の如く外夷の凌辱となる、是れ其の持前か。又神功・秀吉の時の如く、海外を懾服せしむるが持前か。今八尺の力士ありて一人の力能く数十人を制するに足る。其の倦臥の際、病困の日、一孱夫と云へども是れを苦しめて余りあり。力士の持前、前にあらんか、後にあらんか。
現代語訳
「ただ聖人であってはじめて、その形(体)を十分に生かしきることができる」。形を践むとは、この篇の首章の「心を尽くす」の意味と似ている。心を尽くすとは心をいっぱいに使いきることであり、形を践むとは体に備わった持ち前を使うことである。形とは、耳・目・口・鼻・手足、みな形である。耳は善悪を聞き分けるのが持ち前であり、目は善悪を見分けるのが持ち前である。口や鼻や手足にも、それぞれ持ち前がある。この持ち前を使わないのが凡人の常である。もしすべてを使えば、それがそのまま聖人である。そして形を践むことと心を尽くすことは、実は別々のことではない。そもそも天地の造化の妙を、こういうところで見ると、本当に驚くほかない。「万物はみな我に備わっている」という意味も、良知良能も、性善も、みなこれで分かる。人がそれぞれ持ち前を使えば、そのまま聖人であって、別に口伝も秘訣もないとは、なんと妙なることか。私はまたいつも思う。日本という国の形には、どのような持ち前があるのか。今のように外国から辱めを受けるのが持ち前なのか。それとも神功皇后や秀吉の時のように、海外を恐れ従わせるのが持ち前なのか。いま八尺の力士がいて、一人の力で数十人を制することができる。だがその人が疲れて寝ているとき、病に苦しむときには、弱い男一人でも十分に苦しめることができる。力士の持ち前は、前の姿にあるのか、後の姿にあるのか。
解説
この章句が説くこと
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