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講孟余話 / 盡心上 第二十章

第三ノ樂、天下ノ英才ヲ教育スルハ吾黨ノ無学無識ノ及フ所ニ非ス、况ンヤ幽囚廃錮ノ餘ヲヤ、幽囚廃錮ノ久シキ、少シク自得スル処アリテ、平生ノ志ヲ償ヒ、且他日恩赦ノ日ニ當テ、幸ニシテ未タ死セスンハ、此事未タ必シモ全ク已矣ト云ヘカラズ、要第一ノ樂ヲ樂ミ、第二ノ樂ヲ勵ミ、第三ノ樂ニ至テハ、悠々ノ天ニ附センノミ、抑論語ノ首ニモ、有朋自遠方來、不亦樂乎ト云ヘリ、夫君子何ヲ以テ英才ヲ教育スルコトヲ樂ムヤ、豈其材能德行ヲ人ニ耀サントニハアラス、君子ノ任トスル処ハ天下後世ニアリ、故ニ身天下ニ王タリト云トモ、英才ヲ教育セスンハ、何ヲ以テ天下ヲ治メン、何ヲ以テ後世ニ法セン、已ニ英才ヲ育セハ、身天下ニ王タラスト云トモ、天下後世必ス來テ法ヲ取ル者アル也、天下ハ活物ナレハ、今治リタレハトテ、後必ツ乱ルヽコトアリ、今衰ヘタレハトテ、後必ツ盛ナルコトアリ、夫治乱盛衰ノ際會ハ英雄豪傑ノ力ヲ致スヘキ所ニシテ、幸ニ身其時ニ遇ハス、其職ニ當ラサレハ、天下後世ノ間、必ス別ニ其人アルナリ、故ニ吾苟モ英才ヲ得テ是ヲ教育セハ、是即チ其人ナラン、是余カ志ナリ、君子ノ樂ナリ

新字:第三ノ楽、天下ノ英才ヲ教育スルハ吾党ノ無学無識ノ及フ所ニ非ス、況ンヤ幽囚廃錮ノ余ヲヤ、幽囚廃錮ノ久シキ、少シク自得スル処アリテ、平生ノ志ヲ償ヒ、且他日恩赦ノ日ニ当テ、幸ニシテ未タ死セスンハ、此事未タ必シモ全ク已矣ト云ヘカラズ、要第一ノ楽ヲ楽ミ、第二ノ楽ヲ励ミ、第三ノ楽ニ至テハ、悠々ノ天ニ附センノミ、抑論語ノ首ニモ、有朋自遠方来、不亦楽乎ト云ヘリ、夫君子何ヲ以テ英才ヲ教育スルコトヲ楽ムヤ、豈其材能徳行ヲ人ニ耀サントニハアラス、君子ノ任トスル処ハ天下後世ニアリ、故ニ身天下ニ王タリト云トモ、英才ヲ教育セスンハ、何ヲ以テ天下ヲ治メン、何ヲ以テ後世ニ法セン、已ニ英才ヲ育セハ、身天下ニ王タラスト云トモ、天下後世必ス来テ法ヲ取ル者アル也、天下ハ活物ナレハ、今治リタレハトテ、後必ツ乱ルヽコトアリ、今衰ヘタレハトテ、後必ツ盛ナルコトアリ、夫治乱盛衰ノ際会ハ英雄豪傑ノ力ヲ致スヘキ所ニシテ、幸ニ身其時ニ遇ハス、其職ニ当ラサレハ、天下後世ノ間、必ス別ニ其人アルナリ、故ニ吾苟モ英才ヲ得テ是ヲ教育セハ、是即チ其人ナラン、是余カ志ナリ、君子ノ楽ナリ

書き下し

第三の楽しみ、天下の英才を教育するは、吾が党の無学無識の及ぶ所に非ず。況んや幽囚廃錮の余をや。幽囚廃錮の久しき、少しく自得する処ありて、平生の志を償ひ、且つ他日恩赦の日に当たりて、幸ひにして未だ死せずんば、此の事未だ必ずしも全く已みぬと云ふべからず。要は第一の楽しみを楽しみ、第二の楽しみを励み、第三の楽しみに至りては、悠々の天に附せんのみ。抑々論語の首にも、「朋遠方より来たる有り、亦楽しからずや」と云へり。夫れ君子何を以て英才を教育することを楽しむや。豈に其の材能徳行を人に耀かさんとにはあらず。君子の任とする処は天下後世にあり。故に身天下に王たりと云へども、英才を教育せずんば、何を以て天下を治めん、何を以て後世に法せん。已に英才を育せば、身天下に王たらずと云へども、天下後世必ず来たりて法を取る者あるなり。天下は活物なれば、今治まりたればとて、後必ず乱るることあり。今衰へたればとて、後必ず盛んなることあり。夫れ治乱盛衰の際会は英雄豪傑の力を致すべき所にして、幸ひに身其の時に遇はず、其の職に当たらざれば、天下後世の間、必ず別に其の人あるなり。故に吾苟も英才を得て是れを教育せば、是れ即ち其の人ならん。是れ余が志なり、君子の楽しみなり。

現代語訳

第三の楽しみの、天下の英才を教育することは、学問も見識もない私たちの及ぶところではない。まして獄に囚われ閉じ込められている身ではなおさらだ。しかし長く囚われているうちに少しは自分で会得したこともあり、ふだんの志を果たし、いつか恩赦の日が来て、幸いにまだ死んでいなければ、この楽しみも、まだ必ずしもすっかりあきらめたとは言えない。要するに、第一の楽しみを楽しみ、第二の楽しみに励み、第三の楽しみについては、ゆったりと天にまかせるだけである。そもそも論語の巻頭にも「友が遠くから訪ねてくる。なんと楽しいことではないか」とある。君子はなぜ英才を教育することを楽しむのか。決して自分の才能や徳行を人に見せびらかすためではない。君子が任とするのは天下と後世である。だから自分が天下の王であっても、英才を育てなければ、どうやって天下を治め、どうやって後世の手本となれようか。英才を育ててさえいれば、自分は天下の王でなくても、天下後世に必ずそこから手本を取りに来る者がいる。天下は生きているものだから、今治まっていても後には必ず乱れることがあり、今衰えていても後には必ず盛んになることがある。治乱盛衰の分かれ目こそ英雄豪傑が力を尽くすべき場であり、自分がたまたまその時に巡り合わず、その職に就いていなければ、天下後世のどこかに必ず別にその人がいる。だから私がもし英才を得て教育するなら、その者こそがその人になるだろう。これが私の志であり、君子の楽しみである。

解説

三楽の第三、英才の教育について、松陰は囚人の自分には及ばないと言いながら、恩赦で出られる日が来ればあきらめてはいないと書きます。教育を楽しむのは自分を誇るためではなく、天下と後世のためだ。自分が時代の分かれ目に立ち会えなくても、育てた者がその人になる、という論理です。この文が書かれてまもなく、松陰は幽閉先の自宅で松下村塾を主宰し、高杉晋作や久坂玄瑞らを育てました。自分で成し遂げられないことを、人を育てることで未来に託すという、教育者松陰の原点がここにあります。

この章句が説くこと

教育英才後世志松下村塾

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