講孟余話 / 盡心上 第十章
本藩試合劔槍ヲ初メタルハ、橫地内藤二子ニテ、二子実ニ豪傑ト云ヘシ、然トモ二子幸ニ時ニ遇ヘリ、文武興隆治教更張ノ機ニ乘シ是ヲ爲ス、所謂風ニ順フテ喚フカ如キ者也、是ヨリ先栗栖又助ト云者アリ、古武士ノ風アリ、又能ク試合劍槍ヲ以テ人ヲ導ク、是尤モ豪傑ト云ヘシ、當今天下ノ士風亦頗ル衰フ、松本小邑ト云トモ、諸君能ク心ヲ戮セ、断然トシテ古武士ノ風ヲ以テ自ラ任シ、以テ天下ノ先トナラハ、亦豪傑ト云ヘシ、今一介ノ士ヲ以テ天下ノ先トナラント云ヘハ、自ラ揣ラサルニ似タレ共、孔孟何者ソ、程朱何者ソ、亦是一介ノ士ヲ以テ、天下後世トナルコト彼カ如シ、且前ニ歷擧スル所ノ豪傑、亦皆、素ヨリ王侯ノ位韓魏ノ富アルニ非ズ、是ヲ思フテ勵マサル者ハ凢民ニモ及ハサル也、孔子ノ七十二第子、漢高ノ蕭曹陳周ノ如キ、豪傑ヲ待テ興ル者凢民ト云ヘシ、凢民ノ爲ス所猶能ク彼カ如シ
新字:本藩試合剣槍ヲ初メタルハ、横地内藤二子ニテ、二子実ニ豪傑ト云ヘシ、然トモ二子幸ニ時ニ遇ヘリ、文武興隆治教更張ノ機ニ乗シ是ヲ為ス、所謂風ニ順フテ喚フカ如キ者也、是ヨリ先栗栖又助ト云者アリ、古武士ノ風アリ、又能ク試合剣槍ヲ以テ人ヲ導ク、是尤モ豪傑ト云ヘシ、当今天下ノ士風亦頗ル衰フ、松本小邑ト云トモ、諸君能ク心ヲ戮セ、断然トシテ古武士ノ風ヲ以テ自ラ任シ、以テ天下ノ先トナラハ、亦豪傑ト云ヘシ、今一介ノ士ヲ以テ天下ノ先トナラント云ヘハ、自ラ揣ラサルニ似タレ共、孔孟何者ソ、程朱何者ソ、亦是一介ノ士ヲ以テ、天下後世トナルコト彼カ如シ、且前ニ歴挙スル所ノ豪傑、亦皆、素ヨリ王侯ノ位韓魏ノ富アルニ非ズ、是ヲ思フテ励マサル者ハ凢民ニモ及ハサル也、孔子ノ七十二第子、漢高ノ蕭曹陳周ノ如キ、豪傑ヲ待テ興ル者凢民ト云ヘシ、凢民ノ為ス所猶能ク彼カ如シ
書き下し
本藩試合剣槍を初めたるは、横地・内藤二子にて、二子実に豪傑と云ふべし。然れども二子幸ひに時に遇へり。文武興隆・治教更張の機に乗じて是れを為す、所謂風に順ひて喚ぶが如き者なり。是れより先、栗栖又助と云ふ者あり、古武士の風あり、又能く試合剣槍を以て人を導く、是れ尤も豪傑と云ふべし。当今天下の士風亦頗る衰ふ。松本小邑と云へども、諸君能く心を戮せ、断然として古武士の風を以て自ら任じ、以て天下の先とならば、亦豪傑と云ふべし。今一介の士を以て天下の先とならんと云へば、自ら揣らざるに似たれども、孔孟何者ぞ、程朱何者ぞ、亦是れ一介の士を以て、天下後世となること彼が如し。且つ前に歴挙する所の豪傑、亦皆、素より王侯の位・韓魏の富あるに非ず。是れを思うて励まざる者は凡民にも及ばざるなり。孔子の七十二弟子、漢高の蕭・曹・陳・周の如き、豪傑を待ちて興る者凡民と云ふべし。凡民の為す所猶能く彼が如し。
現代語訳
我が藩で剣術・槍術の試合稽古を始めたのは、横地・内藤の二人で、二人は実に豪傑というべきである。しかし二人は幸いに時に恵まれた。文武が盛んになり、政治と教育が改められる機運に乗じてこれを行ったのであり、いわば風向きに従って呼びかけるようなものであった。これより先に栗栖又助という者がいて、古武士の気風があり、またよく試合稽古によって人を導いた。この人こそ最も豪傑というべきである。今の天下の士風もずいぶん衰えている。松本は小さな村ではあるが、諸君がよく心を合わせ、きっぱりと古武士の気風を自らの任とし、天下の先駆けとなるなら、それもまた豪傑というべきである。今、一人の士の身で天下の先駆けになろうと言えば、身の程を知らないように聞こえるが、孔子や孟子が何者か、程子や朱子が何者か。彼らもまた一人の士の身で、あのように天下後世の模範となったのである。それに前に挙げた豪傑たちも、もとより王侯の位や韓・魏のような富を持っていたわけではない。これを思って励まない者は、凡人にも及ばない。孔子の七十二人の弟子や、漢の高祖に仕えた蕭何・曹参・陳平・周勃のような人々は、豪傑を待ってから奮い立った者で、凡人というべきである。それでも凡人のなしたことさえ、あれほどのものであった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「孔子東山に登りて魯を小とし、泰山に登りて天下を小とす。故に海を観る者には水と為し難く、聖人の門に游ぶ者には言と為し難し。水を観るに術有り、必ず其の瀾を観る。日月明有り、光を容るるところ必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」
