人物志 / 八觀
偏之與依,志同質違,所謂似是而非也。
新字:偏之与依,志同質違,所謂似是而非也。
書き下し
偏と依とは、志同じくして質違う、所謂似て是にして非なる者なり。
現代語訳
偏った人と道理に依り従う人とは、志すところは同じでも本質が異なる。いわゆる「似て非なるもの」である。
解説
一方に偏った考えを持つ人と、道理に寄り添おうとする人は、目指すところこそ似ていても根っこの質が違うのだと人物志は指摘する。志の方向が同じだからといって、中身まで同じだと早合点すると見誤る。仕事でも人間関係でも、意見や熱意が自分と重なる相手に出会うと安心しがちだが、その熱意を支えている土台まで確かめないと、後で食い違いに驚くことになる。似ていることと同じであることを分けて見る目が、この一節の教えである。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
似て非なる志本質
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『講孟余話』盡心上 第三十三章「曰く、何をか志を尚ぶと謂ふ。曰く、仁義のみ」。俗人の小賢しき者は尚志の二字を見ては、何か雄偉の論ならんと興起すべし。又仁義のみと云ふに至りては、陳言腐論と思ひて、復た其の次を読み果たさぬが常情なり。是れ深く思ひを致さぬ故なり。試みに思へ、天地間仁の外に何の居る所ある、義の外に何の由る所ある。己を修め人を治め、家を斉へ国を治むる、終に是れ仁義を捨てて他あることなし。若し仁義を外にして是れを求めば、皆狭隘卑陋、挙げて云ふに堪へず。思ひを茲に深うして、始めて仁義の尚志たるを悟るべし。
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啓発録・跋嗚呼如何せん、吾身刀圭の家に生れ、賤技に局々として、吾初年の志を遂る事を不得を。然れども所業は此に在りても、所志は彼に在り候へは、後世吾心を知り吾志を憐み吾道を信ずる者あらん歟。嘉永戊申季夏橋本左内誌。
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『正法眼蔵随聞記』巻五亦云く、仙人ありき、或人問て云く、如何がして仙を得ん、仙人の云く、仙を得んと思はゞ仙道を好むへしと、然れば学人も仏祖の道を得んと思はゞ、須く仏祖の道を好むへし、
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『大和俗訓』巻之一・為学上されども芸は末なり、道義の学は本なり。芸をひたすら好めば、必学の志をうばはれて失ふものなり。いはんや私欲のなぐさみ好みにまかするをや。いましむべし。志を立つれば、たとへば西国の人のあづまへ行かんとおもひ立ちて、日々に行くに、其間昼夜あづまへ行かんと思ふ心は、念々つねにやまず。是あづまへ行く志たつなり。かくの如くなれば、つひに志す所に行きとどかずといふ事なし。道に志すも亦かくの如くなるべし。
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