講孟余話 / 盡心上 第三十六章
余一間ノ室ニ幽閉シ、日夜五大洲ヲ并呑センコトヲ謀ル、人皆其狂妄ヲ笑ハサルハナシ、是レ他人ノ笑フ者ハ、其居ル所狹窄ニシテ、余カ居ノ廣大ニ若サルヲ以テナリ、吾邦海禁ノ嚴ナリシヨリ、天下ノ人六十六国ノ外、寸板海ニ下ルコトヲ得ス、故ニ其親ル所僅カニ六十六国ニ止ル、狹窄ト云ヘシ、余獨リ一室ニ傲睨シ、古今ヲ達観シ、萬國ヲ通視ス、是ヲ以テ覚ヘズ知ラズ廣大ヲ致スコトヲ得ル、盖シ余他人ト其智能大小アルニ非ズ、獨リ其居ノ廣狹アルノミ、今ヤ歐羅巴米利幹ノ夷輩、萬國ヲ梯航シ宇内ヲ合シテ一トナサント欲ス、是又其智能人ニ過ルコトアルニ非ス、唯其大艦巨舶万國ヲ以テ比隣トスルノ故ヲ以テ能ク然、其居廣大ナルノ効ナリ、六十六國ノ人ヲシテ万國ニ梯航セシメハ、亦何ソ其狹窄ヲ憂ヘンヤ、歐羅巴米利幹亦何ソ云フニ足ン、大哉居乎、夫居移氣、養移体、モノハ常人ノ論ナリ、天下ノ廣居ニ居ル者ニ至テハ、亦居養ノ能ク移ス所ニ非ズ、万國ニ梯航スルヲ待テ、始テ廣大ヲ致ス者ハ常人也、一室幽囚シテ廣大ヲ致ス如キハ学ノ力ノミ
新字:余一間ノ室ニ幽閉シ、日夜五大洲ヲ并呑センコトヲ謀ル、人皆其狂妄ヲ笑ハサルハナシ、是レ他人ノ笑フ者ハ、其居ル所狭窄ニシテ、余カ居ノ広大ニ若サルヲ以テナリ、吾邦海禁ノ厳ナリシヨリ、天下ノ人六十六国ノ外、寸板海ニ下ルコトヲ得ス、故ニ其親ル所僅カニ六十六国ニ止ル、狭窄ト云ヘシ、余独リ一室ニ傲睨シ、古今ヲ達観シ、万国ヲ通視ス、是ヲ以テ覚ヘズ知ラズ広大ヲ致スコトヲ得ル、盖シ余他人ト其智能大小アルニ非ズ、独リ其居ノ広狭アルノミ、今ヤ欧羅巴米利幹ノ夷輩、万国ヲ梯航シ宇内ヲ合シテ一トナサント欲ス、是又其智能人ニ過ルコトアルニ非ス、唯其大艦巨舶万国ヲ以テ比隣トスルノ故ヲ以テ能ク然、其居広大ナルノ効ナリ、六十六国ノ人ヲシテ万国ニ梯航セシメハ、亦何ソ其狭窄ヲ憂ヘンヤ、欧羅巴米利幹亦何ソ云フニ足ン、大哉居乎、夫居移気、養移体、モノハ常人ノ論ナリ、天下ノ広居ニ居ル者ニ至テハ、亦居養ノ能ク移ス所ニ非ズ、万国ニ梯航スルヲ待テ、始テ広大ヲ致ス者ハ常人也、一室幽囚シテ広大ヲ致ス如キハ学ノ力ノミ
書き下し
余一間の室に幽閉し、日夜五大洲を并呑せんことを謀る。人皆其の狂妄を笑はざるはなし。是れ他人の笑ふ者は、其の居る所狭窄にして、余が居の広大に若かざるを以てなり。吾が邦海禁の厳なりしより、天下の人六十六国の外、寸板海に下ることを得ず。故に其の観る所僅かに六十六国に止まる、狭窄と云ふべし。余独り一室に傲睨し、古今を達観し、万国を通視す。是れを以て覚えず知らず広大を致すことを得る。蓋し余他人と其の智能大小あるに非ず、独り其の居の広狭あるのみ。今や欧羅巴・米利幹の夷輩、万国を梯航し宇内を合して一となさんと欲す。是れ又其の智能人に過ぐることあるに非ず。唯其の大艦巨舶、万国を以て比隣とするの故を以て能く然り、其の居広大なるの効なり。六十六国の人をして万国に梯航せしめば、亦何ぞ其の狭窄を憂へんや。欧羅巴・米利幹亦何ぞ云ふに足らん。大なるかな居や。夫れ「居は気を移し、養は体を移す」もの、常人の論なり。天下の広居に居る者に至りては、亦居養の能く移す所に非ず。万国に梯航するを待ちて、始めて広大を致す者は常人なり。一室に幽囚して広大を致す如きは学の力のみ。
現代語訳
