講孟余話 / 盡心上 第十一章
欿然自ラ滿サルハ、其志大ニ、其量宏ニ、願フ所素ヨリ茲ニアラサル也、其次ハ是ヲ得テ恣然自ラ放ニスルアリ、又更ニ蹜蹙自ラ安ンセサル者アリ、是ヲ最下トス、漢ノ更始將軍劉玄ノ如キ是也
新字:欿然自ラ満サルハ、其志大ニ、其量宏ニ、願フ所素ヨリ茲ニアラサル也、其次ハ是ヲ得テ恣然自ラ放ニスルアリ、又更ニ蹜蹙自ラ安ンセサル者アリ、是ヲ最下トス、漢ノ更始将軍劉玄ノ如キ是也
書き下し
欿然として自ら満たさざるは、其の志大に、其の量宏に、願ふ所素より茲にあらざるなり。其の次は是れを得て恣然として自ら放にするあり、又更に蹜蹙として自ら安んぜざる者あり、是れを最下とす。漢の更始将軍劉玄の如き是れなり。
現代語訳
(韓・魏の富を加えられても)物足りないとして自ら満足しないのは、その志が大きく、その度量が広く、願うところがもともとそこにはないからである。その次は、それを得て思うままに気ままにふるまう者がいる。さらに、縮こまって落ち着かない者がいる。これを最も下とする。漢の更始将軍劉玄のような者がこれである。
解説
孟子は、韓・魏の大富豪の家の財産を与えられても「欿然として自ら視る」、つまり物足りないと見る者は、常人をはるかに超えていると言いました。松陰はこれを三段階に分けて読み、富を得ても満足しない志の大きな人、富に浮かれて気ままになる人、富を得てかえって縮こまり落ち着かない人を挙げ、最後を最も下だとします。例に挙げた劉玄は、王莽を倒す勢力に担がれて更始帝となりながら、器が地位に追いつかなかった人物です。地位や富を得たとき、その人の器量が試されるという指摘は、昇進や成功の場面にそのまま当てはまります。
この章句が説くこと
器量志富貴慢心劉玄
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