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講孟余話 / 盡心上 第二十八章

二章同義ニ帰ス、無以飢渴之害爲心害第二十七章ハ、貧賤ヲ以テ其心ヲ動サヽルヲ云、不以三公易其介第二十八章ハ、冨貴ヲ以テ其志ヲ移サヽルヲ云、即チ冨貴不能淫、貧賤不能移ノ大丈夫ニシテ滕文公下篇第二章程子モ亦詩アリ云、冨貴不淫貧賤樂、男兒至此是英雄、ト是也、人何如セハ大丈夫トナリ、英雄トナルコトヲ得ンカ、他ナシ、伊尹ノ志ヲ以テ志トシ、顏淵ノ学ヲ以テ学トスル時ハ、其他ノ冨貴貧賤自ラ輕クシテ、何ソ能ク吾ヲ淫移センヤ、杜子美ノ詩ニ云、丹靑不知老將至、冨貴於我如浮雲、丹靑スラ尙然リ、况ヤ君子ノ大道ヲヤ

新字:二章同義ニ帰ス、無以飢渇之害為心害第二十七章ハ、貧賤ヲ以テ其心ヲ動サヽルヲ云、不以三公易其介第二十八章ハ、冨貴ヲ以テ其志ヲ移サヽルヲ云、即チ冨貴不能淫、貧賤不能移ノ大丈夫ニシテ滕文公下篇第二章程子モ亦詩アリ云、冨貴不淫貧賤楽、男児至此是英雄、ト是也、人何如セハ大丈夫トナリ、英雄トナルコトヲ得ンカ、他ナシ、伊尹ノ志ヲ以テ志トシ、顔淵ノ学ヲ以テ学トスル時ハ、其他ノ冨貴貧賤自ラ軽クシテ、何ソ能ク吾ヲ淫移センヤ、杜子美ノ詩ニ云、丹青不知老将至、冨貴於我如浮雲、丹青スラ尚然リ、況ヤ君子ノ大道ヲヤ

書き下し

二章同義に帰す。「飢渇の害を以て心の害と為すこと無し」(第二十七章)は、貧賤を以て其の心を動かさざるを云ふ。「三公を以て其の介に易へず」(第二十八章)は、富貴を以て其の志を移さざるを云ふ。即ち「富貴も淫すること能はず、貧賤も移すこと能はず」の大丈夫にして(滕文公下篇第二章)、程子も亦詩あり、云く、「富貴にして淫せず貧賤にして楽しむ、男児此に至れば是れ英雄」と、是れなり。人如何せば大丈夫となり、英雄となることを得んか。他なし、伊尹の志を以て志とし、顔淵の学を以て学とする時は、其の他の富貴貧賤自ら軽くして、何ぞ能く吾を淫移せんや。杜子美の詩に云く、「丹青は老の将に至らんとするを知らず、富貴は我に於て浮雲の如し」と。丹青すら尚然り、況んや君子の大道をや。

現代語訳

この二つの章は同じ意味に帰着する。「飢えや渇きの害を、心の害としない」(第二十七章)は、貧しさや卑しさによって心を動かされないことを言う。「三公の位とも、自分の節操を取り替えない」(第二十八章)は、富や地位によって志を変えないことを言う。すなわち「富貴にも心を乱されず、貧賤にも志を変えない」大丈夫であって(滕文公下篇第二章)、程子にも詩があり、「富貴にあっておぼれず、貧賤にあって楽しむ。男子がここに至れば英雄だ」というのがそれである。人はどうすれば大丈夫となり、英雄となれるのか。ほかでもない、伊尹の志を自分の志とし、顔淵の学問を自分の学問とすれば、そのほかの富貴や貧賤はおのずと軽くなり、どうして自分をおぼれさせたり変えさせたりできようか。杜甫の詩に「絵を描くことに打ち込むと、老いが迫るのも知らない。富貴など、私にとっては浮き雲のようなものだ」とある。絵の道でさえそうなのだ。まして君子の大道ならばなおさらである。

解説

孟子の二つの章は、飢えても心を乱さず、最高の位を示されても節を曲げない姿を描きます。松陰はこれをまとめて、富貴にも貧賤にも動かされない「大丈夫」のことだと言い、そうなる方法はただ一つ、伊尹のように天下を担う志と、顔淵のように己を修める学を持つことだと答えます。大きな目標を持てば、目先の得失は自然と軽くなる。杜甫が絵の道を引いて富貴を浮き雲と詠んだように、打ち込むものがある人は外の条件に振り回されません。

この章句が説くこと

大丈夫富貴貧賤志節操

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