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講孟余話 / 盡心上 第二十二章

此章、梁惠王上篇、第三章、末章云フ所ト、全ク其義ヲ同フス、但是ハ養老ノ二字ヨリ說明ス、最モ親切ヲ覚フ、設爲庠序学校ト云スシテ導其妻子、養其老ト云フ、是上行テ下傚ヒ、上令シテ下從フヲ以テ云フ、庠序学校其内ニアリ、伯夷太公ノ文王ニ歸スルコト、又離婁上篇第十三章ニ出ツ、合セ考ヘテ知ルヘシ、彼ハ虛ヲ以テ說キ、是ハ実ヲ以テ說クコトヲ、孟人聖人ヲ引ク、各指ス所アリ、舜ノ事ノ如キハ、前ノ第六章ニ云カ如シ、文王ノ事ニ至テハ、此章及ヒ梁惠王上篇第二章、民ト樂ヲ同フスルノ事下篇第三章、勇ヲ好ムノ事第四章、岐ヲ治ムルノ事離婁上篇第七章、文王ヲ師トスルノ事第十三章、養老ノ事下篇第二十章、民ヲ視ルコト傷ノ如シノ事上ノ第十章、文王ヲ待テ興ルノ事等大氏民ヲ愛シ仁ヲ施シ、業ヲ創メ統ヲ垂ルヽニ就テ云フ、余常ニ謂フ、今ノ諸矦ニ在テ尤モ法ヲ取ルヘキハ文王ニ如クハナシト、又窃カニ謂フ、我洞春公ノ業大ニ文王ニ似タリト、文王ノ志ハ他国ヲ幷呑スルニ在ラズ、天位ヲ窺窬スルニ在ラズ、只己カ国政ヲ正シ、己カ国民ヲ撫シ、其心ヲ推シテ隣国他国ニテモ正カラサルノ政、安ンセサルノ民アレハ、往テ正シ往テ安ンシ、方百里ヨリ天下ヲ三分シテ其二ヲ有スルニ至ルト云トモ、一毫ノ覇氣アルコトナク、敢テ威力ヲ以テ人ヲ却制シ、其国ヲ利シ其民ヲ役スルニ非ス、但隣国ヲ正シテ隣国服シ、他国ヲ安ンシテ他国悅フノミ、虞芮ノ二国成ヲ質スノ一事ヲ以テモ亦知ルヘシ、

新字:此章、梁恵王上篇、第三章、末章云フ所ト、全ク其義ヲ同フス、但是ハ養老ノ二字ヨリ説明ス、最モ親切ヲ覚フ、設為庠序学校ト云スシテ導其妻子、養其老ト云フ、是上行テ下傚ヒ、上令シテ下従フヲ以テ云フ、庠序学校其内ニアリ、伯夷太公ノ文王ニ帰スルコト、又離婁上篇第十三章ニ出ツ、合セ考ヘテ知ルヘシ、彼ハ虚ヲ以テ説キ、是ハ実ヲ以テ説クコトヲ、孟人聖人ヲ引ク、各指ス所アリ、舜ノ事ノ如キハ、前ノ第六章ニ云カ如シ、文王ノ事ニ至テハ、此章及ヒ梁恵王上篇第二章、民ト楽ヲ同フスルノ事下篇第三章、勇ヲ好ムノ事第四章、岐ヲ治ムルノ事離婁上篇第七章、文王ヲ師トスルノ事第十三章、養老ノ事下篇第二十章、民ヲ視ルコト傷ノ如シノ事上ノ第十章、文王ヲ待テ興ルノ事等大氏民ヲ愛シ仁ヲ施シ、業ヲ創メ統ヲ垂ルヽニ就テ云フ、余常ニ謂フ、今ノ諸矦ニ在テ尤モ法ヲ取ルヘキハ文王ニ如クハナシト、又窃カニ謂フ、我洞春公ノ業大ニ文王ニ似タリト、文王ノ志ハ他国ヲ幷呑スルニ在ラズ、天位ヲ窺窬スルニ在ラズ、只己カ国政ヲ正シ、己カ国民ヲ撫シ、其心ヲ推シテ隣国他国ニテモ正カラサルノ政、安ンセサルノ民アレハ、往テ正シ往テ安ンシ、方百里ヨリ天下ヲ三分シテ其二ヲ有スルニ至ルト云トモ、一毫ノ覇気アルコトナク、敢テ威力ヲ以テ人ヲ却制シ、其国ヲ利シ其民ヲ役スルニ非ス、但隣国ヲ正シテ隣国服シ、他国ヲ安ンシテ他国悦フノミ、虞芮ノ二国成ヲ質スノ一事ヲ以テモ亦知ルヘシ、

