うひ山ぶみ / 第十二段
詮ずるところ學問は、ただ年月長く倦ずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、學びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかゝはるまじきこと也、
新字:詮ずるところ学問は、ただ年月長く倦ずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかゝはるまじきこと也、
書き下し
詮ずるところ学問は、ただ年月長く倦ずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかゝはるまじきこと也、
現代語訳
突き詰めていえば、学問は、ただ長い年月にわたって飽きることなく怠ることなく、励み努めることこそが肝心なのであって、学び方はどのようであってもよく、それほどこだわるべきものではない。
解説
『うひ山ぶみ』で最もよく引かれる一節である。学び方をあれこれ論じてきた流れを、宣長はここで一気に畳む。結局のところ学問は長い年月にわたって飽きず怠らず励み続けることが肝心で、やり方はどうでもよい、と。直前で宣長は、学び方を「こうせよ」と示すのは簡単だが、示したとおりにして本当によいかは実際には分からない、だから本人の心に任せるのがよいと述べている。方法論を説く書物でありながら、方法よりも継続を上に置く。この転倒がこの書の背骨である。宣長自身、『古事記伝』に三十五年を費やした人であり、この言葉は経験から出た実感でもある。学習法や効率の情報がいくらでも手に入る今こそ、方法の比較検討に時間を溶かしていないかを問い直す価値がある。
この章句が説くこと
継続学問努力年月学習法習慣
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