講孟余話 / 盡心上 第二十九章
一善ヲ行ヘハ一善己ニ存ス、一益ヲ得レハ一益己ニ存ス、一日ヲ加レハ一日ノ功アリ、一年ヲ加レハ一年ノ功アリ、人ヲ教ル者角コソ言ヘシ、然ラスシテ九軔ノ功モ泉ニ及サレハ井ヲ棄ツト云ハヽ、人々退屈シテ遂ニ始ヨリ一善一益モ求メサルニ至ラント云者アリ、此說一理アリト云トモ、道ノ明ナラサル所以、学ノ講セサル所以、皆此語ニ原ツク也、此章ノ如キ誠ニ切実ノ学則ニテ、人々服膺スベキ也、凢ソ学問ノ道死而後已、若シ未タ死セスシテ半塗ニシテ先廃スレハ、前功皆棄ル者也、学ト云者ハ進マサレハ必ス退ソク、故ニ日ニ進ミ、月ニ漸ミ、遂ニ死ストモ悔ルコトナクシテ、始テ学ト云ヘシ、然ラサレハ皆井ヲ棄ルナリ、
新字:一善ヲ行ヘハ一善己ニ存ス、一益ヲ得レハ一益己ニ存ス、一日ヲ加レハ一日ノ功アリ、一年ヲ加レハ一年ノ功アリ、人ヲ教ル者角コソ言ヘシ、然ラスシテ九軔ノ功モ泉ニ及サレハ井ヲ棄ツト云ハヽ、人々退屈シテ遂ニ始ヨリ一善一益モ求メサルニ至ラント云者アリ、此説一理アリト云トモ、道ノ明ナラサル所以、学ノ講セサル所以、皆此語ニ原ツク也、此章ノ如キ誠ニ切実ノ学則ニテ、人々服膺スベキ也、凢ソ学問ノ道死而後已、若シ未タ死セスシテ半塗ニシテ先廃スレハ、前功皆棄ル者也、学ト云者ハ進マサレハ必ス退ソク、故ニ日ニ進ミ、月ニ漸ミ、遂ニ死ストモ悔ルコトナクシテ、始テ学ト云ヘシ、然ラサレハ皆井ヲ棄ルナリ、
書き下し
一善を行へば一善己に存し、一益を得れば一益己に存す。一日を加ふれば一日の功あり、一年を加ふれば一年の功あり。人を教ふる者角こそ言ふべし。然らずして九軔の功も泉に及ばざれば井を棄つと云はば、人々退屈して遂に始めより一善一益も求めざるに至らんと云ふ者あり。此の説一理ありと云へども、道の明らかならざる所以、学の講ぜざる所以、皆此の語に原づくなり。此の章の如き誠に切実の学則にて、人々服膺すべきなり。凡そ学問の道、死して後已む。若し未だ死せずして半塗にして先づ廃すれば、前功皆棄つる者なり。学と云ふ者は進まざれば必ず退く。故に日に進み、月に漸み、遂に死すとも悔ゆることなくして、始めて学と云ふべし。然らざれば皆井を棄つるなり。
現代語訳
「一つの善を行えば一つの善が自分に残り、一つの益を得れば一つの益が自分に残る。一日加えれば一日の成果があり、一年加えれば一年の成果がある。人を教える者はこのように言うべきだ。そうでなく、九仞まで掘っても泉に届かなければ井戸を捨てたのと同じだなどと言えば、人はみな嫌気がさして、ついには初めから一つの善も一つの益も求めなくなるだろう」と言う者がいる。この説にも一理はあるが、道が明らかにならないのも、学問が講じられないのも、みなこの言葉に原因がある。この章などは本当に切実な学問の規則であって、誰もが胸に刻むべきものである。およそ学問の道は、死ぬまでやめないものだ。もしまだ死なないうちに途中でやめてしまえば、それまでの成果はみな捨てたことになる。学問というものは、進まなければ必ず退く。だから日に進み、月に進み、ついに死んでも悔いのないようにして、はじめて学問と言える。そうでなければ、みな井戸を捨てるのと同じである。
解説
この章句が説くこと
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