書き下し

此の章、梁恵王上篇第三章・末章に云ふ所と、全く其の義を同じうす。但し是れは養老の二字より説明す、最も親切を覚ゆ。「庠序学校を設け為す」と云はずして「其の妻子を導き、其の老を養ふ」と云ふ。是れ上行ひて下傚ひ、上令して下従ふを以て云ふ。庠序学校其の内にあり。伯夷・太公の文王に帰すること、又離婁上篇第十三章に出づ。合せ考へて知るべし、彼は虚を以て説き、是は実を以て説くことを。孟子聖人を引く、各々指す所あり。舜の事の如きは、前の第六章に云ふが如し。文王の事に至りては、此の章及び梁恵王上篇第二章(民と楽しみを同じうするの事)、下篇第三章(勇を好むの事)、第四章(岐を治むるの事)、離婁上篇第七章(文王を師とするの事)、第十三章(養老の事)、下篇第二十章(民を視ること傷むが如しの事)、上の第十章(文王を待ちて興るの事)等、大抵民を愛し仁を施し、業を創め統を垂るるに就きて云ふ。余常に謂ふ、今の諸侯に在りて尤も法を取るべきは文王に如くはなしと。又窃かに謂ふ、我が洞春公の業大いに文王に似たりと。文王の志は他国を并呑するに在らず、天位を窺窬するに在らず、只己が国政を正し、己が国民を撫し、其の心を推して隣国他国にても正しからざるの政、安んぜざるの民あれば、往きて正し往きて安んじ、方百里より天下を三分して其の二を有するに至ると云へども、一毫の覇気あることなく、敢へて威力を以て人を劫制し、其の国を利し其の民を役するに非ず。但し隣国を正して隣国服し、他国を安んじて他国悦ぶのみ。虞・芮の二国成を質すの一事を以ても亦知るべし。

現代語訳

この章は、梁恵王上篇の第三章や末章で言うことと、まったく同じ意味である。ただここでは「養老」の二字から説き起こしており、とても身近に感じられる。「学校を設ける」と言わずに「その妻子を導き、その老人を養う」と言う。これは上の者が行って下の者がならい、上の者が命じて下の者が従うことを言っている。学校はその中に含まれている。伯夷と太公望が文王のもとに身を寄せたことは、離婁上篇第十三章にも出ている。合わせて考えれば分かるが、あちらは理屈で説き、こちらは実際の事柄で説いている。孟子が聖人を引くのには、それぞれ指すところがある。舜のことは前の第六章で言ったとおりである。文王のことは、この章と、梁恵王上篇第二章(民と楽しみを共にすること)、下篇第三章(勇を好むこと)、第四章(岐を治めたこと)、離婁上篇第七章(文王を師とすること)、第十三章(老人を養うこと)、下篇第二十章(民を傷ついた人のように見ること)、上の第十章(文王を待って奮い立つこと)などで、おおむね民を愛し、仁政を施し、事業を始めて後に伝統を残したことについて言っている。私はいつも、今の諸侯にとって最も手本とすべきなのは文王にまさるものはないと言っている。またひそかに、わが洞春公(毛利元就)の事業は文王によく似ていると思っている。文王の志は、他国を併合することにも、天子の位をうかがうことにもなかった。ただ自分の国の政治を正し、自分の国の民をいたわり、その心を推し広げて、隣国や他国でも正しくない政治や安らかでない民があれば、行って正し、行って安んじた。百里四方の国から始めて、天下の三分の二を持つに至っても、少しの覇気もなく、威力で人を脅して従わせ、自国を利するために民を使ったのではない。ただ隣国を正して隣国が服し、他国を安んじて他国が喜んだだけである。虞と芮の二国が争いの裁きを文王に求めに来たという一事からも、それが分かる。

解説

孟子は、伯夷や太公望が文王のもとに集まったのは、文王がよく老人を養ったからだと説きます。松陰はここで孟子全篇から文王に触れた章を拾い集め、文王こそ今の諸侯の手本だと言います。文王は他国を奪おうとせず、自国を正しく治め、その心を隣国にも及ぼしただけで、天下の三分の二が自然に従いました。虞と芮の君主が争いの裁きを求めて訪れたところ、文王の国の民が互いに譲り合う姿を見て恥じ入り、裁きを受けずに帰ったという故事が、その徳の広がり方を示しています。

この章句が説くこと

文王仁政養老徳治手本

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