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孟子・盡心章句上公孫丑曰く、「伊尹曰く、『予、不順に狎れしめず。』太甲を桐に放ち、民大いに悅ぶ。太甲賢となる。又之を反し、民大いに悅ぶ。賢者の人臣為るや、其の君、賢ならざれば、則ち固より放つ可きか。」孟子曰く、「伊尹の志有れば、則ち可なり。伊尹の志無ければ、則ち篡うなり。」
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史記 伯夷列伝子曰く、「道同じからざれば相ひ為に謀らず」と。亦た各々其の志に従ふなり。故に曰く、「富貴もし求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾も亦た之を為さん。如し求む可からずんば、吾が好む所に従はん」と。「歳寒くして、然る後に松柏の凋むに後るるを知る」。世を挙げて混濁して、清士乃ち見はる。豈に其の重んずること彼の若く、其の軽んずること此くの若くなるを以てせんや。
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論語・里仁篇子曰わく、いやしくも仁に志せば、悪しきこと無し。
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史記 刺客列伝高漸離名姓を変じて人の庸保と為り、宋子に匿れ作す。之を久しくして、作苦しく、其の家の堂上に客の筑を撃つを聞き、傍偟して去る能はず。毎に言を出だして曰く、「彼に善有り善ならざる有り」と。従者以て其の主に告げて曰く、「彼の庸は乃ち音を知り、竊かに是非を言ふ」と。家の丈人召して前に筑を撃たしむ。一坐善しと称し、酒を賜ふ。而して高漸離、久しく隠れて畏約すること窮まる時無きを念ひ、乃ち退きて、其の装匣の中の筑と其の善衣とを出だし、容貌を更めて前む。坐を挙げて客皆驚き、下りて与に抗礼し、以て上客と為す。筑を撃ちて歌はしむ。客流涕して去らざる者無し。宋子伝へて之を客とし、秦の始皇に聞こゆ。秦の始皇召し見る。人識る者有りて、乃ち曰く、「高漸離なり」と。秦の皇帝其の善く筑を撃つを惜しみ、重ねて之を赦し、乃ち其の目を矐す。筑を撃たしむるに、未だ嘗て善しと称せずんばあらず。稍く益々之に近づく。高漸離乃ち鉛を以て筑の中に置き、復た進みて近づくを得、筑を挙げて秦の皇帝を樸つ。中らず。是に於て遂に高漸離を誅し、身を終ふるまで復た諸侯の人に近づかず。魯句践已に荊軻の秦王を刺せしを聞き、私かに曰く、「嗟乎、惜しいかな其の刺剣の術を講ぜざりしや。甚だしいかな吾の人を知らざるや。曩者吾之を叱す。彼乃ち我を以て人に非ずと為せしならん」と。太史公曰く、世に荊軻を言ふに、其の太子丹の命を称して、「天粟を雨らし、馬角を生ず」とするや、太だ過ぎたり。又荊軻秦王を傷つくと言ふも、皆非なり。始め公孫季功・董生、夏無且と游び、具に其の事を知り、余の為に之を道ふこと是の如し。曹沫より荊軻に至るまで五人、此れ其の義或いは成り或いは成らず。然れども其の意を立つること較然として、其の志を欺かず、名後世に垂る。豈に妄ならんや。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「名を好むの人は、能く千乘の國を讓る。苟くも其の人に非ざれば、簞食豆羹も色に見わる。」
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