講孟余話 / 盡心上 第二十四章
此章初ニ聖人ノ道甚高大ナレハ、此道ヲ得サヘスレハ、他ノ道ハ自ラ低ク自ラ小ナルヲ云、次ニ道高大ナリト云トモ、亦其至近至明皆日用常行ノ事ナレハ、甚隱微知リ難ク、峻巉攀難キコトニ非サルヲ云、終ニ学問ノ道漸ヲ以テ積畜ヘテ、其高大ノ極處ニ至ルヘキコトヲ云、是レ吾人手ヲ下スノ実着ノ処ナリ、下文ニ其ヲ悉ス、流水之爲物也、不盈科不行、君子之志於道也、不成章不達、流水ノ喩、又離婁下篇第十八章ト合セ考フヘシ、其文ニ云、徐子曰、仲尼亟称於水曰、水哉水哉、何取於水也、孟子曰、原泉混々、不舍晝夜、盈科而後進、放乎四海、有本者如是、是之取爾、苟爲無本、七八月之間雨集、溝澮皆盈、其涸也、可立而待也、故声聞過情、君子恥之ト、是実行実德ナクシテ、虛声虛聞アル者ハ、或ハ一人ヲ惑シ、一時ヲ眩スヘケレトモ、終ニ天下後世ノ公論ヲ免レサルコトナレハ、君子ハ行ヲ積ミ德ヲ累ルコトヲ、源泉ノ如クニ晝夜トナク勤ムヘシトナリ、即チ此章不成章不達ト同工夫ナリ、
新字:此章初ニ聖人ノ道甚高大ナレハ、此道ヲ得サヘスレハ、他ノ道ハ自ラ低ク自ラ小ナルヲ云、次ニ道高大ナリト云トモ、亦其至近至明皆日用常行ノ事ナレハ、甚隠微知リ難ク、峻巉攀難キコトニ非サルヲ云、終ニ学問ノ道漸ヲ以テ積畜ヘテ、其高大ノ極処ニ至ルヘキコトヲ云、是レ吾人手ヲ下スノ実着ノ処ナリ、下文ニ其ヲ悉ス、流水之為物也、不盈科不行、君子之志於道也、不成章不達、流水ノ喩、又離婁下篇第十八章ト合セ考フヘシ、其文ニ云、徐子曰、仲尼亟称於水曰、水哉水哉、何取於水也、孟子曰、原泉混々、不舎昼夜、盈科而後進、放乎四海、有本者如是、是之取爾、苟為無本、七八月之間雨集、溝澮皆盈、其涸也、可立而待也、故声聞過情、君子恥之ト、是実行実徳ナクシテ、虚声虚聞アル者ハ、或ハ一人ヲ惑シ、一時ヲ眩スヘケレトモ、終ニ天下後世ノ公論ヲ免レサルコトナレハ、君子ハ行ヲ積ミ徳ヲ累ルコトヲ、源泉ノ如クニ昼夜トナク勤ムヘシトナリ、即チ此章不成章不達ト同工夫ナリ、
書き下し
此の章初めに聖人の道甚だ高大なれば、此の道を得さへすれば、他の道は自ら低く自ら小なるを云ふ。次に道高大なりと云へども、亦其の至近至明、皆日用常行の事なれば、甚だ隠微知り難く、峻巉攀ぢ難きことに非ざるを云ふ。終に学問の道、漸を以て積み畜へて、其の高大の極処に至るべきことを云ふ。是れ吾人手を下すの実着の処なり。下文に其れを悉くす、「流水の物たるや、科に盈ちずんば行かず。君子の道に志すや、章を成さずんば達せず」。流水の喩へ、又離婁下篇第十八章と合せ考ふべし。其の文に云く、「徐子曰く、仲尼亟々水を称して曰く、水なるかな水なるかなと。何をか水に取れる。孟子曰く、原泉混々として昼夜を舎かず、科に盈ちて後に進み、四海に放る。本ある者は是くの如し。是れを之れ取るのみ。苟も本なしと為さば、七八月の間雨集まりて、溝澮皆盈つれども、其の涸るるや、立ちて待つべきなり。故に声聞情に過ぐるは、君子之を恥づ」と。是れ実行実徳なくして、虚声虚聞ある者は、或いは一人を惑はし、一時を眩すべけれども、終に天下後世の公論を免れざることなれば、君子は行ひを積み徳を累ぬることを、源泉の如くに昼夜となく勤むべしとなり。即ち此の章「章を成さずんば達せず」と同工夫なり。
現代語訳
この章は、まず聖人の道はとても高く大きいので、この道を得さえすれば、ほかの道はおのずと低く小さく見えることを言う。次に、道は高く大きいとはいえ、実はごく身近で明らかな、毎日の行いのことであるから、奥深くて分かりにくいものでも、険しくてよじ登れないものでもないことを言う。最後に、学問の道は少しずつ積み重ねて、その高く大きな極みに至るべきことを言う。これこそ私たちが手をつける確かな足場である。続く文がそれを言い尽くしている。「流れる水というものは、窪みを満たさなければ先へ進まない。君子が道を志すのも、ひとまとまりの形を成さなければ通じない」。流水のたとえは、離婁下篇第十八章と合わせて考えるとよい。そこにはこうある。「徐子が言った。孔子はしばしば水をほめて、水だなあ水だなあと言われた。水の何を取られたのでしょう。孟子は答えた。源のある泉はこんこんと湧き、昼も夜も休まず、窪みを満たしてから進み、四方の海に至る。本のあるものはこのようである。そこを取られたのだ。もし本がなければ、七、八月の雨が集まって田の溝がみな満ちても、それが涸れるのは立って待つ間ほどである。だから評判が実情を上回ることを、君子は恥じるのだ」。これは、実際の行いや徳がないのに、うわべの評判だけがある者は、一人を惑わし、一時を目くらましすることはできても、最後には天下後世の公正な評価を逃れられないのだから、君子は行いを積み徳を重ねることを、湧き出る泉のように昼も夜も励むべきだ、ということである。つまりこの章の「形を成さなければ通じない」と同じ工夫である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
歎異抄・第十二条経釈を読み学せざる輩、往生不定の由のこと。この条、すこぶる不足言の義と言いつべし。 他力真実の旨を明かせる諸の聖教は、本願を信じ念仏を申さば仏に成る、そのほか何の学問かは往生の要なるべきや。 まことにこの理に迷えらん人は、いかにもいかにも学問して、本願の旨を知るべきなり。 経釈を読み学すといえども、聖教の本意を心得ざる条、もっとも不便のことなり。
-
人物志・體別夫れ學は材を成す所以なり、疏は情を推す所以なり。偏材の性は、移轉すべからず。
-
言志四録・南洲手抄学之を古訓に稽へ、問之を師友に質すは、人皆之を知る。学必ず之を躬に学び、問必ず諸を心に問ふは、其れ幾人有らんか。
-
言志四録・南洲手抄朝にして食はずば、昼にして饑う。少うして学ばずば、壮にして惑ふ。饑うるは猶忍ぶ可し、惑ふは奈何ともす可からず。
-
論語・為政篇子曰く、異端を攻むるは、斯れ害のみ。
-
説苑・建本子思曰わく、学は才を益す所以なり、礪は刃を致す所以なり。吾嘗て幽処して深く思うも、学の速やかなるに若かず。吾嘗て跂ちて望むも、高きに登りて博く見るに若かず。故に風に順いて呼べば、声疾しきを加えざれども聞く者衆し。丘に登りて招けば、臂長きを加えざれども見る者遠し。故に魚は水に乗り、鳥は風に乗り、草木は時に乗る。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る