講孟余話 / 盡心上 第二十一章
此章欲スル所、樂ム所、性トスル所、一層一層次ヲ逐テ深シ、上章樂ノ字ヲ承テ、仁義礼智ノ性ニ帰ス、雖大行不加焉、雖窮居不損焉ノ二句、善ク性分ヲ形狀スト云ヘシ、余頃ロ漢書趙充國傳ヲ読テ感スルコトアリ、傳中数千言、力ヲ極メテ、名將ノ畧老臣ノ心ヲ摸寫ス、而シテ其載スル所、大氏神爵元年、充国七十六歲以上ノ事ニシテ、充国ノ薨ハ甘露二年八十六歲ノ時也、然レハ充国ヲシテ五六十歲ニシテ死セシメハ、罕开ヲ釋ルシテ先零ヲ誅スルノ策モ、畄屯田便宜ナニ事モ施行スルコトナクシテ終ランノミ、史官尙何ノ處ヨリ筆ヲ下サンヤ、且徒ニ壯士百餘人ト圍ヲ潰シ陳ヲ陷レ、身二十餘ノ創ヲ被ルノミヲ書セハ、一健將ノ事ニ過キス、然トモ此畧モ此心モ、其基ハ少シテ將帥ノ節ヲ好ミテ兵法ヲ学ヒ、四夷ノ事ヲ通知スルノ時ニ已ニ備レリ、然レハ充国ノ能七八十ニシテ始テ得ルニ非ス、時ニ衆人是ニ至テ始テ親ルコトヲ得ルノミ、嗚呼用レハ天下ニ施シテ人皆是ヲ仰ク、捨レハ一身ニ藏シテ世知ルコト能ハス、天下後世ノ吾ヲ知サルハ天下後世ニ大損アリテ、吾ニ於テハ毫モ損アルコトナシ、天下後世ノ吾ヲ仰クハ天下後世ニ大益アリテ、吾ニ於テ毫モ加フルコトナシ、充国ノ事亦不加焉、不損焉ノ一証ニ當ツヘシ
新字:此章欲スル所、楽ム所、性トスル所、一層一層次ヲ逐テ深シ、上章楽ノ字ヲ承テ、仁義礼智ノ性ニ帰ス、雖大行不加焉、雖窮居不損焉ノ二句、善ク性分ヲ形状スト云ヘシ、余頃ロ漢書趙充国伝ヲ読テ感スルコトアリ、伝中数千言、力ヲ極メテ、名将ノ略老臣ノ心ヲ摸写ス、而シテ其載スル所、大氏神爵元年、充国七十六歳以上ノ事ニシテ、充国ノ薨ハ甘露二年八十六歳ノ時也、然レハ充国ヲシテ五六十歳ニシテ死セシメハ、罕开ヲ釈ルシテ先零ヲ誅スルノ策モ、畄屯田便宜ナニ事モ施行スルコトナクシテ終ランノミ、史官尚何ノ処ヨリ筆ヲ下サンヤ、且徒ニ壮士百余人ト囲ヲ潰シ陳ヲ陥レ、身二十余ノ創ヲ被ルノミヲ書セハ、一健将ノ事ニ過キス、然トモ此略モ此心モ、其基ハ少シテ将帥ノ節ヲ好ミテ兵法ヲ学ヒ、四夷ノ事ヲ通知スルノ時ニ已ニ備レリ、然レハ充国ノ能七八十ニシテ始テ得ルニ非ス、時ニ衆人是ニ至テ始テ親ルコトヲ得ルノミ、嗚呼用レハ天下ニ施シテ人皆是ヲ仰ク、捨レハ一身ニ蔵シテ世知ルコト能ハス、天下後世ノ吾ヲ知サルハ天下後世ニ大損アリテ、吾ニ於テハ毫モ損アルコトナシ、天下後世ノ吾ヲ仰クハ天下後世ニ大益アリテ、吾ニ於テ毫モ加フルコトナシ、充国ノ事亦不加焉、不損焉ノ一証ニ当ツヘシ
書き下し
此の章欲する所、楽しむ所、性とする所、一層一層次を逐ひて深し。上章楽の字を承けて、仁義礼智の性に帰す。「大いに行はると雖も加へず、窮居すと雖も損せず」の二句、善く性分を形状すと云ふべし。余頃ろ漢書趙充国伝を読みて感ずることあり。伝中数千言、力を極めて名将の略、老臣の心を摸写す。而して其の載する所、大抵神爵元年、充国七十六歳以上の事にして、充国の薨ずるは甘露二年八十六歳の時なり。然れば充国をして五六十歳にして死せしめば、罕・幵を釈して先零を誅するの策も、屯田に留まるの便宜なども施行することなくして終らんのみ。史官尚何れの処より筆を下さんや。且つ徒らに壮士百余人と囲みを潰し陣を陥れ、身に二十余の創を被るのみを書せば、一健将の事に過ぎず。然れども此の略も此の心も、其の基は少くして将帥の節を好みて兵法を学び、四夷の事を通知するの時に已に備はれり。然れば充国の能、七八十にして始めて得るに非ず、時に衆人是に至りて始めて覩ることを得るのみ。嗚呼、用ゐらるれば天下に施して人皆是れを仰ぐ。捨てらるれば一身に蔵して世知ること能はず。天下後世の吾を知らざるは天下後世に大損ありて、吾に於ては毫も損あることなし。天下後世の吾を仰ぐは天下後世に大益ありて、吾に於て毫も加ふることなし。充国の事亦「加へず、損せず」の一証に当つべし。
