講孟余話 / 盡心上 第三十三章
曰、何謂尙志、曰、仁義而已矣、俗人ノ小カシキ者ハ尙志ノ二字ヲ見テハ、何カ雄偉ノ論ナラント興起スヘシ、又仁義而已矣ト云ニ至テハ、陳言腐論ト思ヒテ、復タ其次ヲ読果サヌカ常情也、是深ク思ヲ致サヌ故也、試ニ思へ、天地間仁ノ外ニ何ノ居ル所アル、義ノ外ニ何ノ由ル所アル、己ヲ修メ人ヲ治メ、家ヲ斉ヘ国ヲ治ムル、終ニ是仁義ヲ捨テヽ他アルコトナシ、若シ仁義ヲ外ニシテ是ヲ求メハ、皆狹隘卑陋擧テ云フニ堪ヘズ、思ヲ茲ニ深フシテ、始テ仁義ノ尙志タルヲ悟ルヘシ
新字:曰、何謂尚志、曰、仁義而已矣、俗人ノ小カシキ者ハ尚志ノ二字ヲ見テハ、何カ雄偉ノ論ナラント興起スヘシ、又仁義而已矣ト云ニ至テハ、陳言腐論ト思ヒテ、復タ其次ヲ読果サヌカ常情也、是深ク思ヲ致サヌ故也、試ニ思へ、天地間仁ノ外ニ何ノ居ル所アル、義ノ外ニ何ノ由ル所アル、己ヲ修メ人ヲ治メ、家ヲ斉ヘ国ヲ治ムル、終ニ是仁義ヲ捨テヽ他アルコトナシ、若シ仁義ヲ外ニシテ是ヲ求メハ、皆狭隘卑陋挙テ云フニ堪ヘズ、思ヲ茲ニ深フシテ、始テ仁義ノ尚志タルヲ悟ルヘシ
書き下し
「曰く、何をか志を尚ぶと謂ふ。曰く、仁義のみ」。俗人の小賢しき者は尚志の二字を見ては、何か雄偉の論ならんと興起すべし。又仁義のみと云ふに至りては、陳言腐論と思ひて、復た其の次を読み果たさぬが常情なり。是れ深く思ひを致さぬ故なり。試みに思へ、天地間仁の外に何の居る所ある、義の外に何の由る所ある。己を修め人を治め、家を斉へ国を治むる、終に是れ仁義を捨てて他あることなし。若し仁義を外にして是れを求めば、皆狭隘卑陋、挙げて云ふに堪へず。思ひを茲に深うして、始めて仁義の尚志たるを悟るべし。
現代語訳
「斉の王子墊が問うた。志を高く持つとは、どういうことか。孟子は答えた。仁と義、それだけである」。俗人で小賢しい者は、「志を尚ぶ」の二字を見ると、何か雄大な議論だろうと身を乗り出す。ところが「仁義だけ」と言うところに来ると、古くさい陳腐な議論だと思って、その先を読み終えないのが普通の人情である。これは深く考えないからだ。試しに考えてみよ。天地の間に、仁のほかにどこに居る所があり、義のほかにどこに従う道があるか。己を修め、人を治め、家を整え、国を治めるのも、つまるところ仁義を捨ててほかにあるものではない。もし仁義の外にそれを求めるなら、みな狭く卑しく、取り上げて言う値打ちもない。ここに深く思いを致して、はじめて仁義こそが志を高く持つことだと悟るのである。
解説
この章句が説くこと
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人物志・八觀偏と依とは、志同じくして質違う、所謂似て是にして非なる者なり。
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孟子・盡心章句上公孫丑曰く、「伊尹曰く、『予、不順に狎れしめず。』太甲を桐に放ち、民大いに悅ぶ。太甲賢となる。又之を反し、民大いに悅ぶ。賢者の人臣為るや、其の君、賢ならざれば、則ち固より放つ可きか。」孟子曰く、「伊尹の志有れば、則ち可なり。伊尹の志無ければ、則ち篡うなり。」
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論語・里仁篇子曰わく、いやしくも仁に志せば、悪しきこと無し。
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史記 伯夷列伝子曰く、「道同じからざれば相ひ為に謀らず」と。亦た各々其の志に従ふなり。故に曰く、「富貴もし求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾も亦た之を為さん。如し求む可からずんば、吾が好む所に従はん」と。「歳寒くして、然る後に松柏の凋むに後るるを知る」。世を挙げて混濁して、清士乃ち見はる。豈に其の重んずること彼の若く、其の軽んずること此くの若くなるを以てせんや。
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史記 刺客列伝高漸離名姓を変じて人の庸保と為り、宋子に匿れ作す。之を久しくして、作苦しく、其の家の堂上に客の筑を撃つを聞き、傍偟して去る能はず。毎に言を出だして曰く、「彼に善有り善ならざる有り」と。従者以て其の主に告げて曰く、「彼の庸は乃ち音を知り、竊かに是非を言ふ」と。家の丈人召して前に筑を撃たしむ。一坐善しと称し、酒を賜ふ。而して高漸離、久しく隠れて畏約すること窮まる時無きを念ひ、乃ち退きて、其の装匣の中の筑と其の善衣とを出だし、容貌を更めて前む。坐を挙げて客皆驚き、下りて与に抗礼し、以て上客と為す。筑を撃ちて歌はしむ。客流涕して去らざる者無し。宋子伝へて之を客とし、秦の始皇に聞こゆ。秦の始皇召し見る。人識る者有りて、乃ち曰く、「高漸離なり」と。秦の皇帝其の善く筑を撃つを惜しみ、重ねて之を赦し、乃ち其の目を矐す。筑を撃たしむるに、未だ嘗て善しと称せずんばあらず。稍く益々之に近づく。高漸離乃ち鉛を以て筑の中に置き、復た進みて近づくを得、筑を挙げて秦の皇帝を樸つ。中らず。是に於て遂に高漸離を誅し、身を終ふるまで復た諸侯の人に近づかず。魯句践已に荊軻の秦王を刺せしを聞き、私かに曰く、「嗟乎、惜しいかな其の刺剣の術を講ぜざりしや。甚だしいかな吾の人を知らざるや。曩者吾之を叱す。彼乃ち我を以て人に非ずと為せしならん」と。太史公曰く、世に荊軻を言ふに、其の太子丹の命を称して、「天粟を雨らし、馬角を生ず」とするや、太だ過ぎたり。又荊軻秦王を傷つくと言ふも、皆非なり。始め公孫季功・董生、夏無且と游び、具に其の事を知り、余の為に之を道ふこと是の如し。曹沫より荊軻に至るまで五人、此れ其の義或いは成り或いは成らず。然れども其の意を立つること較然として、其の志を欺かず、名後世に垂る。豈に妄ならんや。
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