私は一間の部屋に閉じ込められながら、昼も夜も五大陸を併せのむことを謀っている。人はみなその気違いじみた大言を笑わない者はない。これは、笑う人たちの居る所が狭く、私の居る所の広大さに及ばないからである。わが国では海外渡航の禁が厳しくなってから、天下の人は六十六か国の外へ、板切れ一枚も海に下ろすことができない。だからその見る範囲は六十六か国にとどまる。狭いというべきだ。私だけは一室にいながら天下をにらみ、古今を見通し、万国を見渡している。だから知らず知らずのうちに広大さを得ることができるのだ。思うに、私と他人とで知恵や能力に大小があるのではない。ただ居る所の広さ狭さがあるだけである。今、ヨーロッパやアメリカの者たちは、万国を船で渡り歩き、世界を一つに合わせようとしている。これもまた、彼らの知恵や能力が人より優れているからではない。ただ大きな軍艦や商船で、万国を隣近所のようにしているから、そうできるのである。居る所が広大であることの効果である。六十六か国の人を万国へ渡らせれば、どうしてその狭さを憂える必要があろうか。ヨーロッパやアメリカも何ほどのことがあろう。なんと大きいことか、居る所というものは。「住む所は気風を変え、養うものは体を変える」というのは、普通の人についての議論である。天下の広い家(仁)に住む者は、住む所や養うものに変えられることはない。万国へ渡ってから初めて広大さを得るのは普通の人である。一室に囚われていながら広大さを得るのは、ただ学問の力によるのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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歎異抄・第十二条経釈を読み学せざる輩、往生不定の由のこと。この条、すこぶる不足言の義と言いつべし。 他力真実の旨を明かせる諸の聖教は、本願を信じ念仏を申さば仏に成る、そのほか何の学問かは往生の要なるべきや。 まことにこの理に迷えらん人は、いかにもいかにも学問して、本願の旨を知るべきなり。 経釈を読み学すといえども、聖教の本意を心得ざる条、もっとも不便のことなり。
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人物志・體別夫れ學は材を成す所以なり、疏は情を推す所以なり。偏材の性は、移轉すべからず。
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言志四録・南洲手抄学之を古訓に稽へ、問之を師友に質すは、人皆之を知る。学必ず之を躬に学び、問必ず諸を心に問ふは、其れ幾人有らんか。
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言志四録・南洲手抄朝にして食はずば、昼にして饑う。少うして学ばずば、壮にして惑ふ。饑うるは猶忍ぶ可し、惑ふは奈何ともす可からず。
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論語・為政篇子曰く、異端を攻むるは、斯れ害のみ。
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説苑・建本子思曰わく、学は才を益す所以なり、礪は刃を致す所以なり。吾嘗て幽処して深く思うも、学の速やかなるに若かず。吾嘗て跂ちて望むも、高きに登りて博く見るに若かず。故に風に順いて呼べば、声疾しきを加えざれども聞く者衆し。丘に登りて招けば、臂長きを加えざれども見る者遠し。故に魚は水に乗り、鳥は風に乗り、草木は時に乗る。
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