現代語訳
この章は、望むもの、楽しむもの、本性とするものと、一段一段順を追って深くなる。前の章の「楽」の字を受けて、仁義礼智の本性に帰着させている。「大いに道が行われても本性は増えず、困窮して隠れ住んでも減りはしない」の二句は、本性のありようをうまく形容していると言うべきだ。私は近ごろ漢書の趙充国伝を読んで感じたことがある。伝の数千字は、力の限りを尽くして名将の策略と老臣の心を描き出している。ところがそこに載る事柄は、おおむね神爵元年、充国が七十六歳以後のことで、充国が亡くなったのは甘露二年、八十六歳のときである。もし充国が五、六十歳で死んでいたら、罕・幵の部族を許して先零を討つ策も、屯田にとどまる利点を説いた建言も、何ひとつ実行されずに終わっただろう。史官はどこから筆を起こせただろうか。ただ百余人の壮士と包囲を破り敵陣を落とし、体に二十余りの傷を負ったことだけを書けば、一人の勇将の話にすぎない。しかしこの策略もこの心も、その土台は若いころに将帥の節義を好んで兵法を学び、四方の異民族の事情に通じたときにすでに備わっていた。だから充国の能力は、七、八十歳になって初めて得たのではない。たまたまその時になって、世の人が初めて目にすることができただけである。ああ、用いられれば天下に施されて人はみな仰ぎ、捨てられれば一身にしまい込まれて世の人は知らない。天下後世が私を知らないのは天下後世にとって大きな損だが、私にとっては少しも損はない。天下後世が私を仰ぐのは天下後世にとって大きな益だが、私には少しも加わるものはない。充国のことも「加えず、損せず」の一つの証拠とすべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
説苑・善說齊景公子貢に謂いて曰く、「子誰をか師とする。」曰く、「臣仲尼を師とす。」公曰く、「仲尼賢なるか。」對えて曰く、「賢なり。」公曰く、「其の賢たること何如。」對えて曰く、「知らざるなり。」公曰く、「子其の賢を知りて其の奚若たるを知らざるは、可ならんか。」對えて曰く、「今天高しと謂うに、少長愚智と無く皆高きを知る。高きこと幾何ぞや。皆知らずと曰う。是を以て仲尼の賢を知りて其の奚若たるを知らざるなり。」
-
論語・子張篇子游曰く、吾が友張や、能くし難きことを為すなり。然れども未だ仁ならず。
-
論語・憲問篇子曰く、『驥は其の力を称せず、その徳を称すなり。』
-
史記 管晏列伝鮑叔既に管仲を進め、身を以て之に下る。子孫世々斉に禄せられ、封邑を有つこと十余世、常に名大夫為り。天下、管仲の賢を多とせずして、鮑叔の能く人を知るを多とす。
-
論語・憲問篇子曰く、人の己を知らざるを患えず、其の能わざるを患う。
-
論語・子張篇陳子禽、子貢に謂いて曰く、「子は恭を為すなり。仲尼豈に子より賢らんや。」子貢曰く、「君子は一言以て知と為し、一言以て不知と為す。言は慎まざる可からざるなり。夫子の及ぶ可からざるや、猶お天の階して升る可からざるがごときなり。夫子の邦家を得たらば、所謂『之を立つれば斯に立ち、之を道けば斯に行き、之を綏んずれば斯に来たり、之を動かせば斯に和す。其の生くるや栄え、其の死するや哀しむ』。之を如何ぞ其れ及ぶ可けんや。」
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る